会社の落ちこぼれポンコツデザイナーが、知識・スキル・人脈無しでファッションブランドを立ち上げて1年で700万売り上げた話
▶︎ポンコツ、デザイナーになる
今から6年前の学生時代、
僕はポンコツだった。
デザイナーになる話をする前にまずは、僕がいかにポンコツだったかの話をしようと思う。
6年前の僕は大学生で、いわゆる「Fラン大学」に通っていた。
なぜFラン大学に通っていたか?
シンプルに勉強ができなかったからだ。
高校時代は本当に勉強ができなかった。
どれくらい勉強ができなかったかというと、学年で総合ビリをとったことがあるくらいは勉強ができなかった。
今でも覚えているが、165/165位をとり、
「分子と分母の数一緒じゃん…!」
って思った記憶がある。
帰ってすぐ一応親に謝った。
「すみませんテストでビリとりました」
と言ったら
「まああんたの人生だから好きにしな」
と言われた。
謎に怖かった。
しかし、僕はポンコツなので以降も勉強をしなかった。
勉強がシンプルにめんどくさかったのだ。
やる意味がわからなかった。
夢や目標もやりたいことも特に無い。
だから勉強ってなんでやるのか分からなかった。
やりたいことがあって勉強に打ち込んでるクラスメイトが羨ましく思えた。
そしてそのまま僕は進路選択を迫られる。
とりあえず、就職なんてめんどくさかった僕は
偏差値40くらいでも入れる私立大学に入ることに決めた。
「Fラン大学」だ。
とりあえず僕は物を作るのが好きだったので、デザイン系の学科に入ることにした。
ここでみなさんに問題です。
Q.僕が通ってた大学のデザイン学科のデザイナー就職率は何%でしょうか?
答え「5%」
「やばくね?
え?デザイン学科なのに5%しかデザイナーになれないの?」
大学に置かれていた資料の就職先の割合のグラフを見て驚愕した。
僕みたいになんとなくで入学した人も多く、途中でやめる生徒も多い。
僕の研究室の同期なんかは、デザインが関係ないスーパーマーケットに就職していた。
これが「Fラン大学」の現状だ。
もちろん中には優秀な同期もいるが、基本的にポンコツ。
そして例に漏れず僕もポンコツだった。
私立に通っていたので、学費も結構高く、親のスネをかじりまくっていたが、大学生時代には大学に通うの当たり前じゃね?って思ってた。
今思うと、すごく恥ずかしいし、親に本当に申し訳ないなと思う。
そして大学3年、就職活動に突入した。
僕が就活するときにはリーマンショックの影響もあり、世間では少し就職難な状況だった。
しかし、僕の特異スキル「豪運」が発動する。
なんと大手企業のデザイナーとして内定をもらえたのだ。
「え?まじで俺でいいの?」
そう自分でも思ったが、どうやら僕でよかったらしい。
疑問を持ったまま僕はデザイナーになった。
入社後、上司に「なんで僕採用してくれたんですか?」って聞いたところ
「素直だと思ったから」と言われた。
自慢では無いが、僕を雇ってくれた受けた会社は応募者が400〜500人くらいいて、採用したのは5人だった。
倍率にして100倍。
「素直さ」にかけて、こんなポンコツを採用してくれた会社にただただ感謝だった。
ポンコツはデザイナーになってもポンコツだった
豪運で大手企業のデザイナーになった僕だったが、「素直さ」しかなかったので、入社してもやっぱりポンコツだった。
仕事は同期の中で一番できなかった。
僕が仕事できないというのもあるが、同期が優秀だったのだ。
器用。
とにかく器用。
同期には女子が多かったが、とにかく器用な人が多かった。
いろんなデザインが器用に作れる。
まさに企業デザイナー。
優秀だった。
それに対して僕は、不器用。
とにかく不器用。
全然器用にいろんなデザインができない。
先輩にも一人だけめっちゃ怒られていた。
多分入社当時はほぼ毎日怒られていた。
怒られては、トイレではぁ…ってため息ついてた。
それからデザイナーになって1年半がたった。
1年半たってこう思うことが多くなった。
「俺デザイナー向いてなくね?」
もともとデザイナーになったのは何かを創るのが好きだったからだ。
小さいころからおじいちゃんと工作したり、幼稚園の頃も、みんなが外で遊ぶ中、一人粘土遊びやお絵かきをしていた。
だからデザイナーになったが、もっと深掘りして考えると、自分で考えた物を創るのが好きだった。
デザイナーという職業は誰かが考えたものを形にする仕事だ。
営業やディレクターが考えた原案を形にする仕事なので、僕はいつもなんとなく、もやもやしながらデザインしていた。
なんとなく物を作ってて楽しくなかった。
だから向いてねぇ…と思った。
でも多分できない自分に対しての言い訳も入ってたと思う。
できない理由を探していたんだと思う。
▶︎ポンコツ、デザイナーをやめる
そしてポンコツの僕は逃げるようにデザイナーをやめた。
半分逃げるようにやめた。
デザイナーをやめた後はディレクターになった。
ちなみにデザイナーをやめたと言っても、会社をやめたわけではない。
同じ会社でディレクターになった。
僕の会社で言うディレクターは、営業と話し合い、次に作る広告のデザインを考え、デザイナーに作ってもらう仕事だ。
ディレクターは自分でものを考える方の仕事だったので、僕に向いてるかと思った。
しかし、基本僕は陰キャでコミュニケーションを人と取るのが苦手だったので、営業とうまく話せるかも正直不安だった。
そして現にうまく話せない時もあった。
僕はそこで思った。
「苦手なことを克服するのも大切だけど、好きなことやるのも大切じゃね?」
そう思った僕は、広告の「分析」をしてみることにした。
この広告がなぜ売れたのか?
前から自分で黙々と考えるのが好きで広告の分析に興味はあった。
が、ディレクターの仕事として分析はその当時、業務内容にはなかったので、一人残業しつつ、勝手に一人で分析していた。
今思うと完全にアウトというかブラック企業に認定されそうな残業時間だった。
しかし、自分的には無理に残業しているという感覚じゃなく、遊びたいから門限破って遊んでるという感覚だった。
**
▶︎ポンコツディレクター、賞をもらう**
とにかく分析が楽しかった。
そしてその分析結果を営業、クライアントに提案し、広告を作ってみた。
結果、めっちゃくちゃ売れた
超その広告で稼げた。
そして僕は会社で表彰された。
社員800〜900人くらいの中から半年に一回、特に活躍した人が5人くらい選ばれるのだが、僕が選ばれた。
これが僕の最初の成功体験だったと思う。
この成功体験から学んだことは、
好きなことやった方がいい
シンプルにこれだった。
分析が好きだったから、ゲーム感覚で無限に考察できたし、残業も苦じゃなかった。
努力が努力と感じなかった。
それはきっと分析というものが好きだったからだ。
苦手なものはほどほどに、好きなものに打ち込んでいこう。
そう思った。
**
▶︎知識・スキル・人脈全部無しでブランドを立ち上げる**
好きなことやった方がいい
成功体験からそう学べた僕は、好きな物をデザインしようと考えた。
元からデザイン自体は好きだったか、他人が考えた物を形にするデザイナーという仕事に対してもやもやを感じていた僕は、フラストレーションを発散するように前から作ってみたかった「服」を自由に作ろうと決めた。
そして僕はブランドを立ち上げようと決意する。
とりあえずブランド名は「歪hizumi」とし、ロゴは自分で作った。
しかし、知識・スキル・人脈、全部なかったので、足りない部分はとにかくネットで調べたりするしかなかった。
そして服は出来合いのボディにプリントして手軽に作れることを知る。
僕はこれでも一応デザイナーだったので、グラフィックなんかは作れる。
それをプリントすればとりあえず服は作れそうだった。
あ、服って簡単に作れんじゃん。
僕は思った。
売る場も用意しなければならなかったので、ストアの作り方についても調べたら、無料でストアをネット上に開設できることを知った。
なんて便利な時代なんだ。
次はモデルさん探しだった。
これも人脈がなかったので、インスタで探した。
そしてめちゃくちゃイケてる「田中ショヲタ」さんというモデルを見つけた。
みた瞬間、ピンときた。
この人だ。この人に頼もう。
ショヲタさんをイメージしたスウェットを勝手に作ってプレゼントさせてもらったりしたので、モデルは快く引き受けてくれた。
あとはカメラマンさんだ。
ブランドに関する人脈はなかったものの、カメラマンの人脈ならあった。
大学時代のバイト先の後輩にプロのカメラマンさんがいた。
ラッキー。
その子にカメラマンをお願いすることにして撮影した。
そして初撮影はこんな感じの写真が撮れた。
すげぇ…
もちろん服もカッコよくできた自信はあったが、モデルさんの力、カメラマンさんに力も大きく、満足のいく作品ができた。
ブランドって面白い。
そう心から思った瞬間だった。
webデザインも少しかじっていたので、自分でwebサイトも構築し、SNSのアカウントも作り、準備OK。
僕はブランドを立ち上げた。
**
▶︎**初販売、果たして…?
まず売る前に僕は値段を決めなければならなかった。
めっちゃ悩んだ。
安くした方が当然売れやすいだろうが、僕は結果、値段を高くつけようと考えた。
付けた値段は21,800円。
高い。
知名度ゼロのどこの馬の骨とも分からないブランドの21,800円の服を誰が買うのか。
僕自身も正直そう思ってた。
でも強気な値段にした。
そもそも、ブランド自体趣味ではじめたものだし、売れなくてもいいや。自分で着よ。
そう考えたので強気の値段を付けた。
そしてSNSで告知し、販売開始。
3着限定という形で販売を開始した。
まぁそんな売れなそうだし、とりあえず3着売ってみよ。
そんな気軽な気持ちで売り始めた。
販売開始3分後、携帯に通知が届く。
「服が購入されました」
という通知だった。
まじ!?
驚いた。
びびった。
通知が信じられなかった。
だって、今まではポンコツデザイナーで、自分のデザインには価値がないと思ってたから。
そう思ってたからこそ、自分のデザインに21,800円の価値がついたことが信じられなかった。
そしてさらに15分後、さらに1着売れる。
さらにびびった。
そしてここまで来ると、あと残り1着も売れてくれと欲が出てくる。
そして販売から30分後、最後の1着も売れる。
それはもう飛び上がるように嬉しかったのを今でも覚えている。
いまでも最初に買ってくれた3人のお客さんの名前は覚えている。
嬉しくてすぐに奥さんにも売れたことを報告した。
とにかく嬉しかった。
自分のデザインに価値がついてお金になった。
65,400円という大金に。
いままでデザイナーとして20万そこそこのお給料をもらっていたが、
その20万はあくまでも会社経由で手に入れているものというか、自分の力で稼いでいるかと言われればそうではなかった。
しかしこの65,400円は自分がやりたいことをやるために行動し、それに価値がついた結果だ。
その過程を考えると会社の20万そこそこの給料よりはるかに嬉しかった。
しかし、ここで僕は調子にのり、次の販売で痛い目をみることになる。
▶︎調子に乗った結果、2作目、1着しか売れない
初販売で売れたから2作目は10着くらい売れるっしょ!
ということで、でっかくブランドロゴが入ったロンTを売った。
こんな感じの服。
価格は¥13,800。
前回同様まあまあ攻めた値段。
ちなみにこれはお金なかったので、僕がモデルやって、セルフで写真撮った。笑
自分で写真も撮り、まあ悪くないんじゃないか?ということで販売してみることに。
結果…
1着しか売れず…
調子のってました。完全に。
前即行で3着売れたんだから、10着は売れるだろうと思っていたら1着…
冷静に考えてみれば、無名のブランドのロゴが入ってるロンTなんて、ブランドファンがいない状態で売ってもなかなか売れるわけがない。
ちょっと考えれば全然わかるが、僕は調子にのってたので気付けなかった。
そして僕はメンタルが結構ポンコツなので、そこでやる気無くすのであった。
そこから2〜3ヶ月くらいやる気なくして何一つブランド進めなかった。
▶︎再販して15着売れる
2回目の販売で1着しか売れず、撃沈し、やる気を失い、2〜3ヶ月何一つブランド進めませんでしたが、ある日、奥さんにこう言われた。
奥さん「ブランドやめるの?」
俺「えー?今はいいかなぁ…」
奥さん「またすぐ飽きたんでしょ?」
俺「ばれたか」
奥さん「続けた方がいいよー」
基本僕は飽き性で、いろんな趣味に手出したりしてて、その趣味に対して奥さんは基本一切口を出さないタイプなのだが、ブランドだけは初めて「続けた方がいい」と言われた。
初めて趣味に対して口出しされたので、
「んー、まあじゃあ続けてみるか…」
ってな感じで、とりあえず最初に初販売で3着売れたブルゾンを再販することに決めた。
結果、15着売れた。
驚いた。
1回目の販売で3着すぐ売れたので、ある程度売れるかとは思ってたが、15着も売れるとは。
売り上げは327,000円。
かなりお金になった。
粗利も大人の事情で言えないが、まあまあ残る。
ここで僕は気づいた。
「次の服、このお金で作って撮影できるやん。」
ということで思考回路が単純な僕は、またブランドに対してやる気になる。
▶︎3作目売り上げは果たして…
僕は3作目の服を作った。
今回初めての試みとして、前の販売で得た資金を元に、穂竹藤丸さんという絵師さんにイラストを描いていただいた。
このイラストを使いプロモーション用の動画も作成し、それも合わせて使いブランディングした。
ブランドの「雰囲気」を伝えるのが、かなり大事だと思っていたし、何よりブランドやり始めた理由が自由に表現したいというの根本的な理由だったのでとにかくやりたいことをやってみた。
結果、30着売れて売り上げは60万くらいだった。
かなり売れた(自分のなかでは)
この売り方アリだ!
と自分の中で手応えがあった。
ビジネスに寄りすぎても表現としてつまらなくなるし、あまりにも突拍子のないものを作りすぎると、ビジネスとして売り上げが立たなくなる。
その間でいい具合のバランスが取れていた気がしたので、この辺から僕もブランドを趣味兼、ビジネスとして考え始めた。
▶︎ポンコツ、販売時期ミスる
前回の売り上げもあり、またやる気になり、早速服を作成するわけだが、またやらかした。
販売時期の想定をミスった。
5月くらいに販売するかというわけで、肌寒いときにも軽く切れるジャケット、ロンT作った。
サンプルができあがってきた時に気づいた。
5月に売ったらお客さんに届くの7月じゃね?
あれ?暑くね?
そうなんですよ。
基本受注生産で販売していて、お客さんに届くまでに、生産するために期間必要なので、2ヶ月必要だった。
なので5月に売ったらお客さんに届くのは7月…
**
ミスったー…**
販売時期を逆算して販売するの抜けてた。
というわけで急遽5月の販売をやめて、9月に販売することに決めた。
9月まで結構期間空いてしまうな、、、ってことで、そこまではブランドの作業、何も進めないつもりだったが、ひょんなことからTシャツ販売することとなる。
**
▶︎急遽、Tシャツを販売する**
9月まではブランドはお休みしようと思ってたのだが、ひょんなことからTシャツを販売することとなる。
気まぐれにやっていたツイキャスでのことだった。
たまーにツイキャスやってるのだが、そのとき、某コンテンツ会社を経営してるお兄さんから、コラボキャスしようぜ!とお誘いを受けた。
その方とはブランドやっててたまたま知り合ったいいお兄さんなのだが、急遽その方とツイキャスで話してる時に、ブランド運営の話になり、
「手軽に買えるやつも売った方がいいよ」
ってなアドバイスをいただき、
「まじすか、売ります」
ということで、年上の親切なアドバイスは素直に受けるべきということで、ツイキャス中の話の中で、販売することを決定した。
価格は5,500円。
今まで売っていた価格帯からすればかなり安い。
結果はかなり売れた。
びびった。
売り上げで言うと130万くらい。
売り上げの桁変わった。
結構お客さんへも僕のブランドは「高いブランド」と認知されていたみたいで、そんなブランドの服を手軽に手に入れられるチャンスってことで、結構買っていただけた。
本当にお客さんへは感謝だった。
そして、それを見抜いていたコンテンツ会社のお兄さんは流石だなあと思った。
僕の唯一自慢できる才能として「周りの人に恵まれる」という運の良さがあるのだが、今回も遺憾無くその才能は発揮されたと同時に、
**
お兄さんありがとう**
と言うことでお礼のラインをした。
そしてその頃から特に、もっと売れたいとか、売れなきゃみたいなプレッシャーは少しずつ感じていたと思う。
だが、そこからブランドのやる気なくす、というポンコツメンタルは発揮されていないので、そのプレッシャーはいい意味で感じているんだと思う。
**
▶︎5作目、運命の出会い果たす**
5作目、結論から言うと結構売れた。
売り上げは200万。
もちろんこの売り上げはとても嬉しいのだが、何よりこのモデルさんと出会えたのが大きかった。
No.58(のこや)さんという方。
僕のブランドの世界観とも合うし、何より自分の世界観を持ってる人なので、相乗効果でかなりこのコレクションでは世界観を推せたと思う。
のこやさんのファンの方もお洋服を買っていただいて、とてもありがたかった。
のこやさんとの出会いもかなり僕の豪運が発揮されていて、
友達の友達がのこやさんだったのだ。
ある日のこやさんからツイッターでフォロバしてもらえて、のこやさんと共通の友達のキャスに僕が遊びいった時に、
「そいえばのこやさんにフォローしてもらったよ。のこやさんにモデルやってほしいわー」
と言ったら、
「まじ?のこやさんに言っとくよ!」
ってことで友達経由でなんとのこやさんに連絡してくれた。
しかもすぐに。
その日に連絡返ってきて、
「ぜひー!」との返事もらえたので、
モデルしていただけることになった。
豪運。
やはり周りの人に恵まれるなーと思いつつ、のこやさんとその友達に感謝した。
▶︎運命の出会い②
初心者でブランドをやっていくにあたっての大きな壁の一つとして、
縫製職人さんになかなか出会えない
というのが挙げられる。
今、縫製職人さんがどんどん減っている上に、服飾関係の学校も、会社にも行ったことがない僕や、その他ブランド素人の方々にとっては、なかなか職人さんに出会うのは難しい。
例に漏れず、僕もその壁にぶち当たっていたが、たまたま足を運んだバーの音楽イベントにて、また僕は豪運を発揮する。
そのイベントのバーテンダーがなんと縫製職人もやっていたのだ。
僕「ブランドやってるんですよねー」
バーテン「あ、僕縫製やってますよ」
僕「え、まじすか?」
本当にこんな会話。
僕は全く服飾に関係ないイベントで縫製職人さん出会うという離れ技をやってのけたのだ。
これは本当に運がよかった。
出会ってからはその職人さんとずっと仕事をさせてもらっていて
先日もアシスタントの面接を一緒にやったくらいには一緒に仕事しているし、なんかわからんけどカードゲームも一緒にやったりしてる。
縫製職人さんは結構40代50代の人も多いのだが、その職人さんは年がわりと近かったので、結構一緒に遊んでいる。
本当に「感覚が合う」職人さんに出会えた。
本当にただただ運が良かったし、ブランド素人の僕の仕事を快く引き受けてくれる職人さんに感謝である。
**
▶︎再販で250万売り上げる。しかし…**
以前販売した、ブルゾンを販売した結果、売り上げは250万だった。
約1週間で250万売り上げることができ、クリエイター的にもビジネス的にも嬉しかったのだが、ここで問題が発生する。
「やべぇ…梱包無理だ…」
ここまで売れると検品と、梱包の作業は僕の作業量の限界をとうに超えていた。
人を雇うことも考えたが、大切な商品をよく知らない他人に預けるのは少し怖かった。
そこで僕は思いついた。
妹いるやん
そう、僕には妹がいた。しかもその時、妹はニートをしていたの暇だったのだ。
「お金あげるからバイトしない?」
ってなわけですぐ梱包のやり方をテンプレ化し、妹に共有、妹に梱包をお願いした。
ここでも信用できる身内にすぐ動ける人間がいて運がよかったと思う。
**
▶︎2割実力、あとはもうただの豪運**
一年間を振り返ってみて思うのは
「本当に人に恵まれた」ということである。
モデルさんしかり、縫製職人さんしかり、カメラマンさんしかり、妹しかりである。
その時助けてほしい人と運良く出会うことができたのが本当に大きかった。
これは運。
ただの運。
ただ、この運を引き寄せたのは僕が失敗を恐れず行動した結果だとも思う。
ブランド初心者なりに自分で考えていろいろ作ったり、売り方考えたり、いろんな人に声かけてみたり、
わりと僕は思いついたらすぐ行動するタイプの人間なので、その性格がうまくはまったというか、いい方向に転んだ結果だと思う。
だから実力2割。運8割。
運の方が割合大きいけど、行動しないと運は掴めない。
そんなことを思った1年だった。
まだまだ小さいブランドなので今年も大きくできるように頑張ります。
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