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美々津の町並み

宮崎県日向市美々津町は日向神話『神武東征説神話お舟出の地』として、また神武天皇が大水軍を編成・御親率されて御東行の御舟出をされた日本海軍発祥の地として伝えられています。
昭和15年には皇紀2600年記念を祝い、日本海軍協会・大日本海洋少年団・大阪毎日新聞社主催により、軍船“おきよ丸”を造船し、美々津港から大阪中ノ島まで神武天皇東行の聖蹟を巡航して橿原神宮に神楯を奉献したこの日を記念して、昭和17年に日本海軍発祥の碑の建立と両爪錨の製造が実現。
こちらの錨は太平洋戦争から戦後の混乱期を経て、昭和27年に建設された海上自衛隊に移管されていましたが、平成14年にこの地に帰還しました。

そんな美々津は江戸時代初期の元禄の頃(1688年~1703年)から海の交易の拠点として重要な港町とされ、港近くには津口番所や藩蔵が、対岸の幸脇地区や上流の余瀬地区にも番所が建てられ、城下町から代官や蔵役、番人などが派遣。
特に港町としての繁栄を支えていたのは千石船を所有する廻船問屋で、越後屋・明石屋・播磨屋・泉屋などと言った瀬戸内や畿内の地名を屋号として、耳川上流で生産された材木や木炭などを大阪方面に出荷しており、その土地の特産品や美術工芸品を美々津へ持ち帰り、地域と文化交流の担い手にもなっていました。
やがて明治から大正にかけて“美々津千軒”と呼ばれる程に港町は繁栄しますが、大正12年の国鉄日豊本線開通、昭和7年の耳川流域の道路網整備によって美々津港と大阪方面を海道で結んでいた輸送路は絶たれ、廻船業は衰退。

しかし現在でも賑わっていた港町の面影を色濃く残しています。

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先ずは美々津でも屈指の廻船問屋だった河内屋へ。
安政2年に建てられた建物は改修復元工事を経て、昭和58年から現在まで日向市歴史民俗資料館として美々津の歴史や商人の暮らしに関した様々な資料が展示されています。
当時の店舗だった部分にある調度品は当時使われていたものだそうで、昭和7年の日めくりカレンダーまで残っていました。
(興奮の余りか、大分ブレました←)

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2階の少しせり上がった不思議な構造をした小部屋は物を置く訳でもなく、真下に位置する1階の中の間には神棚がある為、人が入る事も許されません。

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その小部屋の隣には小上がりの和室。
今は所々建物で遮られていますが、昔はここから日向灘を綺麗に望めたのだそう。

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1階へ戻り、無双窓を暫し楽しんで通り庭を進む。

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離れのお風呂とお便所に、その先に望む中庭。

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収蔵庫にも興味深いものが多く展示されていました。
日向銀行とは宮崎銀行の前身の日向興業銀行の事だろうか・・・どの辺りに美々津支店があったのだろう。
また佐土原貯蓄銀行というのは美々津県だった時代のものなのかな??


民俗資料館を楽しんだ後は、町を散策。

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まちなみ防災センターは江戸時代の建物を模して建築したとの事なので当時の建物ではありませんが、なまこ壁に虫籠窓とよく出来ています。

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美々津軒は明治初期の商家・旧矢野家を修理復元した建物です。

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7月初旬の散策で汗だくになりながらも、ノスタルジックな風景にどんどん歩が進んでしまう。
何軒かのお家には美々津らしいデザインのポストがありました。

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中には洋風な建物も・・・こちらは昭和初期に建築された旧美々津郵便局。

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とても状態が良く、手入れが行き届いているのがよく分かります。

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旧郵便局の傍にはまたもや洋風の建物。
こちらは旧診療所との事ですが、詳細は不明。
旧郵便局と同様、昭和初期くらいかな?
現在は住居として使われているようでした。

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15時を過ぎた頃。
少しお客さんが落ち着いたように見えたので、江戸時代末期に建てられた古民家を利用した茶房たまのやさんでタピオカいちごミルクを頂きました。
飲みながら散策したかったのでテイクアウトしたのだけれど、今度はゆっくり店内で甘味を頂きたいな。

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こういった古い町並みは建物が密集している事で火事が発生する事が多く、特に日向灘に面している美々津のような立地は海風が強く火が回り易くなっています。
その為、町にある共同井戸は防火用水として設けられています。
立地的に塩水しか汲み上げる事が出来ない為、飲料水には使えないとの事。

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共用井戸の傍、日向灘に向かって伸びるツキヌケと呼ばれる防火路は江戸時代に設けられたものと伝えられています。
漆喰と言い防火壁と言い、大火から町を守る為の風景が結果的に美しくなってしまうという不思議・・・うーん、良い町です。


最後まで読んで頂き、有難うございます。


【撮影機材】
Canon EOS-1V
Canon EF8-15mm F4L Fisheye USM
Canon EF17-40mm F4L USM
Canon EF24-105mm F4L IS USM
FUJIFILM SUPERIA PREMIUM 400



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