ギャングの揉め事はダンスで解決…?
マガジン・"もう1つの楽園の物語"で書いてるハワイ時代の話。
ハワイには1年半くらいいたんだけど、最後の方にラッパーのCommonを輩出したシカゴでもガラが悪いことで知られるサウスサイド出身の黒人の売人とつるむようになった。
売人とはいっても、同じ大学(ハワイ大)の現役の学生で、地元のしがらみが嫌でハワイに来た一風変わってるが、妙に波長が合う奴だった。
こいつの家庭環境や地元の話(これがかなりおもしろい)は改めて書くとして、どこらへんが変わっていたかというと、最近はラッパーなんかでも細身の服に紫やピンクに髪を染めてる奴を見るけど、タフでハードでruggedな90年代の残り香ぷんぷんの2000年にアートとヒッピー的要素が伺える格好で、ヒップホップも聴くけど、西海岸ハウスも好きという当時のステレオティピカルな黒人ドラッグディーラーから遠くかけ離れた不思議な奴だった。
出会ったのは俺が薬物関係でトラブりハワイを脱出する1~2か月前で、つるみだしてちょっとでバイバイとなったけど、あんな形でハワイを去ることがなければ、長い付き合いになったと思う。
そんな奴の仲のいいツレは台湾系移民の息子で、こいつはネタ喰ってレイブ、パーティーには行くけど、特段悪いとか音楽が好きって訳でなく、ホントごくごく普通のコって感じの奴だった。
そいつと3人で俺のアパートでガンジャを吸ってダベっていて、いつの間にかギャングの話になった。
South Side of Chicago出身の彼は地元のギャング、俺はオーストラリア時代のアジア系ギャングについて話していると、
< VICE JAPAN "noisey CHIRAQ ① >
*”シカゴ ギャング"で検索して発見。
VICEはやっぱいいドキュメンタリー作るよなー。
< Gangs of Oz Asian Gangs 5T >
*シドニーの最恐のベトナムギャング・5Tについてのドキュメンタリー。街中、レストランのシーンは再現ドラマだけど、格好、振る舞いはこんな感じ。一見ダサくて、はぁ?って感じだけど、ホント気違い揃い。
台湾系の奴がいきなり
ねぇねぇ、ギャングってブレイクダンスで揉めごと解決するんでしょ?
と、目を輝かせながら聞いてきた…
えっ…!?
それいつの時代の話…?
アフリカ・バンバータ大先生とか
< Afrika Bambaata "Planet Rock" >
そういう頃…!?と2人目が点になった。
いや、確かにブレイクダンスの起源的なとこでは
ブレイクダンスは1970年代にニューヨークのサウスブロンクス地区のアフリカ系アメリカ人やラテンアメリカ人の若者達によって発展したストリートダンスのスタイルである。
アフリカ・バンバータの提案でギャングが抗争をまとめる為に銃撃戦の代わりにブレイクダンスのバトルを用い、発展に繋がったと言われている。
*Wikipediaより要約・抜粋。
< Bronx Battle 84 >
*キャプションに詳細がなく、あくまでタイトルから察してだけど、ブレイクダンス発祥の地・ブロンクスの'84年のバトルっぽい。現代の高解像度ディスプレイだと絵として成り立ってないが、そこは歴史っちゅーこって。
なんて言われてるけど、そんなギャングが揉め事で"よーし、じゃ、ダンスで決着つけよう!場所はどうする?いつが都合いい?来週の土曜は?"なんて言ってるとこなんて見たことはない。
ムカつくからひっぱたく。
喋る前にやれ。
そして、やるんだったら、徹底的にやれ。
ギャングなんてもんはそんなもんだし、ブレイクダンスで決着なんて、昔は確かにあったのかもしんないけど、都市伝説かと思ってたくらいだった。
いきなりの台湾系の奴の発言に顔を見合わせ、しばらく笑いを堪えたが結局2人で馬鹿笑い。
そんな2人の姿に発言の主(今思い返しても、あいつ素直な奴だったなぁ。ああいう奴はホントあのままでいて欲しい)はぽかーんとしていた。
今回の〆は、ちょうどこいつらとつるんでた当時に出たSouth Side of Chicago出身のラッパーの4th album・"Like Water for Chocolate"から。
当時ホントよく聴いてた曲で、"Revolution will not be televised, revolution is here (革命はTVなんかで放送されない、革命はここだ)"って出だしから超絶かっこいいし、DJ Premierのビーツも最高。
< Common "The 6th Sense" >
noteも含めた"アウトプット"に生きる本や音楽、DVD等に使います。海外移住時に銀行とケンカして使える日本の口座がないんで、次回帰国時に口座開設 or 使ってない口座を復活するまで貯めに貯めてAmazonで買わせてもらいます。