村上春樹『アフターダーク』 感想、考察

「真夜中から空が白むまでのあいだ、どこかでひっそりと深淵が口を開ける。」

これはこの本の帯に書いてある文句だ。読み終わった今、よくよく考えてみるとその意味が理解できてくる。

舞台は東京の終電が終わってから、始発が始まり空が白むまでの間。この小説の語り手は、ひとつの「視点」である。この設定はなかなか面白い文章の構成に一役買っている。

読んだ人はわかると思うが、この小説のタイプ的には、どんでん返しとか最後畳みかける類ではなく、最後読み終わって本を閉じて、しばらく「これはどういうことだったんだろう」と考えてしまうものである。登場人物はそんなに多くない。

語り手としての視点、エリ、マリ、高橋、白川、カオルとホテルの従業員、中国人の娼婦とその上の組織

主なところとしてはこんなものだろうか。

さて、この小説には答えを提示されずに残された”問い”がたくさんあるが、その中から一つだけ取り上げて書いていこうと思う。「仮面の男は誰か?何を暗示しているのか?」という問いだ。

最初に考えられるのは、仮面の男は白川なのではないかという説。理由は、仮面の男がいる”むこうの世界”が白川が夜中1人で働いているオフィスに似ていること、会社の名前が入った鉛筆が落ちていること。

しかしここで気になるのは、白川とエリ、マリの間に全く接点がないこと。白川が接点を持つのは中国人の娼婦と高橋。(白川のケータイを見つけて電話に出ただけだけど) 描写から考えて、仮面の男がエリを別世界に閉じ込めていると考えられるので、接点がないことはどうしても引っかかる。

ここで、残された登場人物をもう一回見てみる。登場人物の中でもメインの4人(エリ、マリ、高橋、白川)の高橋はどうだろうか。というかそれ以外はあまり考えられない。

もちろん”むこうの世界”の話なので、何か概念的なものが姿を持って現れたという考え方もできるが、ここでは高橋の悪の部分を表出させていると考えるとスッキリすると思う。冷静に振り返ってみると高橋には何かおかしい部分がたくさん見受けられる。自分で自分を無害と言っている割には変だ。そこで、高橋が仮面の男だとすると納得できる場面がいくつかある。

・「君のお姉さんは美人だった」と過去形で言ったのは、エリが”むこうの世界”にいることを知っているから

・「お姉さんによろしくって伝えておいてくれるかな」と言ったのは、直接話せないことを知っているから。

などなど。他にもいくつかありそうである。

しかし”むこうの世界”が白川の会社と共通点を持っているのは説明が少し難しいので断定はできない。しかし、伝わってくるメッセージは結局一緒である。善と悪、善人と悪人の間に明確な隔たりなんかない。この考え方は、『ノルウェイの森』に出てきた「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」というセリフにも似たものを感じます。下にアフターダークの印象的だった一節を引用します。

「しかし裁判所に通って、関係者の話を聞き、検事の論告や弁護士の弁論を聞き、本人の陳述を聞いているうちに、どうも自信が持てなくなってきた。つまりさ、こんな風に思うようになってきたんだ。二つの世界を隔てる壁なんてものは実際には存在しないのかもしれないぞって。もしあったとしても、はりぼてのぺらぺらの壁かもしれない。ひょいともたれかかったとたんに、突き抜けて向こう側に落っこちてしまうようなものかもしれない。というか、僕ら自身の中にあっち側がすでにこっそりと忍び込んできているのに、そのことに気づいていないだけなのかもしれない。そういう気持ちがしてきたんだ。言葉で説明するのはむずかしいんだけどね。」 P141-142

この場面の前に高橋は、「死刑判決が言い渡されるようなやつと自分みたいな平和主義者には決定的な隔たりがあると思っていた」みたいなことを言っている。

この本が絶賛される理由も少しわかってきた気がする。善と悪は対義語ではないのかもしれない。対義語といえば『人間失格』、『罪と罰』、、、いろんなこと考えちゃいますね笑

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