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でき太くん三澤のひとりごと その71

◇  学校に通い始めると、成績で「自分」という存在が評価される。

もちろん生徒会活動や宿題の提出状況、部活動の関わり方、出席日数などによって評価される面もあるかと思いますが、子どもたちの多くは「勉強面の結果」によって、自分という人間が評価される部分が大きいと感じているかもしれません。

だから普段学習していなくても、テスト前となると急に学習時間を増やしてでも良い点数をとろうと努力する。

「自分」という人間をできるだけ高く評価してもらって、進学率のよい中学、高校に進学することを目標とする。

多くの子がそれを正しい方向性と判断し、それに向かって疑いもなく努力している姿を見れば、たいていはそれが「常識」だと思って、その流れに乗ろうと努力すると思います。


はたして、それを「常識」と思わせてしまうことが教育と言えるのか。


私たちの多くはずっとそういう教育システムの中で生きてきましたから、何ら疑問を感じることもなく、今ある「常識」の中で、しっかり結果を残していくことが教育的には成功と感じている面もあるかもしれません。


その感覚は、はたして正しいのか。


私が今の仕事を通して感じることは、「勉強面」でのことは、人はいつからでも再スタートできるし、自分のスタートラインから学習をしっかり継続していけば、必ず結果が出てくると確信しています。勉強面のことはいつでも取り戻せると思うのです。

多くの学生が、自分という存在を評価されると思っている「勉強面」のことは、実はいつでも取り戻せるものであるように思います。


では、本来教育が目指すもの何なのか。


それは、人によって違いはあるかと思いますが、私は人間としての成長だと思うのです。

勉強面でのことでもしっかり結果を残すことができて、人間としても成長している。

これが教育の理想だと思うのです。


では、子どもが人間として成長するというのは、どういうことなのか。


勉強に対して苦手意識がある子。

そういう子が、その苦手から逃げるか、あるいは真正面から向き合っていくか。どちらの道を選ぶかによって、子どもの「生き方」は変わってきます。

私たちのサポートによって、子どもが苦手に向き合うことができれば、子どもは人間として成長していると思うのです。


カンニングをして良い点数を取り、良い評価を得た子。

逆に、真正面からテストと向き合って、平均点以下の結果となってしまった子。

前者は、そのカンニングがバレない限りは成功のように見えますが、本当にそれは教育的に意味があるのか。

そして、人間として成長していると言えるのか。

後者の子どもは、結果は出ていませんが、それが本当に人間としての成長において失敗といえるのか。

私はその子の努力の過程において、人間として成長していると感じます。

勉強面だけの結果だけで評価するのではなく、その過程も含めて、そして日々の過ごし方なども含めて見守り、子どもが人間として成長していることをしっかり評価していく姿勢が子育てや教育に携わる私たちには必要なのだと思います。

人間としてある意味未完成な私たちが「教育」に携わる以上、そのことはずっと意識し続けていかなければいけないことだと思っています。

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