ファッションコンペの幻想

先日、某ファッションコンペの審査に出かけた。1000人を超える応募者の中から一次審査を通過した25名の最終審査をする為だ。

いつもコンペの審査に出掛けると自問する質問がある。これは誰に向けた服なのだろう?というものだ。彼らの目標は総じてデザイナーになることだ。しかしそこに並べられた洋服というか作品を見てアパレル企業の人事が自社のデザイナーとしての採用を検討するかというとそれはないだろう。あまりにもその作品群が自己のアイデンティティーの表現に特化したものだからだ。

アパレル企業のデザインにはしっかりとしたターゲット(顧客)への戦略がベースにあり、顧客のスタイルのアップデートを図るという明確な目標がある。彼らが探しているデザイナーは自己のアイデンティティーを掘り下げるタイプではなく、顧客のアイデンティティーの表現をサポート出来るタイプだ。そういうデザイナーを探している彼らにとってみれば、自己のスタイルをひたすら追いかける人間に興味は無い。逆にチームプレイにはまらないと敬遠するかもしれない。

では彼らが独立してデザイナーになれるかというとそれも難しい。彼らは経営に関する知識を全くと言って良いほど持ち合わせていないからだ。良いデザイン、新しい提案を生み出せば売れて会社が安定して行くという強い信仰をもっている。起業して5年以内に8割の会社が潰れている日本において(ちなみに10年後の生存率は6%、20年後は0.3%)、経営を学んだ事もない経営者(デザイナー)が会社を育てる事は不可能と言って良い。それは泳ぎ方を知らない人が海に飛び込むようなものだ。溺れながら泳ぎ方を覚えるだろうとでも思っているのか、日本のファッションスクールには経営を教えずにデザイナーをインキュベーションという名の下デビューさせている学校が多くある。恐ろしい現実だ。

今現在も日本中で沢山のコンペが行われ、そして沢山の学校がそこに生徒の力を注がせている。どこにも行き着かないイベント、誰も着ない洋服がそこにはある。今日本のファッションスクールは立ち止まって考える必要がある。実際はデザイナーはどのように育つのか?コンペは学生に何をもたらしているのか?

では、コンペには意味が何も見出せないのだろうか?そうとも言い切れない。彼らが日々向かい合っている表現やアイデンティティーの発表の場を設ける事は彼らのモチベーションを強く鼓舞する機会になるし、また他の候補者や審査員と出会い、話す機会を得ることになる。つまり候補者が得られる実利は存在している。

現存するコンペがどこにも行き着けない要因は、コンペというイベントに存在する本当の利益を運営側と応募側がもっとマチュアな視点で見出せていない点にある。コンペで受賞する事が目的ではなく、コンペを通してどのような機会を見出しそれをどのように自分のキャリアに組み込んでいけるのか、その結果を最大化する視点こそが今必要とされている。木と森を同時に見て決断と前進を繰り返す、そんなスマートさがデザイナーには求められているのだ。


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AKIRANAKA Creative director 日常で感じた事、思った事を自由に書いてます

コメント3件

海外のファッションスクールでは、しっかり経営を教えているのでしょうか?
海外ではファッションを学ぶ場所が専門機関であったり美大であったりします。僕の知る限りでは美大では経営を教えている場所はないです。ただファッションビジネスに特化したコースを持つ学校もあります。アメリカではその色は強いのではないでしょうか?ParisのIMFにも良いマネジメントのコースがあると聞いたことがあります。
ありがとうございます。
海外ではそういった環境があるんですね。
日本ではファッションビジネスに触れられる環境が少ない分、コンペで受賞することを手段にして、目的である数年後のキャリアに繋げていけるような意識がより必要になりそうですね。
僕は全く詳しくないので勉強になりました。ありがとうございました。
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