見出し画像

アメリカ黒人の息子を持つ母親の、つぶやき

気がつけば、コロナの話はどこかへ飛んでいき、今ではBLM(Black Lives Matter)運動、人種差別について、否が応でも考える日々になっている。
その運動は日々大きくなっていって、過去をみないほどの大きなうねりになっている。

❖ ❖ ❖

あたしは2001年の10月から黒人の都、ニューヨークのハーレムに住んでいる。
2006年には、ハーレム生まれ育ちのアメリカ黒人の旦那との間に息子が産まれ、彼は保育園から中学校まで、ハーレムにある公立の学校に通っていた(2020年9月から高校生になり、ハーレムじゃない地区へと通うことになった)。

正直言うと、今回のこの件について書こうか書くまいか悩んだ。今だってそう。

ハーレムで生活していることは、決して楽しいことばかりじゃないから、書くと正直気持ちが「堕ちる」。
過去を振り返って掘り下げるわけですからね。そしてその時の感情も一緒に掘り起こしちゃうわけだから、お酒を飲まないと書けません。なんて。

そして彼らのことを書くのは、とても繊細な問題なのだ。やはり肌のことを語るのは、うん、簡単じゃない。

でも日本語のSNSで流れてくる黒人社会に対するひどい中傷などを読むと、正直嫌な気分にもなった。それもアメリカに住んでいる人たちがね、書いているんですよ。そりゃひどいもんだ。どうしてそういう風に書くかなあ、と思いつつ、まあ、仕方ないとも思っている。

昔だったら

「違う! 何もわかっていない! あたしが正してやるわ!」

なんて思って正義感振り回してたんだろうなーと、そんな自分を思ってちょっと苦笑しちゃうけれど、今は他の人に頼もう、自分は静観しよう、という気持ち。

なので今回はプロテスト運動、ラリーやマーチ(行進)には参加していません、今のところ。今後はどうしようかな……多分、しないと思う。

もしも息子が10歳くらいだったら「これは絶対に参加しなきゃ!」と無理矢理でも連れていったような気がするけれど。
実際、トランプが大統領に就任した日のマーチも5番街を歩いたし、銃に関するマーチにも参加した。

じゃあ、どうして書くの?

やっぱり、なんか心がざわざわするので、自分が今まで経験してきたことを書いて、心を落ち着かせようかな、と思ったから。

あとは……あたしがハーレムに住んでいて、黒人とのハーフの子どもがいることを知っている人達が、あきつがどう思っているのかを知りたいんだろうな、ということを感じているから。

では、大きく息を吸って、心を落ち着かせて書いていってみようかね。

長文ですよー。


❖ ❖ ❖


↑ でも書きましたが、やはり黒人の歴史は知っておくべきだと思う。何をどう発言してもいいけれど、事実としてどういったことがあったのかを知ることは重要。

あたしが何よりも思ったのは、息子を産んだときに「ああ、この子は半分日本人の血が入っていても黒人とカテゴライズされるんだ」ということ。

この子は黒人として生きていかなきゃいけないんだ

という事実に、正直どうしよう、と思ったこと。
子どもが産まれて幸せなはずなのに、反面、どうしようもない不安がつきまとって。

どうやって育てていけばいいんだ?

と悩んだ。

日本人であるあたしは、教育の大切さを肌で知っているし、将来的なことを考えたら、息子には大学まで行ってもらいたいと思っている。いや、行くのが「当たり前」でしょ、と思っていた。

でもハーレムに住んでいる貧困層の人達の多くは義務教育である高校を卒業できていない割合も高いし、大学に行くことは「当たり前」じゃない。もちろん、教育が大切なことを知っている人達も多いし、せめて高校を卒業しないと就職が大変なこともわかっているから、それらをサポートする人達も多いけれど、日本と違って、行く学校によって受けられる教育レベルの差が激しいのだ。公立といっても。学んでいるレベルが違いすぎる。

2004年くらいにハーレムにある中高一貫の公立学校で1年ボランティアをしたけれど、その時に校長先生が全体集会で言っていたことが印象に残っている。

・より良い将来を望むのなら、ちゃんと勉強しなさい。
・制服をきちんと着ること=身なりを整えること(Dress is Success)
・スポーツ推薦で大学に行きたいのなら、どのスポーツを選択したらいいのか考えること。間違えてもメジャースポーツを選択しないこと。バスケットで成功するなんて0.000000001%の確率だぞ。

などなどと、口酸っぱく言っていた。

この学校でボランティアをしたことは、後々、あたしが息子を育てるにあたってすごく役に立ったと同時に、あたし自身が教育に対して狂気への道へと入ってしまったとも言える。その辺りはNYCスクール狂走曲(ラプソディー)に書いたので、興味のある方はそちらをお読み下さい。高校についてですが、幼稚園も似た感じです。

幸い息子が生まれて間もない時に何人かの黒人とのハーフの子どもをもつ日本人ママと仲良くなって、どうやって育てていく? という話をよくした。

当時はあたしもハーレムに、ブラック・コミュニティーに住んで3年目くらいと言うこともあって、よくわかっていなかった部分もあるけれど、あまり裕福でない黒人男子がいわゆる「成功」するには

1)ラッパー(当時は50セントとか、いわゆるギャングスタ系が流行っていた)
2)NBA選手(これはいつでも憧れですよね)
3)ドラッグディーラー(頭良くないとのし上がれないけれどね)

の3択じゃないの? と半分冗談、半分本気でそのママ友達と話したりしていた。
でも実は、4番目の選択もある。

それは、日本人などを含めた「自分達よりもお金を持っている外国人と結婚すること」

というのは、相手が自分たちよりもお金を持っていれば、必然的に自分もそちら側の「世界」のことが知れるし、恩恵を受けられる確率が高くなるからだ。
といっても上手くいく場合もあれば行かない場合もある。

もちろん上記にあげたことを狙っている黒人ばかりじゃないけれど、最低賃金で働いていて、そこから抜け出すのは簡単じゃない。だからみんな宝くじを買って、一発を夢見てる。宝くじを買う感覚でドラッグディーラーをやったりする。

画像2

そう言えばかれこれ10年前の話だろうか。
ブルックリンのブラック・コミュニティーで殺人事件が起きた。普段はマクドナルドで真面目に働いている青年がドラッグ絡みで殺された。母親はなんで真面目に一生懸命働いている息子が殺されるんだ、と涙ながらに訴えていたけれど、息子は確かドラッグの売人もやっていて、抗争に巻き込まれたのか何かだった。

当時マクドナルドの賃金は最低時給だったはずなので、時給7ドルくらいだったはず。そこから税金が引かれるので、手元にくるお金なんて微々たるもの。そりゃ薬でも売ってなきゃやってられない気持ちもわからないでもない。

いやいやいや。
だからこそ教育だよ。

と言ったところで、いわゆる良い学校に入るには「お金」も必要なんですよー。その上での複雑なシステム。正直面倒くさい。普通だったら諦めると思う。

なんでそんなに複雑なの?

というくらい、システムが複雑過ぎる。

そして私立も一応「黒人枠」じゃないけれど、そういうのはあっても、よほど親が意識高くないと難しい上に、こちらも競争率が高いので倍率が半端なく高くなる。

アメリカは奨学金システムがあるので奨学金を申請すれば良いと言うけれど、申請するにも「計算」しなきゃいけなくて、その計算の仕方がよくわからない。難しい。頭がこんがらがる。私立に行かせたいと思ったし、シングルマザーだから必ず奨学金はもらえるはず、といろんな人に言われたけどこの計算でつまずいて申請を諦めた。そんな人、沢山いると思う。 

頼めば助けてくれる人はいるんだけど、とにかくその時点で疲労困憊。

最近ではチャータースクールが増えて、全額無料だから昔と違って教育が行き渡っていると思うし、教育意識の高い親達も増えているのでこれからは変わっていくとは思うけれど、ニューヨーク市に限ってはなかなか難しいとは思っている。

とにかく誰が好んでラッパーやNBA選手、ドラッグディーラーになって欲しい、ましてやストリート・キッズになって欲しいと思う親がいるというんだろう? 

とにかくそうならないで欲しい。そうじゃない道を息子に、そして彼のお父さんに示してあげたいと思っていた。
息子のお父さんは、典型的な黒人貧困層で育ってきているから。

黒人家族の中で大学に行く人が出るって、どれだけ誇り高いことか。

これはね、正直言うと白人と結婚した人にはわからないことだと思う。

だって彼らは自分の子どもは「アメリカ人」として育っていくと思っているから。あたし達のように「黒人」として育っていくのとは、わけが違う。あたし達の不安なんて一生わからない。
スタート地点からもう「違う」んだから。

余談だけど、どうして白人男性と結婚した日本人女性ってあんなにも上から目線になるんでしょうね? 白人と結婚するってそんなに偉いことなのかしら? 自分のランクが上がったとでも思っているのかな? あたしのように黒人と結婚した日本人をバカにしているというか、下に見えているよね? 見下しているよね、正直。
それが今叫ばれている「人種差別」だってわかっていないんだよね。

あたし達は皆、黄色い人達ですよー。
白人と結婚したって、白い人にはなれないんですよー。

もちろんそんな人ばかりじゃないこともわかっているし、素敵な友達もたくさんいるので一概には言いたくないですが、今回SNSでううーむ、とモヤモヤさせることを書いているのは、白よりな人達が多い。

❖ ❖ ❖

さて、この記事(↓)がかなり衝撃的に受け止められているようだけれど、個人的には納得。

あたしがブラック・コミュニティーには上記のようなルールがあるって、いったいいつ知ったんだろう? 知ったからこそ、どうやって息子をここで育てていくのか悩んだんだと思う。

2012年にフロリダでトレイボン・マーティン(当時17歳)が殺される事件が起きた。

当時はがんばってニューヨーク・タイムズなんて読んだりしていたんだけれど、そこにコラムを書かれている黒人ジャーナリストが、ご自身が幼い時や大人になってからも受けた理不尽なこと--タクシーの乗車拒否、警官からの理不尽な職務質問などなど--を書かれていて、さらに自分の息子へ、黒人であるが故に守らないといけない「10コのルール」を書かれていて、これをどうやって息子に伝えたらいいんだろう、と悩んだ。

だってあたしは黒人じゃないし、そういった経験もない。

そう言えばまだ有名になる前のオバマさんも、ニューヨークでタクシーから乗車拒否を受けた経験があると誰かが言っていた。
そんな話はニューヨークに来た当時、よく聞いていて、だからタクシーを止めるなら彼(黒人)ではなくてアジア人のあたしが止めるのよ、と言っていた友達もいた。彼氏はとてもバツの悪そうな顔をしていたとも言っていた。

そりゃそうだ。
大の大人がタクシーを止められずに彼女に止めてもらうなんて。
どれだけ人として傷ついたことだろう。

まだニューヨークに来て間もないとき、どうして黒人男性同士は挨拶の最後に「Man」をつけるのか不思議に思ったことあった。数年後につきあった彼氏(アメリカ黒人)に聞いたら「ボーイ」の意味わかるか? と訊かれた。レストランなどにいる黒人の「ボーイ」のことだ。

ボーイ(Boy)は少年という意味であって、成年男子に使う言葉じゃない。なのに成人している黒人男性に白人は使っている。これは差別の何ものでもない。Disrespectだ、失礼にあたる。だから俺たちは自分たちのことを成人男性としてお互いが尊重して Man と呼ぶんだ。

と言っていた。

❖ ❖ ❖

黒人男性の間で意味もなく警察に職務質問されるという話があるけれど、1度、そういった経験をしたことがある。

まだ息子が小学校1年生くらいの時の話。

当時息子は学校が終わった後、学童に通っていた。
そこにはクラスメイトのKくんもいて、Kくんを迎えにきたお父さんがわざわざ遠回りをして、アパート側まで送ってくれることが多々あった。
同じハーレムに住んでいるし、そんなに大変じゃないし、子ども達だって嬉しそうだしいいよ、と仕事で疲れているのに、いつもニコニコして送ってくれて。

その学童場所から車で帰ると15分くらいなんだけれど、地下鉄かバスを使うと、なんだかんだで40分はかかるので、車で送ってもらえるのはとっても嬉しかった。

その事件が起きたのは、ある冬の日のこと。
冬場は暗くなるのが早い。5時には真っ暗で。危ないから一緒に帰ろうと言われて、いつものように車に乗って、子ども達は後部座席ではしゃぎながらKくんのパパにその日学校であったことを話していた。

話に夢中になってしまったのか、いつも曲がる道を一本手前で曲がってしまった。

ニューヨークの道は一方通行が多くて、曲がって入った道は、本来なら逆方向なので入ってはいけない所だった。

たまたま、本当にたまたま偶然だったのかもしれないけれど、その角に警察がいて、ゆっくりと車に近づいてきた。

Kくんのパパは「黒人」だ。
でも彼は、アメリカ生まれ育ちの「アメリカ黒人」じゃない。カリブ海に浮かぶ島出身の人で、大人になってからニューヨークに来た人。敢えていうならカリビアン黒人。

だけど警察にはそんな情報は関係ない。肌が黒かったら「黒人」だ。

Kくんのパパに緊張が走る。
ゆっくりと丁寧に、警察の質問に受け答えをする。
運転免許証を見せている。
それからほどなくして何事もなかったように警察から「言って良し」と言われ、その場から離れた。

車を動かしてからの気のまずさと緊張感を、どう表現したらいいんだろう。

Kくんのパパはなんともやるせない気持ちだっただろうし、動揺していたと思う。でもそんな素振りは見せないようにしていて。

あたしはあたしで、どう彼に声をかけたらいいのかわからなかった。
でも良い機会だから日頃から疑問に思っていることを訊いてみた。

あたしはあなたがアメリカ生まれ育ちの黒人じゃないことはわかっている。カリブの人。あなたの息子だってアメリカで生まれているけれど、お母さんはハイチ人でしょ(ブルックリン育ちではあるけれど)。
あたしの息子だって、アメリカで生まれてたけど100%黒人じゃない。半分は日本人の血を引いている。
だけど、他の人から見れば、あなたも奥さんも、息子くんもウチの息子もただの黒人。
本を読んでこの国の黒人に対する差別についてはわかった。でもあたしはこの国で生まれ育っていないし、なによりも黒人じゃないから、今日みたいなことがあったら、息子にどう説明したらいいのかわからないの。

子どもが5歳や6歳になったら「他人との違い」に目を向けるようになって、自分のアイデンティティーについて悩むときがくるよ、と、息子より3歳ほど年上の子どもがいるママ友から言われたことがある。

息子が「僕は何人なの?」と訊いてきたらどう答えようか、あまたの中でいろいろとシュミレーションをしていた。でも、そんな質問はされなかった。

それと同時に、この国の黒人に対する差別についてどう伝えたらいいのかずーっと悩んでいた。だってこの事実を知ったらどれだけショックだろう。自分もそういう目に遭うかも知れないって思うかもしれないと考えたら、どうやって伝えるのが正しいのかわからなかった。

あなただけは同じような目には遭わないわよ、とは言えないと思ったから。

画像1

しつこいけれど、あたしは日本人でこの国で生まれ育っていなくて、本を読んで知っているだけで黒人たちの苦悩を肌で体験したことはない。
だから息子が小学校3年生か4年生になった頃に、息子のお父さんに説明してもらうのがいいのかな、と、どこかで思っていた。
ストリート・スマート(ストリートでの振る舞い方)とか、彼らがどういう扱いを受けてきたのか、とか。

ただ息子のお父さんは典型的な低所得者層出身なので、白人に対しての恨みつらみが大きい。何かうまく行かないことがあると「俺たちは奴隷だった」と言うので、息子が他人種(主に白人)に対してネガティブな感情で支配されるのはいやだったから、もっと大人になってからのほうがいいのかな、と思ったり。

そう思い悩んでいたときの、Kくんパパの事件。
Kくんパパのお答えはこうだった。

息子に日本の歴史を学ばせるんだ。だってそれは彼を作っている一部だからね。
もちろんアメリカの歴史も黒人の歴史も伝えるんだ。
僕は息子にカリブ海に住む人達の歴史、カリブ海を支配したイギリスの歴史も教えているよ。
人は歴史から学ばないといけないから。

あたしはこの言葉を今でも金言だと思って、息子に歴史の勉強しようね、と、ことある毎に言っている。

幸い息子が通っていた小学校は多様性重視の学校だったから、いろんな人達がいてほんのちょっとした時間に、例えば1年生になった時、朝の時間にハローにあたるいろんな国の言葉を歌にして覚えたりしていた。
余談だけど、日本語でハローって何ていうの? と訊かれて「コンニチハ」にしておきました。他にもスペイン語、インドの言葉、ドイツ語、フランス語、ユダヤ語、中国語など結構バラエティーに富んでいた。

確か息子が3年生くらいの時かな、思い詰めた顔をして

「僕は黒い人なの? お父さんも黒い人なの?」

と訊いてきたことがあった。

あたしはこの時に「うわ、ついに来た!」と思ったし、一体誰からそんなことを言われたんだろう? とも思ったり。

「あのね、肌の黒い人なんていないよ。あなたは茶色でしょ? お父さんも茶色だよ」
「じゃあ、お母さんは白い人なの?」
「お母さんは黄色い人です」

と言ったら、息子の目が点になっていた。

その後、何をどう話をしたのか覚えていないけれど、息子なりに悩んでいることだけはわかった。
4年生になったら今までよりも黒人の友達が多くなって、ああ、やっぱりそういうことなのかな? と思ったりもした。つまり、肌の色でみると息子は黒人だし、彼らといる方が精神的に落ち着くのかな、ということ。

あたしとしては、息子には彼のお父さんのようにしつこく白人に対して、このアメリカ社会に対して恨み辛みを持って欲しくなかった(気持ちはよくわかる)。もっと大きな目で世界をみて育って欲しいと思っているから、日本という国を知っていることは彼にとって大きなアドバンテージではあるな、と思っている。

だけど、そのことで彼のバックグランドでもあるアメリカ黒人の歴史がおろそかになってもいけないから、そのバランスが難しい。

なので日本に帰ったときにたまたまやっていた『私はあなたのニグロではない(I'm not your negro)』という映画を一緒に観た。
*ニグロと言う言葉は差別用語なので、一般的には使えません。ニガーしかり。

観て良かったと思った。
あたしが息子に伝えたいことが、ここに詰まっていると思った。
黒人の歴史とともに彼ら黒人の思いを、この映画のベースとなった原作者でもある作家のジェームス・ボールドウィンが淡々と、時には感情的に語っている。彼の時代の黒人が受けた出来事を。

この映画の中で、たくさん印象に残っている台詞がある。

「黒人の憎しみの源流は、現実に受けた不当な扱いに対する怒りや悲しみ。白人の憎しみの源流は、自らが抱いた幻想の恐怖。」

この言葉が、今の人種差別の全てを物語っていると思った。
どうして黒人と白人が相容れないのか。

息子にこの作品の感想は聞いていないけど、何かしら心に残ってくれていれば良いと思っている。

❖ ❖ ❖

このツイートを見たときに、これは息子に見せないといけない、と思って見せた。

息子は最初なんでこれを見なきゃいけないの? という表情をしていたけど、話が進むにつれて、真剣に見て、見終わった後にこう訊いてきた。

「それで僕に何を伝えたいの?」と。

動画の中で、これからの10年後だって変わらない! と言っていたけれど、そんな「変わらない」未来は望んでいない。だから、どうしたらいいのかを知るために、歴史を学んで欲しい、とだけ伝えた。

そこでやっと息子は、なぜあたしが口酸っぱく歴史の勉強をしろと言っていたことがわかったようだった。

❖ ❖ ❖

今、SNSでいろんな動画がアップされていて、全てを観ることはできないと思う。
正直言うと、彼らのネガティブなパワーに引きずられるから、ほどほどにしておいたほうた良いと思う(経験者は語るというやつです)。

ただ、彼ら黒人がなんで怒っているのか、何を求めているのか、ただそれだけはわかって欲しい。

彼らは人として扱って欲しいんです。
「平等」である事を望んでいるんです。

「そんなのフェアじゃない!」って、ハーレムにあった某保育園でボランティアしていた時に、3歳の男の子がよく叫んでいた。

「人生なんて不公平さ(Life is unfair)」と、ディレクターは言っていたけれど、15年経った今では「不公平だからこそ、どうしたらいいのか両親と話し合って」と言って欲しかったと思う。
子どもには未来があるんだから。

❖ ❖ ❖

さて、一口に「黒人」と言っても、そこにはいろいろな背景があるので、正直一緒くたにはして欲しくない。

だってあたし達だって、中国人と韓国人と日本人を一緒くたにしたらイヤでしょう? アジア人でまとめて欲しくないでしょう?

それと同じで、彼ら「黒人」だっていろいろな背景があるんです。

Kくんのパパではないけれど、例えばジャマイカで生まれ育って二十歳を越えた頃ニューヨークにやってきた「黒人」と、先祖代々からこの土地(アメリカ)で生まれ育った「黒人」とではメンタリティーがまったく違うんです。

ジャマイカで育っているからアメリカ黒人ほどネガティブじゃないし、悲壮感もない。もちろん人それぞれだけど、アフリカから来たアフリカ人だってまったく「違う」。

だからあたしはオバマさんのことを「アメリカ初の黒人大統領」って紹介されたときの違和感は半端なかった。オバマさんのお母さんは白人で、お父さんはケニア人だから。それにオバマさんはインドネシアでも育ってきているし、ハーレム生まれ育ちでハーレムしか知らないハレーマイトとはまったく違うと思うんですよ。

そういう人達から生まれた子ども達も、食べるもの、育つ環境で違ってきます。肌の色が「黒い」と言っても。

息子だってハーレムに住んでいるけれど、日本食で育ってきているし、日本人とのハーフの友達も多いし、何よりも日本語を話します。

こういうことを全く無視して「アメリカ黒人」とくくるのって、どうかと思うんですよね。

10年毎に国民調査があるけれど、人種を書かなきゃいけない欄があるけれど、あたしはいつも「アメリカ黒人」と「アジア人」にチェックしている、息子の場合。こういう場合、どのようにカウントされるのか問い合わせしてみたいな。

❖ ❖ ❖

ハーレムに住んでいるアメリカ黒人たちは、ハーレムという街にとても誇りを持っている。

画像3

あたしがまだ息子を妊娠する前からハーレムにある某雑貨屋さんでバイトをしていた時のお話。

そこのオーナーは黒人女性だったけれど、ジャマイカ人。
そしてデザイナーは日本人女性だった。

売っているものが黒人女性の琴線に触れるものだったのか、彼女達はディスプレーを見てウキウキわくわくしてお店に入ってくる。でもそこにいる店員は中国人とおもわれるアジア人女性がいる。

ハーレムにある私たちの素敵なこのお店で、どうしてシスター(黒人女性)が働いていないの?

というがっかり感を思いっきり顔に出し、そして二言目にはこう言うのだ。
「このお店のオーナーは?」と。
「黒人です」と言うと安心してお店の中をチェックする。

一体このやりとりを、何度したことだろう。

お店に入ってくるなり「黒人経営のお店なの!?」と叫ぶ人もいた。

きっと自分達のコミュニティーの小さいお店をサポートしたいという気持ちと、こんな素敵なお店がやっとハーレムにできた! という嬉しさと誇り高き気持ちからだったと今ならわかるけれど、当時は本当にうんざりして、ある日、こんなことを言ってみた。

「もしも違う(黒人経営じゃない)と言ったらどうなるんですか?」と。

彼女はみるみる怒りを表して、ちょっと身体が震えていたと思う。

「あなたには絶対にわからない。私たち黒人が、このハーレムに、125丁目にお店を出すことがどれだけ誇り高いことかなんて!」

その後も彼女は何か言っていたけれど、怒って出て行ってしまった。
黒人がお店を持って経営することがどれだけ大変なのか、とか、黒人経営のお店でしか物は買いたくないとか、確かそんなことを言っていたような気がする。

それに対してあたしは、息子を出産して半年後くらいでブラック・コミュニティーに住むことに疲れていて、ちょっと毒づいていた時期だったから、黒人経営のお店でしか買わないっていうんだったら、大好きな某ブランドのCEOは白人じゃないのか? あそこのフライドチキンだって黒人経営じゃないだろう? ふざけんなって思っていた。どうしてそう言い返してやらなかったんだろう、とまで思っていた。

でも今だったら彼らのジレンマや葛藤はよくわかるから、にこやかに笑って対応していると思う。

125丁目まで、あたし達から奪わないで!

きっと彼女はそう言っていたに、違いない。

❖ ❖ ❖

さて、こちら↑でも書きましたが、あたし個人としては今の状況を歓迎しています。

トランプが大統領になった時、この国はどうなってしまうのか、未来はない。本当にお先真っ暗で鬱になってしまった。
だから彼の大統領就任式には5番街を42丁目から56丁目角にあるトランプタワーまで歩いたよ(実際はそこまで歩けなかったけれど)。

だけど今は、トランプはこれをやるために大統領になったんだと思う。

これとは?
パンドラの箱を開けること。
アメリカのパンドラの箱とは、今まで人が見て見ぬ振りをしていた人種差別について目の前に提示すること。

だって#Me Too 運動だってトランプが大統領になってから起きたことでしょう?

Me Too 運動と同じで#BLM 運動は簡単には終わらないと思う。
どこが着地点になるのか全く予想がつかないけれど、コロナと相まって今までのシステムが大きく変わることだけは確か。

少しでも、息子を含めた「黒人」の地位が変わることを切に願う。


画像4

英語ですが、こちらのコラムが非常に泣けました。
黒人ママの書いたコラム[When My Beautiful Black Boy Grows form Cute to a Threat]です。もう共感しかない!

最後に『黒人じゃないママ』へのメッセージがあります。

息子の肌の色をみても怖がらないで。
もしも何かあったら代弁者として、息子の正義のために一緒に戦ってくれませんか?
(他にも数点あるけれど、涙が出てくるので訳せません。英語が分からない場合、自動翻訳にかけてでも読んで欲しいです)


長々と書いてきたけれど、あたしに常につきまとっているのは「恐怖」と「不安」

どうやって息子を育てるのか、人として。
そしてどうやって黒人であることを伝えるのか。黒人であるがゆえの不公平さをどうやって知らせるのか。そしてどう賢く生き抜いていくのか。

中には黒人であることを逆手にとって成功している人もいるよ、と教えてくれる人もいるけれど、その人は「成功者」であって、意志が強い人。皆が皆、その人のようにはなれない、弱い人達なんです。

❖ ❖ ❖

これを読んで、あなたがどう思うのかは、あなた次第。
あたしはただ今まで経験したことの一部を書いただけです。

もしも何かを思ったのなら、偽善でも良いから何かしらの行動を起こしてもらえると嬉しいです。

過去に人種差別をしていたとしても、それは過去の話。
差別をしていた、と気づくだけでも大きな一歩だし、あたしだってブラック・コミュニティーが、ブラック・カルチャーが好きといいながら、今振り返れば彼らに対して知らない間に差別行為をしてきたと思う。

イコールな、平等な社会を作るのは簡単じゃないと思うけれど、未来を見据えて「あなたができること」をやっていこうじゃないですか。

それがマーチングをすることだったり、本を読んだり映画を観たりすることかもしれない。

今、Netflixなどでも黒人の歴史や不公平な事件に焦点を当てた映画が公開されているけれど、個人的にはこちらをオススメします。

この映画も観ていて心苦しくなったけれど、良い話でした。
彼女のBFが白人というのも今どきな設定でよかった。


ハーレムについて次回書くのなら、愛らしい黒人のおっちゃんやおばちゃんの話にしたいものですわ。

2006年生まれのアメリカ人とのハーフの男の子のいるシングルマザーです。日々限界突破でNY生活中。息子の反抗期が終わって新しいことを息子と考えています。