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新しいかぞくの形を作ろう。


子どもたちが走り回る。大人たちは最近あった出来事をツマミにしてお酒を飲んでいる。そうかと思えば認知症のおじいちゃんが行ったり来たりしている。夜が更けると明日に備えて帰る人、気がつくと寝落ちしている人、ひとっ風呂浴びに銭湯に行く人。みんなそれぞれだ。

ここは僕の実家。毎日とっても賑やか。

2〜3年間東京に出て修行してくる。そして神戸の街に戻ってくる

理想の自分、なりたい自分を目指して東京へ飛び出した。だけど1年やそこらでまたこの場所に帰って来た。「悔しい」「情けない」「もっとできたんじゃないか」そう思う自分もいる。

ここは本当の実家でもなければ、一緒にいる人たちは本当の家族ではない。

理想を追い求めて東京に飛び出したけど、大切なことはここに詰まっていたのかもしれない。そんなことを思いながら書いてみる。


軽蔑していた母の存在

母子家庭で一人っ子。幼い頃から歩いて10分の所に住むおじいちゃんとおばあちゃんに可愛がられた。おかげで性格は「平和主義」「マイペース」典型的な一人っ子タイプだ。

周りの人からは「おとなしくて偉いね」、よくそう声をかけられたことを覚えている。そのおかげで自分を表現するよりも、周囲の雰囲気を見ながらバランスをとって動く癖がついた。そして「頑固」、言い方を変えれば「ワガママ」だ。反対されても自分がこうと決めたら曲がらない性格。そんな所も押さえつけるようなことはせず、小さな頃から自由にさせてくれたと思う。

1つだけ大嫌いなところがあった。母はある宗教を盲信していた。
僕は物心つく前からイベントや会合みたいな場所に連れられていた。初めはよくわかっていなかったけど、小学校3年生ぐらいから「なんとなくいやだな」と思いはじめていつしか避けるようになった。

中学に入りネットで情報を得た。「なんでこんな場所に連れて行かれてたのか...」中学、高校、大学...歳を取るほどに心の距離は離れていった。同じ家に住んでいても話すことどころか顔を見ることは無くなった。いつしか母とは話さなくなり家を出た。


「家族」という存在へのコンプレックス

それから程なくして母は亡くなった。知ったのは1年後ぐらいだったと思う。
訃報を聞いた時は涙も出なかった。「悲しい」そんな感情に行き着くまで心が動かなかったのだと思う。母への軽蔑した気持ちの糸は固く結ばれていた。そう簡単に解けるものではなかった。

それからずっと、心のどこかに穴が空いているような感じがする。家族という存在がなくなってしまった寂しさという穴。どんなに楽しい時間を過ごしても、自分の部屋に帰った時に感じる寂しさがとても深く大きく感じるようになった。「家族がいないんだな」って。心から寄りかかれる存在がいないこと。自分は誰かに甘えることはできないかもしれない。そこで気が付いた、自分にとって「家族」が一番のコンプレックスなのだと。


そんな自分にも家族のような存在ができた。

本当の家族と疎遠になったと同じ時期。長年行なっていた仕事を辞め新しい仕事、暮らし、行動ををはじめた。クラウドファンディングをしてイベントを行なったり、会いたいと思った人に会いに行ったり、子どもの頃に押さえつけていた感情を解放したかのように。類は友を呼ぶ。そうするうちに心から共鳴する人たちと出会った。そこは年齢も肩書きも国籍を問わない。いつの間にか「母親代わり」「兄弟代わり」「子ども代わり」「実家代わり」自分が自分でいるままに存在できる。そんな環境にいつしか安心感を感じていたのだと思う。

1年半ほど東京での生活をはじめることができたのも、仕事を辞めて帰ってこれたのも、戻れる場所があるという安心感があったから。

「ただいま」と声をかけてもらえる場所。
「行ってらっしゃい」と背中を押してもらえる場所。

故郷を離れて生活をする中で、ただそんな場所があるだけで救われることを知った。ふとした日常の中に幸せな光景があることも。

この世界に家族のような関係性を増やして生きたい

そう思うようになった。


家族ってなんだ?

辞書で「家族」とひくと、「血縁・血の繋がりがある人たちの集まり」となっている。つまり「家族=血の繋がり」ということ。

「婚姻関係を結んでいる男女」「同じ家に住み暮らしていること」。これが世間一般でいう「家族」で、きっと多くの人が思いうかべる正解だと思う。僕自身もそんな家族に憧れる。

だけどそんな正解ばかりが「家族」となると息苦しい人もきっといるだろう。正解を知っていても色々な事情でできない人だっている、自分のように取り戻すことができない人だってきっといる。理想像やあるべき姿に苦しめられる。

こんな家族の形があっても良いよね

家族の形がたくさんあれば、社会がもっと豊かになるんじゃないかと思う。血縁関係や戸籍上の家族だけが家族ではない。家族の中でも色々な距離感がある。顔を知っている程度でも家族の縁を広げることができれば、優しい社会になるんじゃないかな?


血縁関係がなくても家族はできる/これからの家族の形

家族の形は一つではない。家族の数だけ形がある。
僕の考える家族の定義は「想い(心)で繋がる存在」だ。
人によって距離感は違っても構わない。同じ場所にいるだけで、なんとなく気にかけていて、なんとなく安心する存在。時に悲しみを分かち合えたり、離れていても「あいつ元気にしてるかな?」と思い合えたり。

血も戸籍も繋がってなくたって、同じ鍋を突っつきあったりお酒を酌み交わしながら感情を分かち合える。一人っ子でも兄弟のような関係性が生まれる。LGBTの人でも子育てができる。みんなバラバラのことをやっていても、同じ空間で互いを認知しながら自由に時を過ごす。お年寄りとか子どもとか、認知症とか外国人とか線引きをする以前に、「どういう人か」を大切にして、お互いの違いを個性として認め合える。そんな安心できる関係性を作り、空気感や雰囲気がある環境を文化として作り、広げて生きたい。


共に暮らし、互いを知り、受け入れたり分かち合う。
そんな関係性こそが「家族」なのではないかと思っている。


新しい家族の形を作ろう

これから人口はどんどん減っていく。だけど街ですれ違うほとんど人は知らない人だ。関係人口を増やすことはまだまだできる。そしてその関係性を深くすることだってできそう。この社会は「人と人との繋がりがすべて」。家族と思えるほどの関係性を増やすことで救われる人がいる。


親の病気、経済的な理由、虐待などによって、親が育てることができない子どもたちは、厚生労働省の発表では、約47,000人いると言われている。


誰にも看取られず、一人部屋で亡くなる孤独死は年間約3万人――。ここ日本ではざっと置き換えると1日当たり約82人、1時間に約3人以上が孤独死で亡くなっているという計算になる


厚労省は「3万人を超えていた一時期と比べると減少してきたが、まだ深刻な状況だ」


その為のテーマは「暮らし」や「日常」をいかに大切にできるかだと思う。
お互いをゆるやかに認め合える関係性を紡ぐこと。小さな「やりたい!」が叶うこと。その思いや空間を分かち合うこと。心に余裕を持つことができれば誰かにも優しくなれる。

特に自分は同世代や若者達に、子どもや高齢者と触れ合う機会を日常的に作りたい。子ども達が”今”を生きていること、お年寄りの最期が迫っていることを肌で感じることがきっと人生に温かな気づきを与えてくれる。

これまでの価値観を漢字で「家族」というするならば、もう少しゆるく柔らかい繋がりを平仮名で「かぞく」という概念にしたい。そしてこれからの「家族」は「かぞく」という概念として拡がって行くのではないかと思う。


何度でもやり直せる。

家族の形、あるべき姿。

これから「暮らし」や「日常」をテーマにして、そんな当たり前をゆるやかに暖かく解放していきたい。

「かぞく」と思えるような関係性、繋がりをこの社会に増やすこと。
これまでの経験や興味関心が全てこのテーマに落とし込める。

それは、自分の家族にしてあげれなかったことをやり直すことでもあり、生きづらさを抱えながら生きてきた自分が欲しい環境でもある。

新しい”かぞく”をつくろう

心にある穴はしっかりと埋まらないかもしれない。
だけど糸と糸が絡まったり解けたりしながら少しくらいは埋めることはできるかもしれない。

今まで目を背けていた「家族」という存在が、これからの人生を生きる一つのテーマ(概念)に変わった。


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