「何をやっても楽しい」の罠
世の中、ちょっと元気がない。
めちゃくちゃ辛いことが起きて、もう立ち直れないと塞ぎ込んでいる人がたくさんいる。
それはわかってる。
だけど、
だけれども、
本当に申し訳ないのだけれども、
あえて言わせてもらう。
僕は今、人生が楽しくて仕方がない。
最近友達にはちょっと狂ってると言われるほどに。
何をやっていても楽しいんだもの、ごめんなさい。
新しい人と出会うことも、新しいことを始めることも、これまでやってきたことが少しずつ形になってきていることも、なにもかもが刺激的で楽しい。
日々発見があって、日々なにか前進しているような感覚がある。
そんなスーパーポジティブ根明野郎が最近気がついてしまったこと。
そうそれが、
「何をやっても楽しい」の罠
今日はその話をしよう。
恩師からの言葉
大学院時代、幸運なことに西沢立衛さんという素晴らしい建築家のもとで学ぶことができた。
有名どころだと、金沢21世紀美術館とか、ルーブル美術館の別館とか建ててる建築家だ。美術館とか多く手がけてるからアート好きな人は知ってるかもしれない。軽井沢の美術館行ったときはすごすぎて目玉飛び出た。
建築を学んでいた人ならわかると思うけど、大学では設計課題という課題をやる。
ここで住宅を設計しなさい、とか
こんな美術館を設計しなさい、とか
図面を書いて、模型を作ったり、イメージパースを描いたりして、プレゼンする。
そういうやつ。
ところが西沢さんの課題は少し違くて、
敷地はどこでも良い。
何を作っても良い。
規模も自由。
課題のタイトルは
「新しい時代の建築をめざして」
( http://y-gsa.jp/studio/nishizawa )
何をつくってもいいと放り投げられた学生たちがみんながこの課題でだいたいぶつかる壁、
とにかく、何をやっても良いわけなんだが、みんな何をやったらいいか全くわからない。四苦八苦しながら自分のやりたいことを探すわけだ。たまに自分の信念が一本通っていてやりたいことがはっきりしてるやつがいるけど、こういうやつは大抵、本当に凄い。
僕の場合はどうだったかというと、
案の定、何がやりたいか全くわからない。
何やりたいかはわからないんだけど、面白そうな場所もたくさんあるし、つくってみたいものもたくさんあるからとにかくそれをまとめて西沢さんに見せにいく。(エスキスってやつですね。)
そうすると、
「これに興味を持ってるのはわかったけど、それは本当に君のやりたいことなの?」
もうこのキラーセンテンスに全く歯が立たない。
まさしくキラー。
毎週毎週違う提案を持って行って、今日持っていくこれこそが自分のやりたいことだ!って思うんだけど、西沢さんと話してると結局振り出しに戻る。
「それは本当に君のやりたいことなの?」
課題が全く進展しない。
そんな興味がコロコロ変わって定まらない僕に西沢さんが言ったのが、
「君は面白いものを見つけると無我夢中でそっちに走って行くんだけど、その途中で車に跳ねられて別の場所に飛ばされる。
普通だったらここで大怪我なんだけど、君の場合はきれいに着地して、目の前に現れた新しい面白いものに向かってまたすぐ走っていく。
そしてまた跳ねられる。そしてまた着地の繰り返し。
これはある意味君の宝なんだと思うけど、
時にはしっかり止まって考えることも大事だよ。」
「本当に」やりたいことがわからない
何もかも楽しい。
だからなんでもチャレンジする。
すごく充実した日々なんだけど、
恩師の言葉が脳内でリフレインする。
「それは本当に君のやりたいことなの?」
そう、何もかも楽しいが故に、何が自分にとって「本当に」やりたいことなのかが見えなくなる。見えなくなるっていうかそもそもわかってない。
「本当に」やりたいことって一体なんだ!?!?
#再び禅問答
どうやら僕は再び「何をやっても楽しい」の罠にはまっているみたいだ。
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