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僕の非日常は、誰かの日常

昨日の続きで、数年前にベトナムで一人旅をしていたときに書いた文章を載せる。
この旅の果てに、僕は何を感じたのか。

振り返ると、まあまあ良いこと書くじゃん自分!って思う。(自画自賛)

ベトナム紀行①はこちら。(①読んでなくても②読めます。)

僕は「自分」を語れない

ホーチミンにある建築設計事務所で働くベトナム人スタッフとの会話の内容を記そうと思う。

彼は僕に「自分が思う『美しさ』」とは何かを語ってくれた。
彼はインターネットから写真をひっぱりつつ話をはじめる。

まずはベトナム南部にある寺院の写真、そして中部にある寺院や宮廷、北部の寺院、最後に中国の寺院やら城やらの写真を出す。
ベトナムの辿ってきた歴史や昔はベトナム北部に狩猟民族が多くいたという史実を交えながら、話は進み、

中国にあるような遠目からみても見るからに荘厳で力強い男性的なデザインの建築と、ベトナム南部にみられるように外観は質素だけれど、近づいていくほどにディテールが徐々に現れてくるような繊細で女性的なデザインの建築、そして、それらに挟まれるような位置で常に侵略の危機にさらされ反抗し、また時に外部を取り込むということを繰り返してきた地域の複合的なデザインの建築、それぞれの違いを語っていく。

そして彼は言う。
「中国に多くあるような男性的で力強いデザインが悪いと言っているわけではない、美しくないと言っているわけでもない、ただ、ベトナム南部で生まれ育った自分が美しいと感じるのは、繊細で女性的なものなのだ」と。

「それが自分にとっての『美しさ』なのだ」と。

他者と比較し、客観的に己を見つめ直し、自分のアイデンティティやナショナリティと向き合い、自分の立場を明確に語る彼を見て、憧れに近い感情を覚える。

そして、今の自分では到底それができないということを感じる。

日本の建築教育について何を思うのか、日本の建築家はどうして世界的に評価されているのか、日本人としてどういうものを美しいと思うのか。

また自分は何も知らないということに気づかされた。


首都ハノイ

ホーチミンを離れて、ベトナム北部、首都ハノイに来た。

ホーチミンの快活さ、日々変わりゆく目まぐるしさ、あらゆる速度を上げていく都市部、そういったものとはまた違った雰囲気がハノイには流れていた。

フランス領だった当時の名残が街に残っているからだろうか、ホーチミンよりわずかに少なく感じる交通量のせいだろうか、それともそこに住む人々の文化の違いのせいだろうか、何が原因なのかはわからない。

ただ、確実に違うと言えるのはその地理的性質と都市計画の違い

おそらくこれといった地理的制約に強く縛られることもなくフラットに開発されていったであろうホーチミン市と違い、ハノイ市内には数多くの大小様々な湖が存在する。
湖の周りにはそれぞれ豊かな都市空間が存在し、それをもとに都市が構築されている。
また、フランス領だったことと無関係かどうかは定かではないが、ホーチミンに比べて、圧倒的に歩道が広い。
どうやらそれらがなんとなくのんびりした空気感を生みだしているのではないかと思う。

湖畔に腰掛けている。
湖の周りにあふれる様々な人の活動を見て、都市において人々の価値観、一体感、コモンセンスと呼ばれるようなものを形成していくのはやはり「環境」や「風景」と呼べるような建築スケールを超えた自然スケールとでもいうべきものなのではないかと思う。

ホーチミン廟がある一画を訪れる。
旧市街地やそのまわりの市街地とは明らかに一線を画したスケールが都市部に挿入されている面白さを肌で感じる。そこはベトナム国民にとっての誇りある場所であり、大切な場所である。
その空間は国民性、ナショナリズムと深く関わっている。大きなスケールのスピリチュアルな空間に身を投じたことで、湖畔で思っていたこととはまた別の角度から、人々の文化や価値観とリンクするような空間の可能性を新しく感じた。

夜になってカトリックの教会を訪れる。
やはりここでもスピリチュアルな空間の可能性を肌で感じる。旧市街の喧騒の中心に佇むネオゴシック様式の教会。どれほど周りがせわしなくても、どれほど騒音に囲まれようとも、その外観は厳かであることに変わりはなく、その内部にある祈りの空間は依然その精神性を失わない。
人々はここに集い、祈りを捧げる。神聖な空間という建築の原点のひとつに何か自分の興味が引っかかっている気がした。

ちょうど僕がいた時は礼拝の時間だったのだろう。そこに4人組の日本人観光客が入って来た。彼女たちは席に着くとおもむろにスマートフォンを取り出し、パシャパシャと音を立てて教会内部を撮影し始める。なんて非常識なんだろう。これを見た外国人はこんな日本人に対して何を思うのだろう。

そんなことを思いながら、ふと自分は彼女たちと何が違うのだろうかと思い始めた。何も違わないのではないだろうか。

僕は宗教について何も知らない。自分にとっての宗教とは何か、神道とは何か、仏教とは何か、キリスト教やイスラム教とは何か、何ひとつまともに答えられやしない。
答えられない悔しさ、知らない虚しさを感じながらも、また新しく学ぶべきことが明確になったことへの期待と喜びを感じる。

ハノイで感じたたくさんのこと、それはきっと僕の人生において大きな意味を持つのだろう。いくつもある湖畔、そのそれぞれにあふれる人々の活動の豊かさ、ホーチミン廟が生み出した空気感、教会の神聖さ、どれも忘れることのできない経験だった。


僕にとっての非日常は誰かの日常

もうひとつ、ハノイで最も面白いと感じ、最も印象的で、最も多くのことを考えさせられた場所について話さなければいけない。

その場所はハノイ旧市街の端、ハノイ駅にほど近いところにある。
僕はそこで線路の上にひろがる人々の日常を見た。

線路の上に置かれた漬物、線路の横に干される洗濯物、線路の上で遊ぶ子供たち。

そこは廃線ではない。
ハノイ駅から出る列車が日に何度か通過するれっきとした線路だ。

その単線の両側にびっしりと立つ住居群。どれも線路側に玄関やらリビングが向いている。線路が裏路地に位置するわけではない。言うなれば、表通りが線路なのだ。

線路の上に立つと、明らかな違和感に身が震えた。
**
自分にとっての常識がことごとく打ちのめされるその空間こそ、彼らにとってごく当たり前の日常であることに興奮が抑えられなかった。**

見たこともない景色、感じたこともない空間がそこにあった。

また、「知らなかったこと」に出会えた気がした。


ベトナムコーヒー

再びホーチミンにもどってきた。

そして、ホーチミン市の中心からバイクタクシーのおっちゃんの後ろに座って1時間弱。けたたましい数のバイクと車の間をすり抜けて、バイクは北へのぼって行く。

そして今、僕はホーチミン市の郊外にあるヴォ・チョン・ギア事務所が設計したカフェにいる。

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Vo Trong Nghia Architects が設計した竹材を用いたカフェ(筆者撮影)

カフェの中心には半円形の水盤とその上に配置された数本の大きなベンガルボダイジュ。東南アジアによく見られる何本もの幹を持つ樹だ。枝からもたくさん根っこが垂れていて、それが地面に達すると新しい幹になるらしい。

そして、その水盤と樹を囲うように三日月型の竹で組まれた屋根がかかる。その屋根を、同じ焦茶色の竹で組まれた特徴的な柱が支える。いくつもの竹柱が織りなす曲線の重なりと周りの樹々の調和がとても美しい半屋外空間を演出している。

僕は三日月の端の方へと歩いた。少し勾配のついた屋根と端に行くほど低くなる地面のレベル差がうまく空間のリズムをつくっている。水盤を臨むように配されたテーブル席に座った。椅子もテーブルも竹製だ。

店員さんにメニューをもらって何の気なしに1番安いアイスコーヒーを頼む。カフェに流れる音楽と、ちょっとばかり中途半端な噴水の水が水盤に落ちる音を聞きながら、その雰囲気を楽しむ。

すると目の前に氷とストローだけが入ったグラスと何やら見慣れぬ銀色の器具がのっている小さなグラスが運ばれてきた。小さなグラスには上からポタポタと滴れている黒い液体が溜まっていく。どうやらコーヒーを抽出しているらしいということはすぐにわかった。

小洒落た喫茶店ではこういう風にコーヒーが出てくるのか、なんて能天気なことを思う。ドリップが終わってきたなと思い、見慣れぬその器具を外して、小さいグラスから氷の満たされたグラスへその黒く熱い液体をそそぐ。

氷が一気に溶けていく。
氷の崩れる音がした。

ストローに口をつけ、コーヒーを飲む。
驚きが一瞬で体中を駆け巡り、時が止まった。

そして僕は気がつく、
今まで自分が知っていたコーヒーと驚くほど違うこの飲み物、これがベトナムコーヒーなのだと。

もしかしたら、「ベトナムコーヒーを知らなかったことに気づいた僕」と出会うために、僕はベトナムに来たのかもしれない。

ベトナムコーヒーはブラックなのに、深い甘みを帯びていた。


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