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でき太くん三澤のひとりごと その163

◇ 学年枠


私がこの仕事をしていて、たまに思うこと。

それは、学校にある「学年枠」がなくなったら、子どもたちは、今よりも学校の授業が楽しくなるのではないかな、ということです。きっと家庭学習も、今よりも楽しく進められるのではないかと思うのです。

早熟なお子さんは、小学1年生で4年生のことも理解できたりします。何らストレスを感じることもなく、4年生の内容を楽しみながら学習することができます。

このお子さんにとって、1年生の算数の授業は暇で仕方がないでしょう。
この時期に学習するような「9+1」のような計算は、一瞬でできます。

でも「学年枠」というシステムがあるため、それを解説するための授業を延々と聞かなければなりません。

こんなことが朝から夕方まで続いたら、学校には行きたくなくなるでしょう。本来楽しいはずの勉強も、楽しくなくなってしまうかもしれません。


学校には当然、晩熟なお子さんもいます。

1年生になっていはいますが、実際には小学校入学は1年遅らせて、もう一度年長さんで過ごしたほうがよいお子さんもいます。

1年遅らせるからといって、能力的に劣っているということはありません。単に、精神的、身体的に発達がゆっくりなのです。

そのお子さんに、今の時期「9+1」を学習させるのは酷なことです。
学習に負担感が生じ、勉強が嫌いになってしまうかもしれません。

私は別に早熟なお子さんが素晴らしくて、晩熟なお子さんがダメだといっているわけではありません。

早熟なお子さんも、晩熟なお子さんも「学年枠」というシステムがあることで、ストレスが生じ、本来は不必要な体験をさせられているかもしれないということを言いたいだけです。

もし前述した早熟なお子さんが、4年生の算数の授業に編入することができたら、そのお子さんにとって学校での時間は楽しいことの連続になるように思います。

自分のレベルに合った授業を受けることができて、自分が知りたいことを学ぶことができる。
こんなにうれしいことはないのではないでしょうか。

もし晩熟なお子さんも、もう一度年長さんとして時間を過ごすことができたら、「9+1」を即答できないからといって責められたりすることはなくなりますし、「できない、わからない、自分はダメだ!」という負の体験をしなくて済みます。

「学年枠」というものがなくなるだけで、早熟なお子さんも、晩熟なお子さんもストレスは軽減され、だれもが楽しみながら学校教育というものを享受できるようになると思います。

でも、それが現実となることは、今のところありません。
おそらく、この先も今のシステムのままなのではないでしょうか。

であるならば、私たちの中にある「学年枠」で子どもを見てしまう考え方を捨ててしまえばいいと思うのです。

ですが、それを実践するのはむずかしいことです。
捨てるというのは、言葉で言うのは簡単ですが、なかなか実践できないものです。

なぜなら、多くの人は「学年枠」というシステムのもとで、日々動いているからです。そして、そのシステムのもとで、日々わが子の成績が決まり、進学先も決まってくるからです。

首都圏の小学生が塾のカバンを持ち、夜電車に乗っているのも、中学生の多くが塾に通うようになるのも、学年相当の成績をおさめたいからです。そうしないと、高校、大学受験に影響するからです。

「学年枠」というものに縛られることなく、子どもが自由に、自分のステップで、自分の成長にあわせて学びの機会が得られるのがベストだと感じている方も、きっといらっしゃるでしょう。でも、なかなかそこには踏み切ることはできない。

もしわが子が「学年枠」というシステムから外れたとしたら、一体どんな未来がまっているのか。

多くの子と違う道を歩むわが子。

そんなことを想像したら、不安で眠れない人もいるでしょう。
であるならば、何とか今のシステムの中でベストを尽くすしかない。
そんなジレンマを抱えている方も少なくないのではないでしょうか。


でき太くんの算数クラブのように、地域に限定されることなく全国を対象としていると、小学5年生で1年生の計算に指を使って計算しているとか、小学3年生でも中学3年生の内容が学習できるお子さんが、めずらしくありません。

そういうお子さんがいるご家庭は、一見、他の人が悩まなくてもいい問題に悩まされているようにも思えますが、私はそうとも限らないと思っています。

なぜなら、多くの人が捨てたいと思っている「学年枠」という見方を、捨てざるを得ない状況に自然と導かれているからです。

日々子どもと接していると、私たちが何を変えるべきか、何を捨てるべきか、そして何を守るべきか。

そういうことを、教えてくれているように思います。

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