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現代のフランス貴族

わたしが現在住んでいる地区は世界遺産に登録されている。

ここは、13世紀の昔からある主要な街だった。

娘が通うこの地区の私立学校にはジイさんもばあさんも通ったからという理由で、由緒正しき家柄の子も多く通う。

すべての貴族ではないようだが、苗字にde とかdu がつくと貴族だとわかったり、する。

娘のクラスメイトにもdu de の子たちが多い。

親も子供もやたらとオシャレな服着てるもんな。キメてるもんな。貴族も多いけど、ブルジョワも多い地区が故にか、キメキメな人たちが多い。

ちなみに、一般的なフランスの人は、お洒落に関しては、わたしの主観で見る限り、日本人の方がお洒落に対してすごく時間を割いているし、凝っているなと比較してみたりする。

人生の豊かさ、大切なのって外見ではないという人の方が圧倒的に多いと思う。

フランス人はオサレ、というのは日本人にあるイメージで、本当のところ、質素で実質的で、あまり洋服を持たないというのが、現地からの印象だ。結構いつも同じ服を着ているし、着ていても誰も何も思わない。

それと関連して、体型、外見、洋服、お顔の美しさ。そういうものもあまり、重要視されてないようだ。あ、このテーマでまた一つ書けそうなくらい長くなる予感がするので、やめておく。

あとは、小指とかに家紋を印したハンコ指輪をしている人も多い。よく映画で出てクル。手紙を書いて、封筒に入れ、封をするときにロウみたいなのを垂らし、そこに自分の指輪でギュッと押印する。あの指輪。


最近知ったのだが、私の日本人の友人の苗字にもde がついていたので、聞いてみたら彼女も貴族だった。

どうやら、貴族は貴族同士で交流があるらしい。貴族同士で集まるサロンや、ソワレがある。

本当にどうでも良いことだけど、わたしの元義父もフリーメーソンのメンバーだと言っていた。

サロンに入るには紹介者がいないといけないし、それなりの収入と地位がある人が集まる場所で、人脈を広げて交流するのだろう。

かと言って、ブルジョワであるが、貴族ではないので、それを子供が引き継いでゆくこともない。完全に元義父の遊びの一環で入ったようだ。

悪巧みもするんか、と私は好奇心を大層掻き立てられたもんだ。。。。またそれてしまった。


しかし、この街のどこかでこのような貴族文化が今もなお引き継がれているのだなぁ。と思うと歴史好きにはキューンとくる。

友人はこのコミュニティでのビジネスライクな関係があまり好きではなかったらしい。夫を若くして亡くしたのだが、亡くしたあとは貴族仲間は掌を返したように態度が変わってしまったらしい。

貴族でなくなったら、さようならの世界のようだ。

旦那さんの家族は市内にいくつかアパルトマンを所有しており、100m2のアパルトマンで1〜2億円と言われていて、どんどん値段があがっていっている。

その一方で、遺産をめぐり、家族との争いが生じ、彼女の打ちのめされた姿に心を痛めたものだ。

そのときは、わたしも相当心を痛めていたので、よく励まし合っていた。彼女の存在にもとても助けられた。

そして、自分の状態や状況がとてもシンクロしていたからこそ、自分内観への理解が深まったのだ。

彼女はわたしを見て、私は彼女を見て、自分のそれぞれ気づき手放すべきものを捉えて、今のこの状況を作り出している自分を知り、軽くなってゆくワークに没頭できた。


彼女とはまた出会うべくしてお互い助けるために引き合わされたのだなと思う。名前も一緒だった。

やはり、必要な時に必要な助けが得られる。って本当だよ。って声を大にして言いたい。もがき苦しんでいる人に周りをよく見て❗️誰かいるはずだよ。って伝えたい。

本当に苦しい時、動きたくても動けない時、必ず助けはあるからね。

私は自分のことを基本的にすごくラッキーだと思っている。絶対に悪くならないのも知っている。豊かなことも、幸せにしかならないことも知っている。

でも、どうにもならないという経験ができた。動きたくても動けない人がいるということを自分の経験を通じて知ることができたのは、大きな喜びだ。

そんな人に出会っても、私は早く動けばいいのになんて、思うかわりに、真剣にその人の幸福を祈れるから。



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