見出し画像

本荘ごてんまりにはなぜ房が付いているの?

こんにちは。秋田県由利本荘市でごてんまりを作っています〈ゆりてまり〉です。

先日お客様から、「なぜ本荘ごてんまりには房が付いているんですか?」と質問を受けました。
なぜなんでしょう。

このデザインを思いついた人に聞いてみたいですね。
しかし残念ですが、まりの三方に房をつけることを考案した人はもうこの世にいません。

齊藤ユキノさん(旧本荘市功労者・後町)5月23日永眠されました。昭和34年以来、長年にわたり、ごてんまりの作製に携わり、全国でも珍しい三方に房をつける製作方法を考案されました。また、内職工芸組合を設立し、積極的に講習会を開催するなど、ごてんまり作製者の拡大と技術の継承に努められました。平成15年旧本荘市産業功労
者顕彰。81歳。

平成23年6月15日号『広報ゆりほんじょう』

本荘ごてんまりの創始に関する調査をする中で、生前の齊藤さんに話を聞いたという人がいます。

齊藤さん自身の言葉ではありませんが、彼女に直接話を聞いた研究者の石川恵美子さんによると、「この薬玉から、まりの三方に房を付けることを思いついたのではなかっただろうか」(p.55)と、薬玉からヒントを得た可能性を指摘しています。
薬玉はもともと錦の袋に漢方薬や薬草を入れて造花や糸で飾るもので、厄よけや魔よけになるものです。
齊藤さんは長田憲一氏所蔵の薬玉や、当時古雪にあった自由亭や松芳桜などの古いまりを見て歩き、研究を重ねていたそうです。
確かに薬玉の中には、本荘ごてんまりのように三方に飾りの房がつけられたものもあります。

石川さんによると、齊藤さんは「おそらく昭和三十九年頃から、三方に房を付けたまりを考案・作成したのであろう。」(p.55)とのことでした。
詳しくは石川恵美子「『本荘ごてんまり』の歴史と今日的課題」(『由理』第四号 2011年本荘由利地域史研究会)をご覧ください。

この昭和39年頃には、すでに本荘市内にはいくつかごてんまりのグループが存在していました。
石沢のごてんまり講習会では、市の指導によってまりに房を付けるようになった事例があるそうです。
下記にご紹介するのは、昭和39年2月に行われた石沢婦人会のごてんまり講習を受けたという、須田キヨさん(大正15年生まれ)の言葉を石川さんが聞き取ったものです。

(以下聞き取り内容)
もみ殻をちり紙でくるんで木綿糸を巻いて、しつけ糸を巻いた。ちりがみの肌が見えなくなるまで糸を巻く(糸をかける)ことを教えられた。その上にリリヤンをほどいて刺しゅうした。最初は房のないものを作っていたが、小松健三さん(当時石沢公民館主事)に房を付けた方が売れると言われ、房を付けて、東京で売るまで発展していった。」

石川恵美子「『本荘ごてんまり』の歴史と今日的課題」p.40-41

昭和39年2月15日の『本荘時報』の記事に、14日に行われた石沢婦人会による第2回のごてんまり講習会が紹介されているのですが、写真のまりには下方にだけ房がちょろりと付けられています。
市の指導があったように、当時は「房を付けたほうが売れる」という事情があったのかもしれません。
まりの三方に房を付けるというアイディアは、時代の好みに即したうえで、まだ誰もやっていないオリジナリティをも兼ね備えた、実に稀有なものだったのかもしれませんね。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?