男鹿の元漁師に言われた...「みんな心はばい菌だらけ。だが俺ら漁師はな、年がら年中塩漬けさ、だからばい菌はいないよ」と。
2018年7月、初めて秋田県男鹿市・船川の町を歩いた時、ふと気になり最初に足を踏み入れたのがマリン雑貨を取り扱う「いちりき屋」だった。元漁師である店主は、その日も力強く一つ一つの商品の特徴を語ってくれた思い出がある。その後の2018年9月、自分は地域おこし協力隊として男鹿に移住。2020年7月、出会いから丸2年が経とうとしている今。再びお話を聞きに伺った。
若き日は遠洋漁業、その後30年間男鹿・椿で食事処営業
「いちりき屋」オーナーの船木守(まもる)さんは現在75歳。5人兄弟で男の3番目。一旦は遠洋漁業の漁師としてベーリングやオホーツクの海で奮闘してきたが、その後は男鹿で親の代からの家業を継ぎ、加えて2014年までは男鹿の椿と言うエリアで食事処「いちりき家」も切り盛りしていたと言う。
「(飲食を始めたのは)思いつきだった。たけえやすいは俺の勝手だ。うそつかないで、正直にやってれば、お客さんはつく。」
そう語る守さんだが、過度に男鹿のためや観光振興のためと言うことはなく、食事処はあくまでも生きていくための手段の一つだったと言う。
学生時代、上野で待ち合わせをした時に、人の多さに「あー、もうごちそうさま」と思ったと語ってくれた。そして、その経験からも、できる限り不自然体は少なくして、自然体をできるだけ多くする。そういう生活感、友達との交流を大事にしたいと思ったそうだ。
いちりき家時代から飾られ、いちりき屋へも掲げられている、表札にこんな言葉がある。
「己をさらす、嘘は言うな、一生懸命働け」
ある時食事に来たお客さんが、この表札を譲ってくれと募金箱に一万円を入れていったそうだ。守さんは、その一万円を今も使わず保存している。
厳しいことも言い、時に周りが言わなそうなはっきりとした意見も言う。その姿勢、振る舞いが、お店や商品に表れていたのだろう。
(椿で営業していた、食事処のいちりき家)
言うは易し、行うは難し。言葉踊りをしてはいけない。
いちりき屋に並ぶ商品は守さんが父の代から受け継いだ代物や、守さん本人が集めた世界各国のマリン雑貨が多い。ほとんどが一点モノであるが、その中でも例外はこの「なまはげうきこ」だ。
1976年から1977年にかけて日本でも行われた200海里規制により、北洋漁業は急激に落ち込み、父と営んでいた漁具の卸の会社も大量の在庫を残したまま、従業員の解雇を余儀なくされたと言う。
その時に残ったのが漁網に取り付けられる浮子。2006年になまはげ人形にするアイデアを思いつき、こつこつと制作してきたらしい。
そんな悲しい過去を思い出すものであることから、特に商品として売り出す予定はなかったと言うが、なまはげさんの精神を吹き込み、せめてもの償いとして浮子に新たな役割を与えている。
隣のゴミも拾え、見られてなくても拾え、人様に金を使ってゴミを拾わせるな。
ちょうど守さんと話す数日前、自分は「7つの習慣」と言う本を読んでいたのだが、その中で「人格の成長・形成無くして、人に与えることも、社会に還元することもできない。」と言うような記述がある。
守さんと話していると、端々にこの息遣いを感じ、体現まではいかなくとも、そこを目指している方なのだと感じさせられる。
遠洋漁業船に乗っていた時代から、天気、海流、船の上での危険性など、あらゆることにアンテナを張り巡らせ、絶えず情報収集を怠らなかったという。
陸に戻った今も同じで、暇があればニュースを見、チャンネルを変え、地球と言う船の行く末、乗組員が危険にさらされていないか気にかけてくださっているのだろう。
地球高温化(※発言ママ)や海のプラスチック問題、天下りや、なまはげの商業化など。批判も大いにし、問題意識を持ちながらも、物腰は柔らかく、自らがまだまだ未熟で、学ぶことは未だ無数にあるとしきりに言う。ただ、みんなの心がばい菌だらけでも、漁師は年中塩漬けだから、ばい菌はいないよ!とのこと(ジョークだと言いながらも、心が腐らないようにしていたいと言う思いは強く感じた)。
怖いものを遠ざける、自分と違うものを消す、そういうやつは一人前にならない。
取材中、突然、守さんが「虫は苦手か?」と聞いてきた。「まあ、そうですね。」と答えると、そういうやつは一人前にならない。と、一喝。
大きな生態系で考えた時に、なぜその生き物が存在しているか。
仕事や生活で関わる、全く意見の違う人はなぜそう考えるのか。
ここまで、思いをめぐらせて考えられないのか?と言いたかったのであろう。
確かに、はっきりとものを言う守さんにも関わらず、近所でも遠方からでも、様々な人がお店を訪れる。現に、ひょっと男鹿に訪れた僕も、普段全く興味を持たないマリン雑貨のお店にひかれ、しばし立ち話をしてしまったのには守さんの多様性を受け入れる姿勢、雰囲気が影響しているのかもしれない。
官民一体でなければ成功しない。押し付けではなく相談で。
インタビューも終わりに差し掛かった時。「疲弊していく男鹿は人のせいだ。人災だ。」と切り出した。自らも30年間男鹿の観光に携わり、住んできたにも関わらず、清く自分のせいだと言える素直さに驚かずにはいられなかった。
しかし、さらに続けてこう言った。
「(今日、たくさんの問いかけに答えてきたけれど)これが立派だとか、素晴らしいからとか思ってない。もしそうであれば、もっと俺に人が寄り付くはずだもの。逆に離れていく。それだけ世の中と自分が違うということ。みんな周りは役所的人間、マニュアル的人間ばっかり増えてる。言われたことをその通りに成し遂げる人ばかりが評価される。」
「俺はそう言う奴には反論して『へばなした(だからなんだ)』といいたい。変わり者、ひねくれ者と言われるんだ。例えいっぱしの理論持っててもだよ。だから、俺の真似をしろとは言わない。実際にやるとなれば、官民一体でなければ成功しない。語り合う時が今だ。押し付けではなく、相談で。」
これから男鹿に住み、観光や飲食に携わりたいと思っていた自分にとって、一つの心の持ちよう、先人達の姿勢を垣間見たインタビューだった。
マリンショップ「いちりき屋」
秋田県男鹿市船川港船川芦沢35
☎0185-24-2201
JR男鹿駅から約500m・徒歩5分
撮影:栗原エミル
ドイツ生まれ京都育ち、人の生き様を写す映像作家 23歳。
1年間のキプロスでのフィルム留学を経て、2020年に「シネマ表現×社会問題」を掲げフィルム・スタジオを起業。
現在は秋田市で活動中。
Twitter:@emil_film
e-mail:ewittern@gmail.com
著:男鹿市地域おこし協力隊 大橋修吾(Twitter:@shugoohashi)