海外と(で)仕事する

1つ前が大作過ぎたので、今回はもうちょっと簡単に。。笑
と思ったけど、大差なかった。

カテゴリ的には

ビジネスや事業に関して。かな。雑感レベルですが。

要点としては

「オフショア」を言う言葉を捨てて、むしろ「海外から仕事をいただく機会」と考えるべき。そう感じた流れなどをまとめとく。

  • ここまでの経緯

  • 直近の情勢変化

  • 今何を考えるか

自分の海外仕事ここまで

ベトナムとの出会いから

2008年まで在籍していた最初の会社では、JR系ということもあり、海外と関わる仕事等々にはほぼ縁がなく、人生観に多大な影響を与えた視察旅行に一度行ったのみでしたし、自分自身も日本大好き人間で「海外?別に。。」でした。

2009年から所属していた旧エアーリンク社では、システム開発の協力会社さんが海外子会社(上海)を持っており、コスト抑制観点からの「安かろう、xxかろう」的ノリで仕事を作っていたことがありました。
私自身は、上海での開発案件や体制構築等に対しては傍観者でした。

2011年ごろから同じ協力会社との流れで、フィリピンでも開発を。。という話もありまして、結果、上記2か国への視察的出張はしましたが、自分がこれ(オフショア開発)をやりたいかと言われると。。。うーむ。でした。

2012年11月、そんな自分の考えが変化するベトナムとの出会いがありました。当時一緒に仕事をさせていただいていたエボラブルアジア社からの人材紹介などもあり、ベトナムへの出張などが色々決まっていきました。

余談で、、、そういえば、2010年には、初めてシンガポールに出張して、ホテルと滞在先オフィスにほぼ缶詰め。。で何も外に出ずに帰ってくるという事案も経験したな。
とかはさておき、2012年当時「ベトナム??」と思ったことはよく覚えています。

開発チームの立ち上げ

この辺りは、別の方々が色々書き残している記事等の方がはるかにリアル感ありますが、まぁ、一旦シンプルに書くと、

  • 2013年3月 ブリッジ1名+3名でスタート(ホーチミン)

  • 2022年10月現在に至るまで、拡大したり撤退したりとか、形を変えつつ、仕事上の関係性はほぼキープされており、10人のメンバーと一緒に開発などをしています

  • ちなみに、自分が関わった中でのチーム最大値は40人弱くらいでした。

  • マニラ(マカティ)で同様のことにもチャレンジ。こっちはスケールにはいたらず、2年くらいで苦渋の撤退。

  • 開発パートナーとしてはインドのIT会社ともかかわりました。

ビジネス的な絡み

海外に打って出てビジネスを拡大する機会創出。。いわゆるグローバル展開とかではなく、あくまでも会社内の開発体制&要員の補完として海外を使ったという程度です。

  • 基本はあくまでも「IT開発拠点」として、数か国の方と一緒に仕事をするという流れでした。

  • あくまでも発注側立場であり、会社も異なっていて「パートナーシップ」程度の関係でした

  • 2015-2016年ごろに直接の海外子会社をベトナムに。。とも検討しましたが、勢いが弱く、夢に終わりました

  • 2018年の転職の際に、ベトナムに子会社が存在していたことを活かし、そこにエンジニアチームを組み込むことで、初めて自社(子会社)に「日本からの開発委託」チームを持って運営する経験を積めました

  • 現地ビジネスを拡大させるとか、親会社以外の仕事を渡すとかはできませんでした。2022年秋に少しだけ他社受託をやれましたが。(コネ)

この3年がもたらした変化

そもそもオフショアではない

東南アジア=発展途上、物価が安い、若い。等々。
だから、高齢化・労働力不足・単価抑制・・・等を踏まえた人材調達。
これが従来オフショアだったのは間違いないかなと。

ですが、実際やってみて、かなり最初の方から感じたのは、「オフショア」と括られていた方々に関して、

  • そもそも同じ人間だから、国と能力が紐づくことは無い

  • 圧倒的に「機会が足りなかった」人たちがたくさんいる。ポジティブに言えば無限の可能性

  • むしろ、さぼることを覚えたキリギリスよりはるかに勤勉

  • 単価はすぐ上がる。だから「安い」を求めてはいけない

ってことでした。私自身は、「安いからこっち(ベトナム)を」感覚は、現地での食事以外ではほとんど感じなかったです。

オフショアは死語になりつつある

2020年初からの数年の鎖国を経て、いまどうなっているか。

  • 経済成長が継続する国々と、ほぼ唯一取り残された世界遺産みたいな国

  • 国家戦略で国力を上げようとし経験不足をパワーで補いながら実績をどんどん積み上げる国々と、2025年問題とか適当なこと言ってても何の変化もしない、ただ衰えていく国

  • 通貨競争力も含めた「受発注」の関係性

  • これまでの最も大きな差であった「経験値」を埋める様々な取り組み

昔、少し趣味でやっていて、その後離れてしまったが最近また色々興味を持ち出した「将棋」の世界における、棋士と女流棋士の関係性に近いものを感じます。

「棋士と女流棋士は違う」「なぜ女性は棋士になれないのか」
これの答えは、

競技やルールの特性ではなく、単に経験値の差だ

という意見が主流になりつつあるようですが、まさにそういうことかなと。

オフショアという「受注側」でしか仕事をできない機会しかなかった人たちに、圧倒的なスピードで経験値が積み増されている。

だから、日本にとって、もはやオフショア先はないのではないか。
むしろ、日本人が「使われる側」なのではないか。そんな気さえします。
昨日、そのような議論をさせていただいた方もおり、ますます自分もその想いを強くしました

今考えないといけないこと

元々工業国家として急速に進展した日本という国は、輸出ができないと国力が維持できない国でした。

それと立場形は変われど、どちらにせよ、日本は単独で国力を維持できるフェーズをとっくに過ぎてしまいました。

だからこそ、もう当たり前のように海外に頼り、海外にすがり、自分たちを売り込み、強力なパートナーシップどころか「同志」として外国と仕事をしないといけないんだなと思います。

もしかしたら、こちらが「下僕」かもしれません。まぁでも私は「下僕」でいいと思っています。隠居手前ですから。

まとめ

簡単に書こうと思っても、この書き方だと2000文字すぐ超えますね。。。
それは見直すとして。。。

もう「遺す」ためだけじゃなく「生きる」ために海外にすがるところはすがっていこう、と改めて誓ったのでした。

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