【森の家12】〜田舎で暮らそうとすることの困難について〜
地方創生という言葉が世に広まって10年が経った。先月、自民党の総裁に選ばれた石破総理は、初代の地方創生担当大臣。今後は国のトップとして地方創生に力を入れていくのかもしれない。ただ、一つ疑問にも思う。ここで言う地方創生の「地方」とは何を指し、「創生」とはどのようなことを意味しているのか。
私自身は地方(三重県)の出身で、地元の高校を出た後はシリコンバレーや首都圏、香港島などの大都市で暮らした。そして今現在は地方都市(滋賀県大津市)で暮らしつつ、同じ県内の中山間地域への生活拠点の移動、つまりは過疎化が進行した限界集落への移住を進めている。その過程で痛感しているのが、過疎地で暮らそうとすることのハードルの高さ。そりゃあ空き家も増えるよね。そりゃあ人口減っていくよね。と、いちいち納得させられる日々だ。
そして思うのが、私が移り住もうとしている中山間地域は、おそらく地方創生の「地方」にも「創生」の対象にも含まれていないということ。むしろ、地方を創生するための選択と集中において「切り離され、朽ちるのを待たれる」ことで、地方都市や市街地の人口を維持し、国が考える”地方”の創生を下支えしていくのではないか。そう思わされる程度に、中山間地域で生きていこうとする試みには、インフラや法律面での障壁が数多く存在する。私のように、家族を持たず、仕事面での地理的制約がない、という人間ですら、「こんなのもう無理!!」と叫びたくなる事態が頻発するくらいだから、いくら空き家がゼロ円であろうと、多少の補助金がもらえようと、移り住める人の数は相当に限られるだろう。
前置きが長くなったが、うちにはまだ電気が来ていない。電気屋さんにお願いした6月以降、ちょっと特殊な地域であるため「どうしたものかわからない」という電気屋からの困惑を受けて右往左往した。限界集落とはいえ、森の家のすぐ近くまで電気は来ていて(電柱がある)、以前は家にも電気は通っていたらしく、家の元の所有者によれば「電線はそこまで来てるから、電気屋に言うたらすぐ通してもらえる」とのことだった。
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