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Routine ルーティーネ。継続のたいせつさ

『“halbeハルベ(半分)”飲むか?』
相変わらずだなと笑みがこぼれる。

1リッターの半分という意味でもちろん水ではない。職人たちにとっては水のようなものだが瓶ビールをこのように表現する。

ご存知のように、ドイツには数えきれないほどのビール会社がある。ことバイエルンにおいてはなおの事。

スーパーなどのビール売り場に行ってみるのも面白いと思うが、その土地。バイエルンという意味ではなく小さな町単位で置いてある品揃えが変わってくるのだ。

私もドイツのプリーンに住んで何年もして、プリーンに醸造所があるのか、と驚いたほどだ。

『うん、お願い!』
親方の誘いを断るわけもなく、朝から呑む。

パン職人たちの朝ほど早いわけでは無いが、朝4時くらいから仕事がスタートする。
朝食が始まる前に製造をほぼ終わらせる。例えば、最後に窯に入れるものを入れてしまってから、朝食をとる、といった感じだ。

大まかにいうと朝食後は掃除の時間。
実に仕事の半分くらいは掃除にあたる。

これもその店の親方によるところがあるが、親方が綺麗好きなら、自ずとそのようになる。

修行時代、親方に言われて印象に残っていることのひとつに
『“親”のようになるし、“親”を超えることは中々ない』

親方と弟子を親子に例えた言葉だが、職人の世界においてこの言葉は非常に良くあてはまる。
毎日のように同じ釜の飯を食い、長い時間密な時間を過ごしているわけで、お手本となる親方が“どうであるか”が日常となり、それが“普通・当たり前”になってしまうからだ。

そういった事を踏まえると、この親方に育ててもらって良かった、と帰国してから強く実感しているのである。

仕事の速さ。というものは、清潔・美味さ・綺麗・正確で、怪我をしないという事だと彼の背中を見て尊敬し少しでも近づきたい一心だった。

ゲヴュルツカンマー(スパイス倉庫)でstossen(シュトーセン:ぶつかる)する。
※ビール瓶をぶつける、つまり乾杯するということ。

Geselle(ゲゼレ:職人)を含めて、知っている弟子たちはひとりもいない。

『サラミのケーシングとか頼みたいんだけど。』

『明日、朝来るから頼んどくわ。どれだけ?』

個人店が多ければ商売が成り立つ、ということで、スパイスや人口ケーシング、塩、天然腸、とありとあらゆる卸業者が早朝から店を回っている。

とりあえず、親方の機嫌が良ければ掃除前に一杯。
とても機嫌がよければ掃除の途中にも一杯。
掃除が終わってもう一杯。
と私はほろ酔いになって帰るなんてことも多かった。

そんなことを思い出しながら、今日本でこういうものを作っているだとか、こうした方が良い、ああした方が良い、なんて話し込んでいると親方が気になることを言い出す。

『屠畜はしなくなったよ。』

ついにクンツにもその波が来たのか、と実に感慨深かった。
私の唯一得意としない仕事だったが、職人としての責任やプライドが強くなる仕事でもある。

命を頂いていると、体で実感するのだ。
そして、粗末にできない、という責任感が自然と溢れだし、職人としてのプライドを持ち始めるのだ。

時代の流れを感じたところで、掃除の邪魔をしてはいけないと思い

『ちょっとキームゼー(キーム湖)見てくるわ』

おカネも何もない修行時代の週末はよく湖畔まで散歩に行き、途中で買ったパンを湖を見ながら食べていた。

『すぐ帰ってくるんだろ?帰りに車で乗せていくから寄りなよ』


まるで“旧友”の様子でも見に行くかのように、プリーンに着くと湖を見に行く。
当たり前のごとく、ルーティンのように。

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