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お墓参りで毎回えずく

 その踏切を渡るとき、止まる必要は本当にあるのか、考える。見通しは良く、電車が走るのも一時間に数本。安全極まりない田舎道。急いでる訳ではないけれど、本意じゃない事をするたびに、自分の欠片を一つ落としてしまった気がする。ルールだから仕方ないと押し込めて、また拾い直した気にしている。
 踏切を越えて道なりに真っ直ぐ行くと右手に大きなお寺が現れる。そこに父方のご先祖様が眠っている。
 二十歳を過ぎた頃、自分のペースで一生続けれることを、一つ決めようと思った。何故そんなことを決めようか思い立ったのか、今は思い出せない。けれど墓参りは、すぐに決まった。生きていく上で、ご先祖様を味方に付けた方が早いと思ったから。凄く打算的で邪でその癖、到底見込みのない考えである。
 一度一人で行ってみた。すると、随分気持ちがいい。振り返ると、小高い丘のようになっている墓地から、生まれた町が見渡せた。家族で義務で来ていた時とまるで違う。踏みつける地面から足の裏を伝い、身体の中を風がびゅうっと吹いたような、目眩がするほどの気持ちよさがあった。
 たちまち、墓参りの正しいやり方、に関する本を探して買いに行った。知らないことが沢山載っていて、そこから、十五年以上経った今では、オリジナルのやり方を取り入れ、墓参りをしている。
 仏花は買わない。花屋さんで選んだ菊を買い、駐車場に着いた時から、ずうっとご先祖様に話しかける。竿石はご先祖様の身体なので、水を掛けた後は、新品の雑巾で拭き取る。この間、絶え間なく近況報告をして、どう思う?って声に出して話しかけまくる。だから、絶対に一人でいく。一度、姉と行ったことがあったが、声に出して話せないので、うまく言葉を想像出来なくて苛々した。つぎなにしたらいいん?と聞いてきたりするから、うるさい黙れと思った。でも、墓の前で喧嘩だけはしたくなかった。墓の前で喧嘩するのは、お世話になった人を背負い投げするのと一緒だ。二週間オーストラリア留学をし、帰り際、ホストファミリーの主人と涙を流しハグをする。また来るよと、約束をする。そのハグから急にパンツのウエストを掴み、愛犬のジョセフのそばに思いきり投げるのと同じだ。だから、喧嘩だけはしない。
 掃除をして、最後に無心で合掌。
 このとき、自分の頭のてっぺんから幽体離脱をして空に飛んでいくのを想像する。これ、我流。
 何処までも飛んでいく。この時、町を見下ろすほどに飛んでいくのが約束。これも、我流。
 そうして、程良いところで、おじいちゃん、おばあちゃんを始め、ご先祖さんが集まる場所に到着。あくまで想像。
 この時、自分から話しかけない。ルール。黙っていたら、それまで話しかけたことに対して、向こうから何かしら話してくれる。思い込みかもしれない。でも話してくれる。不思議。
 一言二言話して、自分の身体に戻る。不思議なのが、この瞬間曇っていた空が、嘘みたいに晴れる時がある。これほんま。その後、すぐ曇る。ご先祖さん空から覗いてくれはったんかなって思ってる。
 戻って来て、身体と魂がぴったりくっつくとき、ものすごいえずく。(吐きそうになる)これは、何故かわからない。霊感ある人いたら教えて欲しい。物凄い涙目になって、終わり。
 
 この一連を終えて、母方のお墓に向かい同じことをする。

 年間で四回程行くようにしている。行くようにしているというか、行かないと落ち着かなくなる。それ位、好きになってしまった。

 世の中、パワースポットパワースポットと言うけれど、一番のパワースポットはお墓参りだと思う。自分の魂は、ご先祖様がたまたま出会い、その連鎖で生まれてきた今の僕が居る。なんでも知ってくれているに決まっている。そんな方が身近に居るのに、会いに行かないのはおかしい。お墓で、すごく暇してると思う。たまに、顔見せて元気でやってるでって言うてあげたほうがいい。絶対にお墓で暇してるから。

 これが、動機はどうあれお墓参りが趣味になってしまった僕の持論だ。

 言い忘れたが、お墓を立ち去る際、お骨が埋まっている石をどけて、「ありがとう!」と、でかめの声で言うようにしている。「キレイな骨してるなあ。一番カッコええ墓石やな!」とかも言うようにしている。

 このおかげか、帰り際、数百匹のトンボに囲まれた事がある。
 その時は本当に死ぬかと思った。

もしも、貴方が幸せになれたら。美味しいコーヒー飲ませて貰うよ。ブラックのアイスをね。