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シリコンバレーへの想いー亡き恩人に捧ぐ

 先日書いた記事の続きとして、「使命感」を感じていることについて、書いてみます。関連noteはこちらから。

こちらの想いや動きにも大きな影響を与えています。
(シリコンバレー&アジャイルなくだり)

カテゴリ

信念、感情に関すること(日記的な「強い思い」も含む)
ビジネスやら事業に関すること

要約

 シリコンバレーへの想いといいつつも、ある程度はやはり「人」に紐づく想いもあるんだなと認識させられる事案です。
 実際、苦しい時・悩んだ時・その他もろもろネガティブな時、心の支えになるのは、恩人などの「人」への想いなんだな。と感じるシーンは多い。
 そして、「縁」とか「思い立ったら会う」の大切さ。

ご紹介

 2020年、突然の別れが来たので、あれから2年です。ただ、サイトはまだ遺してあるので、きっと使ってもいきなり404にはならないだろう、、ということで、貼ってみます。後で言っとこう。

こっちがいいのかな。

山谷正己さん。享年78歳。

2005年にシリコンバレー伺った際に、現地アテンドをしていただいた方です。その後、自分がシリコンバレーに行くというのはまだ叶わないので、彼が日本に来た時に、2度会いました。2010or2011年と、2020年11月。

自分にとっての山谷さん

 上記の通りの関係性なので、込み入った話とかはほとんどしていないです。実際、自分にとって、例えば人生の手本になるとか、やっていることをロールモデルしたいとか、何でも相談したいキャラではなかったです。
 FaceBookでつながったのも2018年辺りなのですが、たまにメッセージが飛んでくるくらいでした。

最後の出会い

 2020年春より、海外との行き来が止まりまして、、の中、

最後のメッセージ

 それが、奥多摩・御岳山へのハイキングでした。メンバー。。と言っても、あまりこのコミュニティが活性化されているイメージもなかったので、行ってどうなるやら感はあったのですが、ボスに指名されたらまぁ行くしかなかろう、あと何度会えるか知らんし。。と思って参加しました。

 ハイキング参加者は7名だったと記憶。普通に山間部を歩き(注:コースによってはソコソコハードです)、彼は杖をつきつつ、時々ヒーヒー言いつつも、健脚で歩いておりました。

(余談)
 この時期は、ちょうどGoToな時期でして、その1か月前に、40年ぶりなメンツに会う同窓会というのもあったりして、「出られるやつは出るか」的な思いもあったのかなと。

突然の訃報

 別れとは急に来るもので、このハイキングでお会いし、写真のやり取りとかをして、本人からも「今日(月曜日)は都内を6.5 km 歩き回りました」とか来ていたりしたのですが、11/18 私用で出ている最中に倒れられ、そのまま。。という連絡が11/20に届きました。
 なんせ、数日前に10年ぶりに会い、元気に歩き回り、怪気炎上げられていたので、さすがに色々驚いたり動揺したり、してしまいました。。

 自分の祖父も70後半で精力的に動き回っている最中に、道でうずくまり、通りがかった人に緊急搬送していただき、一命をとりとめたことがありましたが(解離性大動脈りゅうというやつ)、いきなり来るときは来ますね。。

別れに際して

 心の整理がつかないな。。なんだろう、こういう感情は初めてかも。というような、モヤモヤが数日続きました。
 もちろん、単純に衝撃・ショックなのもあるんですが、さして会っていない・恩人と呼ぶには、、なのか?とか、色々整理ができなかったので。

 数日その状態が続いた帰り道、ふと、最後のミーティングの内容と、ほぼ最後に直接何気なく言われたことを思い出した時に、急にブワッと涙が出てきました。あー、これかぁ、、、と納得しつつ、泣き止んだ後に「誓い」を立てることにしました

 この機会と別れは、私にとっては導かれたものだったのだ。だから、残りの人生をかけて、やらねば、と。

導かれたこと

最後のミーティング

青空会議の場所、来年は取り換えられてるかな

 ハイキングを3時間ほど行った後に、お昼を食べて、少し話をしていたら、おもむろに「せっかくこんなメンバーで集まっているんだから、ディスカッションをしないか」と彼が言い出し、上記の写真の場所へ移動して、青空会議がはじまりました。

 といっても、参加者の半分以上はもはや隠居手前というか、彼の使命感に応えられそうな人は私ともう1名しかいなかったのですが。

遺されたこと-1

 その会議の彼の問いは、
 「どうして日本では未だにアジャイル開発が定着しないんだ」
でした。
 中々に難しい話で、「どうなんだ」って言われましても。。と思うところはありましたし、当時の私は、「開発手法よりも、意思決定等の各種プロセスに必要な人物がどの程度揃うかの方が大事」という考えだったので、
 正直なところ、開発手法ありきの会話には興味がなかったのです。

 その場で有益な答えは出るわけではなく、一通り話した後、インターネット・クラウド・AIと乗り遅れ続けるIT後進国ニッポンを嘆き、
 「だから俺は老体に鞭打って頑張っているんだ」
 と言われまして、不甲斐ない気持ちになったのは間違いありません。

 その時の会議だけだったら、おそらく今の自分の変化はなかったと思いますが、訃報から涙の後、
 「アジャイル開発を進めるのは遺された自分の使命だ」
と誓うようになりました。

(余談)
 山谷さんは、シリコンバレー研修の時もそうでしたが、インターネット・オープンソースソサイエティ・クラウドコンピューティング等、ある種の性善説を前提にしたエコシステムの重要性をよく説いていました。
 これも、個人的には、あまり自分ごとになっていなかったのですが、今になって、アジャイル開発とセットで、「先に掲げるべき理念」だかと思うようになりました。

遺されたことー2

 参加メンバーのことを見ていても、彼の周りにものすごい人だかりができるとか、そういうキャラではないんだな、とハイキング中に改めて感じたりしていたのですが、帰り際にたまたま隣で話しかけられました。

山「最近はどうなんだね」
私「いえ、まぁボチボチで」
山「君がいたJRシステムは、最近は(以下略)・・。まぁ、そんな会社からの参加者の中では、あなたとM氏がとにかく気になるんだよな」
山「期待してるから頑張ってくれよな」
私「2005年の誓いは全く実行できていませんが、がんばります」

 恐らくは、研修時の半問題児として、当該会社からの参加人員の中で、記憶に残る方の2TOPの1名だったということなのでしょう。
 ただ、15年経った中で、そんな奴として私を覚えていてくださったのは、素直に嬉しかったです。

 ここで、声をかけられたのが、事実上、遺言みたいなものです。そして、これもある種の「生きている限り引き継いでいくこと」と思っています。

まとめ

 翌2021年から、アジャイル開発・Scrumの宗教活動を始めまして、ボチボチとそのメリットデメリット等々を体感するようになりました。
 加えて、クラウドコンピューティング等々についても、前提としてそれを先に掲げて動かねば。というのは、「ソフトウェアファースト」にも影響をうけ、今回のCEO的なヤツの大きなベースになっています。

 今まで、自分のこの「アジャイル・クラウド」的な使命感の背景をどこかに書いたことは無かったので、3回忌の道しるべとして、書かせていただきました。

 今年も御岳山は御岳山でした!

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