箕輪編集室メンバーとして 友人として 1人の大学生として

箕輪さんのセクハラ問題を受けてこのサロンを退会することを選んだメンバーのnoteが大きな話題になりました。

そのnoteを受けて僕なりに今の考えをまとめたくなったのでこの記事を書きます。

なるべく読みやすい文章を心掛けますが、読みづらい・よく分からない箇所等ありましたら遠慮なくコメントしていただけると嬉しいです。

僕は3つの立場の人間としてこの話題について考えています。

箕輪編集室メンバーとして

はじめに僕の箕輪編集室に対しての想いから話します。

僕が箕輪編集室に入ったのは今年の3月です。今は入会して3ヶ月目ということになります。

箕輪編集室に入ったおかげで僕の人生は変わりました。

✔︎自分が人生をかけて成し遂げたい目標が見つかった
✔︎初めて自分が心の内側をさらけ出してもいいと思える居場所ができた
✔︎日々悩みながらも生きることを全力で楽しんでいる大人たちに出会えた
✔︎自分が心から信頼できる仲間に出会えた

今少し考えただけでもこれだけの変化がありました。

ここで1つ箕輪編集室の外側の人に知っていただきたいのは、僕のいずれの経験にも箕輪さん本人が関わったわけではないということです。

みずほさんのnoteに対するコメントの中で、
「関東在住のサロンメンバーなのに1度も箕輪さんに会ったことないのかよ」
という内容のものが多くみられました。

確かにオンラインサロン外の人からみたら、サロンオーナーと直接会えないサロンなんて何の意味があるのだろうと思うかもしれません。

しかし、これこそが僕の考える箕輪編集室の最大の魅力です。

僕にとって箕輪さんという存在は集合場所です。
この集合場所には、年齢も地域も職業もバラバラな1400人を超える仲間がいます。
箕輪さんが立てた旗に興味を持ったメンバーと一緒に活動出来ていることこそが、僕がこのサロンにいる理由です。
よく言われる「信者」ばかりではないことを理解していただければ嬉しいです。
(誰かを無条件で肯定する人を否定するわけではありません。とても素晴らしいことだと思います)

話を今回の騒動に戻します。

箕輪さんの文春砲を受けて、サロン内の共通認識として「この話題にはなるべく触れない」というものがあったのは事実だと思います。(これは僕の主観です)
僕としても、わざわざ声をあげてことを大きくする必要はないんじゃないかと思っていました。
問題自体は深く考えずに、早く騒動が収まればいいな、ということだけを考えていました。

状況が少しずつ落ち着いてきている中で、みずほさんのnoteが出ました。
後ほど詳しく書きますが、僕はそのnoteが出ることを事前に本人から聞いていました。
ですが、ここまでの話題になることは全く想定していなかったです。
それだけ問題が起きた組織内部の人間の声は、世間に求められていることなのだと気付かされました。

みずほさんのnoteを受けて、箕輪編集室に対する見方はより厳しくなったと思います。
「箕輪編集室」に所属していることで、家族や友人から冷たい目で見られることも増えるでしょう。
実際に、外部の方々からの批判の声によって傷付いているメンバーもいます。
その事実は僕にとっても非常に残念で悲しいことです。

ですが、彼女のnoteが与えた影響は、箕輪編集室にとっても自分たちを見直すとても良い機会になったとも思います。
実際に、今までこの問題に関して声をあげていなかったメンバーが自分の考えを発信するようになったり、(声をあげないという選択を否定する気持ちは全くありません)箕輪さん本人の口からも心からの反省の言葉が述べられました。
これらは、みずほさんのnoteがなければ間違いなく起きなかった変化です。

変化には必ず痛みが伴います。
しかし、この痛みは箕輪編集室がさらにより良いサロンとなっていくために必要な痛みであるはずです。
そんな機会を与えてくれた彼女の行動に僕は感謝しています。

これが箕輪編集室メンバーとしての僕の考えです。

友人として

僕は4月入会であるみずほさんと2人で、サロン内で企画を立ち上げその運営を行なってました。

最初に話したときから彼女の人柄に惹かれ、一緒に企画を作っていくのが本当に楽しかったです。
今は運営メンバーも増えて、企画自体も大きくなりつつありますが、彼女がいなかったら間違いなくこの企画は生まれていません。
それぐらい感謝しています。

みずほさんが、ジェンダーや性暴力という問題の解決に関してどれほどの熱い想いがあるかは、一緒にいた時間がわずかな僕でも感じることができました。
そんな彼女にとって、今回の箕輪さんの問題は本当につらいものだったと想像できます。
この問題に対して自らが感じる違和感と、箕輪編集室内の他のメンバー(僕を含む)の捉え方の違いにも大きなショックを受けたことでしょう。
それがあのnoteを書いて、箕輪編集室を辞めるという決断に至った背景だと思います。

本人には言っていませんが、僕はその決断を聞いたとき言葉では言い表せないほどショックを受けました。
正直今も彼女の気持ちが変わってくれることを期待している自分もいます。
これからさらにおもしろいことを一緒にやっていけると思っていたからです。
しかし、オンラインサロンという物自体が、自らの意志によってのみ所属するコミュニティです。
その意志がなくなってしまった今、残ってほしいという言葉をかける権利は僕にはありません。
みずほさんの決断を尊重します。

noteの文章自体は、投稿する前に読ませてもらったときから素晴らしいの一言しかありません。
SNSでの誹謗中傷とはかけ離れた、冷静かつ的確な言葉に感銘を受けました。
しかも決して箕輪さんという人間や作品そのものを否定することなく、今回の問題のことのみに焦点を絞って話すことは簡単なことではないはずです。
僕が同じような状況だったら、人格否定のような言葉を使ってしまっていたかもしれません。
箕輪編集室に対する言葉も同様でした。このコミュニティそのものを否定するような表現は1つもありません。
それが彼女のnoteがこれほど多くの人の心を動かした理由だと思います。
友人としてその能力の高さを心から尊敬します。

以上が友人としての僕の考えです。

一大学生として

最後に、日本に住む1人の大学生としての考えを書きます。

この問題を受けて自らの「性問題」に関する知識や経験の少なさに絶望しました。
僕が声をあげなかったのは、コミュニティ内の空気が怖かったからではなく、シンプルに意見を表明できるほどの知識がなかったからです。

「性平等」についてしっかり考えたことなど人生で1度もありませんでした。
きっとこれは僕以外の多くの箕輪編集室メンバーにも当てはまることだと考えています。
自分にとっての常識が誰かを傷つけているかもしれない。
そんな当たり前のことにさえ気付いていませんでした。

まだまだ性問題について知らないことばかりです。
これからも自分が無自覚のまま目の前の相手を傷つけてしまうこともあるかもしれません。
それがとても怖いです。
でも、怖いと思えること自体が僕にとっては1つの成長なのではないかとも感じます。
これまでは問題を問題であるとさえ認識していませんでした。

今回の件をきっかけに、1人でも多くの人がジェンダーや性の問題に対する考えを深めることができれば、みずほさんにとっても、noteを書いた自分を肯定してあげられる1つの理由になると思います。
だから僕は今まで自分が意識してこなかった問題に目を向けるということから始めていきたいです。
そんな人が1人でも増えれば嬉しいです。

以上が一大学生としての僕の考えです。

最後に

みずほさんのnoteが出てから、箕輪編集室の外側からも内側からも多くの考えが発信されました。
それに対してみずほさん自身が1番恐怖を感じ、もしかしたら自分のした行動を後悔したかもしれません。

でも彼女の行動のおかげで、僕は間違いなく意識が変わりました。今まで考えもしなかった問題を考えるようになりました。箕輪編集室にいる意味について改めて考えることができました。
あなたのnoteによってそう感じている人がここにいるということを知ってもらえれば嬉しいです。

最後になりますが、今回の騒動を受けて僕は箕輪編集室というコミュニティがさらに好きになりました。
不謹慎といわれるかもしれません。
でも箕輪編集室内の多くの人が、みずほさんのnoteを受けて、批判や誹謗中傷ではなく、冷静にこの問題に対しての考えを表明されていました。(繰り返しますが意見を表明しないことを否定する意図は全くありません)
そんな人たちの姿を見て、僕は改めてこんな人たちと一緒の時間が過ごせるコミュニティは最高だと感じました。

こんなことを言うと、外部の方からはより宗教のように感じられてしまうかもしれません。
そのことに対して何か意見を言うつもりはありません。
ただ1人の大学生にとって、心から安らぎと充実を感じられるコミュニティであるということを知っていただければと思います。

以上が今回の問題に関する僕の考えです。
立場が変われば意見も変わるということを身をもって体感しました。
このnoteを書くことさえ迷っていましたが、今は書け終えたことに満足しています。

長文駄文失礼いたしました。
最後までお読みいただき本当にありがとうございました。


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