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Kopffreiheit おカネとは無縁のところに本当の豊かさと“ゴージャス”をみた

束の間の時間だった。

湖のほとりでゴードンたちの子供アーロンと共に過ごす。アーロンはひとり浅瀬で遊んでいる。

長閑な昼下がりといった感じだが実際には18時くらいで、ヨーロッパでは段々と日が長くなってくる

時期でもある。

ドイツに始めてきた頃などは、夜10時頃まで明るい外に初めはワクワクもしたが眠れないため次第に苦痛になってくる。

たまのドイツでこうして過ごすのは、再び新鮮さを感じ『ヨーロッパに来た感』を味わえて中々いい。


短くもなく、長くもなく、ホッと一息つくには丁度いい時間だった。程なくして帰路につく。

こうした『時間』からも今の日本には無い『豊かさ』を感じてしまう。

豊かさ、という言葉以上の『豪華さ』にも似た時間にかかるお金はアイス代くらいで、人々の生活を考えながら作られた町が生み出す生活の豊かさは、何を第一に重きを置いているのか、国や自治体の考え方が現われているように感じてならない。


その豊かさからくる人間の余裕を表現したかのような翌日であった。

ゴードンたちは平日の為、通常業務に追われる。

いつものようにカトリンは、せっせと縦横無尽に動き回っている。

そんな中、ゴードンは

『今日は友達の誕生日会にいくぞ』


夕方、店が閉まるまで、あくせく働いたゴードンたちは急いで着替え、車に乗り込む。

見慣れた車に苦笑いした。

マイスター養成施設まで乗ってきていたあの当時の車だった。

ヨーロッパでは当たり前の光景だが車は10年で買い替える、なんて事は無い。大事に何十年乗るのはザラだし、乗らなくなっても今度は中古車として安価で販売され、免許取り立ての若者の愛車になる。


果たしてひたすらに買い替えていく、買い替えていかなければならないような制度が今の世の中で言う『環境にやさしい』となるのだろうか。多くの人々がそれを感じているのではないだろうか。


背の大きなゴードンにとって、苦痛なほど窮屈な運転席だ。

飛行機も含め、一体誰仕様?と思うのだが。

日本人の平均的な体形で丁度いいくらいなのに大男の多い欧米の人にとってこれは無理だし、まして飛行機のエコノミークラスなら隣の席の人まで圧迫される。


ゴードンも目いっぱいシートをダウンさせるも天井すれすれに座っている。

『ギリギリだね!』

『いや、ギリギリに頑張ってしているだけだよ』

苦笑いしながら、普通の姿勢にして見せた。

首を左に倒し、右耳が天井についている。


日本のように、ほとんどが上にばかりある信号機なら信号見えないだろうな、なんて一瞬頭を過ったため、思わず吹き出した。ゴードンも、構造に文句を言いながらも、その言葉は愛車への愛情に満ち満ちている。


誕生日の会場はテューリンゲン地方に入ったところだと聞いた。

それらの地域と言えば、ネオナチなど極右団体が有名で少しためらう自分が居た。ドイツに滞在していた時、ウルムにある旧強制収容所を見学に行った時も、極右団体による外国人への暴行などの実際の被害写真が飾ってあった。そんなイメージしかない。あとはソーセージのテューリンガーくらいなものか。


とはいえ車で少し行ったところが会場なのだろう、と高を括っていた。なぜなら、平日通常通り夕方まで仕事をしてそれから動き出すのだから。


アウトバーンに乗り込むと、アベレージ150キロくらいで突き進む。ゴードンの古い“相棒”はびくともしない。

結局小一時間はアウトバーンを走り出発から1時間30分くらいで目的地に到着した。うっそうと茂る林の中、一本道を進むと途中から石畳の道になる。

本当にここが会場なのか?

としばらく進むと、先の方に無造作に車が30台ほど停まっていた。

パーキングのすぐ脇に2階建ての小さな建物がありそこを抜けると、林に囲まれた芝生広場があった。

大勢の人で賑わっていた。立ち話をする人、こういった会場には定番の Biertisch とBierbank(長テーブルと長椅子、ビール会社や、ケータリングサービスをする業者が貸し出すことが多い)それぞれ飲み物を片手に盛り上がっている。

以前、バイエルン州のオクトーバーフェストで見た、酔った若者がBiertisch ビアティッシュを神輿代わりにし代わる代わる神輿に乗る光景はない。

40歳前後の男女は節度のある盛り上がり方をしていた。

その中でひときわ目立つ格好の男が今回の主役だ。

サスペンダーにまるでコメディアンのような恰好をした彼の誕生日会であり、日本とは違い主役がパーティーの主催者となる。

すぐにビールを頂き乾杯した。

こういった場所は慣れないし、積極的に話に行くタイプでもないのでしばらく周りを見渡しながらゴードンとカトリンの近くでちびちび飲む。

そこに先ほどのサスペンダーの主役が現われ

『今日のメインは豚の丸焼き。じゃないぞ!牛のももの丸焼きだ!』

豚の丸焼きを作るのにも結構な時間を要すが、どれだけ時間をかけてるんだ??

メニューの選定、そして彼の恰好や表情から彼の陽気で楽しいこと好きな部分をすべて表している様だった。

自分の誕生日だがみんなにビックサプライズで楽しんでもらいたい、といった感じだ。


掛け声と同時にメインの牛もも丸焼きが登場し会場の盛り上がりはピークに達した。

その流れでぞろぞろみんなで写真を撮る。

気付けば前面にはタトゥーだらけの男たちが陣取っていた。


タトゥーからではないが、服装からやはり右寄りの思想を持っているように思えた。ただ一人のアジア人であったがゴードンの連れ、ということで勿論何事もないし、むしろ仲間意識が芽生え好意的であった。



盛り上がりの最高潮を迎えた後は、一気に落ち着いた雰囲気になる。それを見計らったかのように太陽は沈み、辺りは真っ暗になった。

二人で話し込む人、まだ飲み足りない人、そしてパラパラと帰りだす人。

静かで『豪華な時間』をここでもか感じたのだった。


しばらくゴードンは学生時代の友達と話し込んでいた。

酔っぱらってはいないが、集中すると夢中になりすぎるゴードンを度々カトリンが制止し私たちも帰路につく。

ある普通の日常。仕事終わりに何時間もかけてパーティーを往復する。パワフル、と一言で済ませられないような、心の余裕を強く感じた。


きっと私が居なければまだまだ会場に残っていたのではないかと思う。

カトリンが明日の早朝私がバイエルンに旅立つのを考慮してくれたのだろう。


とてつもなく大きな愛情に包まれたゴードン家での滞在だった。

感謝の気持ちとともに落ち着いた心になっていき、何とも言えない心地よさだ。


今はまだ明日『バイエルンの洗礼』を受けるなんて知らない自分がそこにはいる。


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