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デザイン思考ってなんのこと? |3

さて、ここまで二回にわたって、「デザイン思考とは?」という問いを立てて書いてまいりました。

ここまででわかった人は手をあげて!

そうか。

まあいいや。(ていうか、質問ある人、コメントにお願いします!)

とりあえず方法論はともかく、実践だよね、ということで、今回は実際に何をするのか、何ができるのか、という所に絞って、具体例を話していきたいと思います。基本全て自分がデザイナーとして関わった案件です。昔のことなのと、特定されたくない部分もあるので細かい所曖昧だったりしますが、その辺りはご了承ください。

ケース1:癌患者、術後のフォローアップにアプリで運動、ダイエットを勧めたら?

とある大学病院から降りてきた案件で、アプリを作るとことまではもう決まってて、開発会社から降りてきたケース。幸い小さなチームで、開発担当の会社とも仲よかったので、結構踏み込んで、初期から関われたのは良かったと思う。

まず皆で考えたのが、根本的な目的と「アプリで本当に良いのか?」という問いに対しての答え。ここを外す、端折ると本当に後で困るというか、ブレてきたときに揉めるので、「ひょっとして面倒な下請けと見られるかも」という内なる声をあえて殺して強く出た。幸い理解のある人たちで逆に「そこまで考える機会をもらえて良かった」と後で言ってもらえた。

対象は小児癌のサバイバー達、10歳くらいから高校生くらい。まずは個人情報が漏れないように、とか最低のルールの確認。そして何が問題になっているのか(生活習慣から肥満に陥りやすい、そしてそれが後々の健康のために一番の懸念であること)という部分を再確認して、そのためにどうやったら使ってもらえるか、ということに一番注力してブレインストーミングを重ねた。

本来、デザイン思考を貫くならここで他の方策案を探ったり、問題についてもっと掘り下げたりもするべきかもだけど、まあ下請けの仕事だったので、「ゲームを作る」というもともとあった選択肢について時間をかけて、どんな世界観で、どんなゲームで、ルールやポイントはどう設定するか、一つ一つフィードバックを見ながら丁寧に「ユーザーのニーズ、生活に合っているかどうか」の確認をお手伝いするところまでにとどまる。この時点ではコードは一行も書かず、デザイン案もラフなもので通して、インデックスカードに携帯の画面をラフ描きしたやつをめくってプロタイプとしたり。

最終的には8つくらい書いたシナリオの中、「空気汚染が進んで住めなくなってしまった惑星。病んだ人々を助けるために、生態系を元に戻す鍵となる魔法の花を探す」というミッションを、健康的な食事や運動をすることでレベルアップしながら進めていく、という設定で落ち着いて、やっと開発に入る。この間、使う携帯とデジタル万歩計の選定(これも色々取り寄せてテストしながら)とかも並行して進めてたので、ここまでで半年近く使ったような。クライアントが気の長い人で本当に良かった。

製作段階では、キャラクターのイメージ画、イラスト入りの説明書から、UI・UX部分の細かいところまでをデザイン。開発と施工、フォードバックや修正は開発チームに任せる、というかなり楽な関わり方が貫けたので、最後まで気持ちよく仕事ができた。ゲーム理論も付け焼き刃だけど勉強する機会になったし、リーン方式のアプリ開発の流れもだいたいわかった。

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デザイン思考の考え方では、本当はもっと患者さんとも直接話しができたら良かったのだけれど、そこはかなりセンシティブな部分があったので、そのためにもともと権限と面識のあるチームメンバーにまとめて聞き取りをしてもらって、それを元にまた、という作業の繰り返しになった。開発者、大学側の研究者、看護チーム、そしてデザイナーと、チーム内での意思疎通、そしてそれがスムーズに行くための雰囲気、場づくりが一番大事なのだなあ、とあらためて気がつく機会にもなったように思う。

この開発業者さんとはその後もブランドづくりのお手伝いをさせてもらったり、新人雇用のプロセスづくりにアドバイスさせてもらったりと色々お付き合いが続いたので、まあまあ満足してもらえんたんじゃないかと自負してる。僕らがアジアに出てきてしまったので疎遠になっちゃってるけど、どうしてるかなあ。

(↑むか〜しのプロジェクトだけど残ってた!)

ケース2:都市の発展にアートの意義は? みんなで考えるためのイベント

実はこのテーマで、3つの違う都市でそれぞれ違う仕事をした。仕事といっても頼まれたわけではなくて、興味があったから勝手にプロジェクトを立ち上げて、周りを巻き込んだ、という感じ。ちなみにこういう活動をあえて「仕事」というのは今では習慣として、意識的にやってます。

一つ目は2000年代のシアトル。キャピタル・ヒル、というもともと芸術家が多かったり、LGBTQコミュニティがあったりという地区。ここの開発が進んでいて、立ち退きにあうような地域型のシアターとか、アーティストたちが増えていた。いろんな方面で危機感を感じた人たちがイベントをやったり、署名運動、勉強・討論の場とか、デモとかもあったりしていた。

僕のパートナーは画家でもあったので、二人で「開発反対というだけじゃなくて、そこにアートが果たすべき役割を考えよう」と、周りのアーティストやクリエイティブ関連の人を集めて対話するイベントを始めて、出てきたアイデアを元にパーティ的なイベントをやったりした。そうやってるうちにもともとあったけど下火になってたアートウォークをやろう、という有志が集まってきて、月例でやるように。ロゴを作ったり、ポスターを製作したり、宣伝も含めて一年くらい結構本格的に関わったんだったかな。そのものでは報酬とか全然発生しなかったけど、いろんな人と繋がって学ぶきっかけになったし、そこから後で仕事につがった件もいくつかあったとおもう。デザイン思考と意識してやってた活動ではないけど、対話から何かが始まる予感というか、確信があった。自分がもともと興味があって続けていた地域振興とか、コミュニティに関わることと、自分がやっていた「デザイン」という仕事とが、広報とか広告とか以上の、もっと幹の部分で繋がっていく原点がここにあったように思う。

2つ目はその3年くらい後に移り住んだノースキャロライナのダーラム市で。やっぱりここでも開発が進んでいて、古い街並みがなくなりつつあったり、もともとあった黒人コミュニティが存続の危機にあったり。僕らはシアトルの時と同じように、時に当事者抜きで語られる対立の図式とか、2極論の間での論争に辟易して、自分たちで考えるきっかけになる何かを作ろうと思った。「ダーラムのこれからに願う一言」(”What one word do you want to see Durham Become?”)という問いに答えてもらう街頭アンケートを街中ですることを考えついて、やりながら次を考えた。出てきた言葉をながーい大判の紙に羅列してそこに直接丸いシールで投票してもらうことを考えついて、いろんなイベント、アートオープニングとか、小劇場の公演とか、はたまた市議会会議に飛び入りで参加させてもらったり。投票の結果を地元のアーティスト16人くらいに共有して、そこから何か自由に作ってもらい、その制作費をクラウドファンディングで集めた。残念ながらクラウドファンディングは目標額に到達ならなかったけど、それでも作品を作りたい、買いたいという人は一定数いて、「愛する地元のことを考えるいい機会になった」と言ってくれる人がかなりいたので嬉しかった。

「対話」という行いを、知識層がしゃれたイベント会場に集まって、という縛りから解き放つ試みとして、稚拙ながら面白い解になったんではないかと自負してる。

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3つ目はそのあと程なくして訪ねた、インドのSikkim州。元々は70年代まで王国だった土地が、インド、中国両大国の政治的な思惑と取引の結果インドに吸収された歴史がある。首都ガントクの郊外にあるインターナショナル・スクールの教員にならないか、と誘われて行ったのだけれど。まあ前にもちらっと言及した通り、半分は「高飛び」っぽい部分もあったので、下調べもろくにしてなかった。行ってみたら、郊外というよりは山奥だし、厳重なゲートの中はセキュリティが厳しいわりに中身がグダグダだったり、フラットな、子供の主体重視の教育を歌うわりには校長先生のワンマンだったりという現状があって、その話はチャラになったのだけど。

それならばと街のデザイン事務所に飛び込みで話を聞きに行って(僕の嫁はこういうのが大得意で、世界中どこに行っても面白い人を見つけて仲良くなれる自信と経歴がある)一緒に対話型のイベントをやろう!という話になって。「What is Modern Sikkim?」というお題の下、写真を撮ったり、街中に書き込み自由なポスターを貼って意見を集めたり、子供を集めてワークショップしたり、市長にインタビューしに行って取り巻きの人、記者の人巻き込んで輪になって対話したり、建築家を集めてディスカッションをしたり。全く知り合いのいない場所で、たかが1ヶ月の滞在期間でよくここまでできたな、と今となっては不思議だけど、そういう土地なのだと思う。蛇足だけど、ほんといい場所なので、是非機会があったら訪れてみてほしい。

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ケース3:カンボジアの社会問題を総括的に考える〜工場で働く人のための移動型ラジオ局

今僕が住んでるカンボジアには、正規の教育を受けられない人たちが未だ大量に存在する。中学校、高校レベルで中退する子供達が就学児童数のトータルの半数近くいて、家の農業の手伝いでは稼げないので、10代のうちに国外に出稼ぎに出るか、地方都市、または首都プノンペンで縫製などの工場で働いて仕送り、というパターンが多い。

しかしながらこういう人たちは割と近い将来的に、インダストリー4.0とか巷で言われるような変化で、工場で働くだけのスキルではどんどん仕事がなくなっていく現状がある。そこをどうしたらいいか、という問い。

この問題にゴミの処理問題、そして雇用者の寮のデザインを掛け合わせて、民間の投資家とかビジネスも巻き込んで一緒に複合的に考える、というなんだか途方も無いアイデアを考えた国連開発機構のN氏と出会ったのが2017年の夏。出会ったその日にこのアイデアのレクチャーを受けて、なんだかわからないうちにデザイン思考を使った実地調査とプロトタイプを作ることを手伝って欲しいと頼まれた。

スキルアップに繋がる気づきはどうやったら生まれるのか。どんな形でなら無理なく教育が受けられるのか。中長期的にサポートするための仕組みはどうやって構築したらいいのか。首都プノンペン郊外にある、経済特区(SEZ)と呼ばれる海外資本の工場が集まってるだだっ広い敷地に合計10回くらい足を運んで(いや違う国連の専用車運転手付きに連れて行ってもらって)フィールド調査をする。

まず工場で働く人々(だいたい若い女の人というか、女子)に話をするためにマネージャーさんたちに許可をもらう。結構日系企業も多くて、予想外に僕の日本語能力が生きる。なんか普通だったら僕とは絶対に会わないであろうバリバリの駐在の人が集まってる会議で、この仕事を説明してご協力を仰いだのは多分この仕事で一番緊張した場面だったかも。許可が降りたら工場見学。併設のカフェテリアでランチを一緒にいただいたり、寮の部屋を見せてもらったり、果ては敷地近くのお家にまでついて行ったり。インタビューにはクメール人の民族誌学者、のちに共有するために、カメラクルーも何人かで同行して丸1週間通った。学生10数人のボランティアにお願いして、アンケート調査みたいなこともやった。

そしてそれら調査の結果や、インタビューの内容とみんなが見てきたことを民族誌学者チームと一緒に討議して、カメラに撮ったものも編集してまとめる。そしてこれを材料として、開発機構や内外の専門家から成るデザイン・チームとのワークショップをして、アイデアを出してもらう。そこから生まれたもので、面白いものがあれば試作して、提出する、というところまでが依頼された仕事だった。

ゴミ処理問題を考えるために、ウェット・マーケットと呼ばれる問屋市場みたいな場所にも行って同じことをした。それぞれ各方面のエキスパートにもチームに加わってもらって、一緒にワークショップを3回くらいやったかな。

だいたい出て来たアイデアはいわゆるサービス・デザインが多かったので、試作、と言ってもアイデアを紙にまとめてイラストをつけた企画書みたいなものが主だったけど、市場のゴミ処理の件では「でっかいダムスターに背が低い、力持ちじゃなくても綺麗にゴミが入るような取り外しできるゴミ入れはしご」というアイデアに限っては、模型作りができるチームメンバーに頼んで、実際に模型にしたりもした。

企画書にまとめたアイデアの中で一番面白いと自負してたのは、経済特区敷地内の工場を、昼休み中とシフト交換のある夕方に巡回する移動式ラジオ・スタジオ。マネージャーとか著名人のインタビューとか、ちょっとしたワークショップをして、それを実況中継したり、一般公開の研修の告知や募集もできるようにする。番組作りに、ボランティアで参加もできるような仕組みもおいおい追加して行って、ゆくゆくは自分たちで運用できるような場にする、みたいな。時間がない女工さんたちのスケジュールに合わせる、場所を移動することで生活の中で無理ない範囲での参加を促す、限定的に開かれた場所ということでのコミュニケーション手段としてのラジオ(からの、FacebookLiveなど)といったアイデアは、インタビューしたり実際に現場を見たからこそだと思う。これと、仕事の中での資格習得制度と抱き合わせる、というのが試作した物の内容だった。

途中色々な大人の事情っぽい何かが起こって、プロジェクト自体が中止になってしまったので、できたものをフィールドでテストして、反応を見て直し、実際に使える形にしていく、という作業は結局できなかったけど、最終的なユーザーの数(1万人単位)、巻き込んだ人数(50人くらい?)含めここまでのスケールでデザイン思考を実地でやってみたのは初めてだったので、すごくいい経験をさせてもらった。顔合わせのミーティングや全体を考える作業も含めて半年くらい、あっという間だったけど。

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なんか膨大な量になってしまったので、またここで切ります!

まとめとして、デザイン思考のプロセスとステップ:

問題を掘って、
アイデアを探って、
試作して試す、そして学んだものから次に、

を、実際に僕がやってきた案件を元に辿って見ました。具体的に見えてきたこと、あるでしょうか? ここまで思い出してきて僕にもはっきりしてきたのは、試作して試す、手を動かしながら考える、という作業は、永遠に続くと同時に、次のプロジェクトに繋がる導線にもなる、ということ。それが全然、クライアントや対象が違うものであっても。

なんやかんや脈絡のない、でたらめにやってきて、後づけしてるだけやん、という部分ももちろんありますがw。でも複雑性に向き合うって、そういうこと!

ここであえて:クライアントとその先のユーザーの生活を見る。そこにある欲求とか希望をフラットに観察し、振り返って自分の仕事やあり方にも照らし合わせて調整していく、という作業は「自分の人生を設計する」というデザイン思考でもある、という大風呂敷を広げておきます!

おまけとして、ケース0の話:もともとやっていたロゴ作りがどうやってデザイン思考と繋がるのか、という話を書きます。試験的に有料にしてみるので、よかったら。

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