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本を楽しむように映画を観ていたようだ

映画が好き、だと言い切れないことがあります。
たしかに好きなのに。
映像のサブスクにもいくつか入っているし、
映画館には毎月最低二回は行っているし、
一年を通して公開が楽しみな映画はあるし、
好きな監督や役者さん、脚本家もぽつぽつとあげられるようになってきました。
ただ、映画が好きな人のようにたくさんは見られないな、
とも思うのです。

私は一度好きになった映画は何度も続けて見ます。
大体エンディングを聞きおえたらそのまま最初に戻ってもう一度。
そこからは作業をしている時は大体その映画を流すようになります。
見ているというよりも、
生活に馴染ませているような感じでしょうか。
生活音に映画があるみたいな。

『ロードオブザリング』ほど見る映画はそうそうありませんが、
好きになった映画はその後も何度も見返します。

「また見てる」
と言われなくなるくらい、
私の繰り返しみるのは我が家に浸透しています。

そうして映画を音にして沁み込ませながら、
私は好きな登場人物や、場面を言葉に置き換えているようなのです。
どうも私は、好きなものを言葉に置き換えたい性質のようで、
自分の語彙が続く限りその人物を、場面を書いていきます。
エンディングが悲しければ少しだけやさしい流れに。
登場人物に少しでも何かやさしいものが握らせてあげられるように。
そんなことを考えながら、
頭の中で言葉から映像を編み上げていきます。
不思議なのが、ただ映像を思い浮かべようとしてもできないということ。
必ず言葉を介してではないと、
映像に結び直せないのです。

小説を読んでいる時、
体はどこかに消えてしまいます。
そこにあるのは書かれた世界で、
その中で私は透明のまま心をむき出しにして立っているのです。
言葉に組み立てられた世界は、
あらゆる現象を受け入れ、鮮やかで、圧倒的に現実なのです。

私は言葉で書かれていないものを飲み込むとき、
しっかりと細かに切り刻み、
平たい歯ですりつぶし、
そうしてお腹の中に落としていきながら言葉として再生させていくようです。
本を読むように。

漫画や、
音楽、
映画以外の創作物も、
ああ、私はそうやって吸収しているんだ、と気付いたのでした。

きっと自分の魂に馴染んだ方法が誰にもあって、
そうやって他の世界を受け入れているのでしょう。
それを想像するのは、
とても楽しいことだと思う、
夜の端っこでした。

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