見出し画像

THINK TWICE 20201025-1031

10月25日(日) MRS. DOMINGO

画像1

片岡知子さんの突然のご訃報。

ともちゃんはぼくの人生のなかでも、とりわけ大きな進路変更をするきっかけを与えてくれた人なので、ほんとうに驚きました。

InstagramにアップしたWham japon(左から橋爪哲生、岡田崇、片岡知子、関美彦、長瀬五郎)時代の写真と、そこに添えた文章に何か付け加えるとしたら、この人に褒められるのは他の人に褒められるよりもずっと嬉しいなあ……と感じる誰かがあなたにもきっといるはずで、ぼくにとって、ともちゃんというのはまさにそういう存在でした。

実際、彼女はぼくのことをよく褒めてくれました。

「もっちゃん、オモロイね」「もっちゃん、いい感じだよ」と。

ぼくはトラブルや悩み事があっても、なんだかんだ言って、自力でなんとか対処するのだろう……と、昔からほっとかれがちなタイプで、誰かから褒められるだけでも、とても稀有なことで余計に嬉しかったんです。

だから、深夜番組の話を彼女から振られたときも、まったく未経験の領域の仕事で、プレッシャーは少なからず感じたけれど、ともちゃんが太鼓判を押してくれたことなのだから───と二つ返事で「やる」と答えました。*1

*1 制作していたのは当時、飛ぶ鳥を落とす勢いのビーイング系列の会社「C-Factory」。彼女の先輩がビーイング系列の会社にいたことから、ともちゃんに相談があって、ぼくを推薦してくれたのです。それが音楽番組「rock the roots」(その後「music roots」と改名)でした。番組の初回から最終回まで、ともちゃんがずっと選曲とナレーションを担当してくれましたが、収録組とはまったく別スケジュールだったから、そちらの収録に立ち会ったこともなく、彼女にまったくのおまかせでした。


彼女は優れた音楽作品もたくさん残したけれど、新聞の訃報やネットニュースじゃカヴァーしきれない、とてつもない影響力をもった人でした。

たとえば、カエターノとガル・コスタの共演盤『Domingo』(1967年)。このレコードをcafe vivement dimancheの堀内隆志さんが発行していたフリーペーパー『dimanche』にともちゃんが紹介し、それがきっかけで堀内さんはブラジル音楽に傾倒しました。そして、堀内さんたちがそこからさらに新しい音楽文化を日本中に広げていったとすれば───ともちゃんの功績はぼくが強調するまでもありません。

彼女の後押しが無ければ、たとえばTMVGや、番組から繋がっていったさまざまな仕事や人間関係、そのエフェクトも存在しえなかっただろうし、ぼくだけでなく、これを読んでくれているあなたとぼくが繋がることさえなかったはずです。

最後に彼女と会ったのはいつだったか、まったく覚えてない。少なくとも、ぼくが松山に戻ってからは一度も機会が無かったので、10年以上経つと思う。なにか用事があって、旦那の岡田くん(彼女の伴侶の岡田崇くんは、ぼくの東京で出来た最初の友人)に会いに行った日も、朝まで仕事してたから……とかなんとか言って、ともちゃんは自室からめったに出てきませんでした。そういうところ、ほんとに猫みたいだったな。

たまたま先週、無くなると同時に頭の中から消去されていく建物について書きましたが、彼女の不在によってできあがった広大な空間には、彼女以上の立派な建物が建つことはけっしてありません。

ぼくが松山でどういうふうに暮らしているのか、最近どんなのものに関心を持っているか、もう一度、会ってゆっくり話してみたかった。そして、こう尋ねてみたかったな。

ねえ、ともちゃん───今のぼくってどんなふうに見えてる? と。

Instant Cytron / Marchin' in the Rain
from Album"Change This World"
Word & Music by KATAOKA tomoko

サポートしていただいた資金でレコードや本を無駄遣いし、執筆の糧にしております💰