大学院のこと (最終回)
大学院に進学する。ただそれだけのことで、これほど色々と考えさせられるとは思っていなかった。大学院とは大学の次の段階であり、より専門的に学んだり研究する機関だと思っていた。大学卒業後にいったん社会に出た人が、自分に足りない部分を見つけて、あるいは発展させるべき目標や新しい分野への興味を抱いて、より深く学び直すために戻っていく場所。たくさんの「子ども」が一堂に集められ与えられた課題をこなすのではなく、少人数の「大人」が、それぞれの課題解決のために能動的に学び、行動するための空間。それが大学院だと思っていた。
けれど現実は違った。真逆だったと言ってもいい。
だから私は、香港大学の大学院でジャーナリズムを学び始めた時、期待したものとのあまりに大きなギャップに驚き、同時に激しい失望を覚えた。
たくさんのトラブルを抱え、ドロップアウトと隣り合わせのまま、それでも予定していた1年間のカリキュラムを終えて、私は2017年に修士課程を修了した。そして卒業から6年が経った2023年の夏に、「思い出すのも嫌!」だった当時の体験を一通り振り返り、何が起きたのかを整理して書き出す(吐き出し終える)ことで、「大学院で起きた一連のゴタゴタ」をきちんと過去へ押しやって次へと進んでいくことに決めた。そして約1年間、計12回のシリーズを書き終えて、今回めでたく「最終回のまとめ記事」を書くに至った。現時点で思うのは、書いてみて良かったという一言に尽きる。
個別のエピソードや具体的な体験については、これまで散々書いてきたので、今回は、これまでの内容を整理してシリーズを終えたいと思う。
まずは、私の大学院生活がうまくいかなかった理由について。
私の大学院進学が失敗に終わった要因
1、間違った学部を選択したこと。
ジャーナリズム学科で教えてもらう「実用的なハウツー(小手先の技術)」は、ネットのチュートリアルや専門学校で学ぶ方がずっと安く、また効率もいい。逆に大学院は、まだ発見されていない技術や答えの出ていない問いにじっくりと向き合えるような分野が向いている。大学側のリソースやサポートを使って研究したり、学問したり(知識を深める)、フィールドワークを行ったり、プロジェクトを立ち上げることができる学部を選ぶべきだった。
もしも2016年の出願前に戻れるなら、私はジャーナリズムではなく、文化人類学か森林学を学んでみたい。つくづくジャーナリズムを選んだことは失敗だったと感じる。
2、学位重視ではなく経験(中身)重視だったこと。
大学院への進学にあたって「修士号の取得」という目標があれば、あれほどの失望や葛藤を抱えることはなかったのではないかと感じる。私はキャリアに役立てるつもりで大学院に進んだが、卒業後に就職する予定はなく、学位の取得にはあまり熱心ではなかった。それよりは、卒業後にフリーで復帰した時に自分の力となってくれるような「実社会では得られない知識や経験」を求めていたが、その考え方は間違いだった。
大学院とは、学生が「学位を求めている」ことを前提としたビジネスである。さらには、「学歴をつけて就職を目指す」人たちのための就職斡旋機関でもある。したがって、学位を渇望していないなら、あえて行く必要はない。大学院で学べる程度のこと(少なくとも港大のジャーナリズム学科で学べる程度のこと)は、独学で十分だ。
3、経済的な余裕がなかったこと。
大学院へ進学して驚かされたのは、学生たちの経済力の高さだった。その理由が香港大学だったからなのか、ジャーナリズム専攻だけが特殊だったのか、その点については分からない。ただ、少なくとも私が出会ったクラスメイトたちの多くは、経済的に恵まれていた。クラスメイトの大半が大学からストレートに院に進んだ(社会に出ることなく進学した)22〜23歳の若者だったことにも驚かされたが、それは昨今の大学院が、「学歴をつけること」を期待された裕福な家庭の子女の通過点となっているからだろう。実際にクラスメイトの何人かは、卒業後の進学準備に余念がなかった。修士号取得後は、より有名な大学の博士課程へ進学したり、2つ目、3つ目の修士号の取得を目指すと言っていた。
私自身は、経済的な余裕が全くないフリーライターだったにもかかわらず、物価も学費も安くはない香港の大学院に進学してしまったことで、胃の痛くなる日々を過ごした。そのせいもあって、手抜き授業や先生たちのサボり癖に対する強いストレスを抱え続けた。お金に余裕があれば(または、両親、配偶者、企業や公的機関からの潤沢な資金援助を受けての進学であれば)、もっと心穏やかにキャンパスライフを楽しめたことだろう。
では逆に、大学院に進学すべき人、行く価値を見出せる人とはどんな人だろう。
大学院に進むべき人
1、学位とコネ(就職)を必要とする人
大学院は、学位を与えることをビジネスにしている。学歴社会で優位に立つため、就職するため、自分のプライドを満たすため、親を喜ばせるため、など、理由はなんでも構わないが、とにかく「〇〇大学の学位が欲しい」という明確な目標がある人にとって価値ある機関であることは疑いようがない。
また、大学院は就職斡旋機関としての価値もある。大学名や学位に一定の効力があることに加え、各学部の先生のコネクションや卒業生のネットワークを使うことで、就職活動を有利に進めることができる。
香港大学時代のクラスメイトたちも、入学時に明確な「行きたい企業」があり、そのためのインターンシップの手配(教授にその旨を伝え、コネを最大限に使ってもらえるように努力した)学生たちは、大学院を終えた時、満足のいく成果を得ることができていた。何を学ぶか、ではなく、大学院を就職のためのワンステップとして割り切れる人にとっては、大学院はコスパ・タイパに優れたサービスと言えるだろう。
2、時間とお金に余裕がある人
仕事をリタイアした人や、大学を出た後にあくせく働く必要のない経済的ゆとりのある家庭の子女、配偶者と一緒に海外に駐在するなど、今は働けない(働く必要がない)が、時間とお金には余裕のある人にとって、大学院はそこそこ利用価値がある。分野にもよるが(ジャーナリズムは論外だが)、何かを学ぶことは純粋に楽しい。また、大学院に行くことで深い思索に耽る時間と空間を確保できるのだとしたら、人生はより豊かなものになるだろう。
3、学歴ロンダリングを必要とする人
大学を卒業して、さらに大学院へと進む理由はどこにあるのか?その一つに、卒業した大学が本人にとって不本意なレベルだった(本人が望むネームバリューを提供できていない大学を卒業してしまった)場合に、大学院に行くことで最終学歴を塗り替えることができるというメリットが挙げられる。大学院進学による学歴ロンダリングである。
条件としては、進学先の大学院がよりレベルの高い有名大学(本人の希望通り、または希望に近いネームバリューを持つ大学)である必要があるが、大学院の入学基準は、学力や経歴や実力ではなく、学費を払える経済力があるかどうかに偏重していて、基本的に「お金がある人なら誰でも来てほしいし、よりたくさん来て欲しい」というビジネスモデルとなっているため、お金さえあればほとんどの場合、本人の望みに叶う大学院に入学できるし卒業できる。これは学歴ロンダリングを望む人にとって有用なシステムと言えるだろう。
入学前にはほとんど考えたこともなかったが、実際に入学してみて、大学院、とりわけ中華圏(アジア圏)では名門とされる香港大学の大学院に進学したことで、有名大学の「院」という機関が、学歴ロンダリングを必要とする人たちを強く惹きつけている事実を目の当たりにした。また、その点においては卒業生たちの満足度も高く、非常に理にかなったサービスであると感じた。
ここで一つ体験談を書いておこう。
在学中に仲良くなった大陸出身のクラスメイトも、学歴ロンダリングのために港大にきていた一人だった。彼女は大陸出身の学生の中では珍しく、大卒後に社会に出てメディアで働き、ジャーナリストとしてキャリアを積んだ上で大学院に戻ってきていた人だった。彼女の経験や知識、またそれを土台とした思考のあり方は、私には興味深く、他の若い学生たちにはない大人の態度や物腰が好きで、私たちはよく一緒に食事に出かけたり、夜遅くまで話し込んだりする仲だった。
彼女自身も、大学院のお粗末なカリキュラムや教授陣の体たらくにはそれなりに苛立っており、私が抱えていた不満や憤りには深く共感してくれていた。ただ私とは違って、いくら授業に不満があってもドロップアウトすることなどは頭の片隅にもなく、香港大学に入学できたことを純粋に喜んでもいた。
ある夜、二人で歩いて話していると、彼女は「これはあなたには理解できない感情だと思う」と言った。
「私は自分が卒業した大学を恥ずかしいと思っているし、そのことで両親や親戚にも同じような思いをさせてしまった。あなたは自分の母校の大学をそんな風には思っていないでしょう?」
彼女が言う通り、私は自分の出身大学について恥じたこともなければ、学歴というものについて深く考えてもいなかった。出身学部が芸術学部の演劇科であることで失笑されたことは数回あったが、私は大学で素晴らしい先生に出会えたことや充実した時間を過ごせたことから、母校の短大と大学のどちらに対しても、とても良いイメージを持っていた。加えて私自身の周りには超がつく有名大学の卒業生たちがゴロゴロいて(むしろそうでない人があまりいないくらいだったのもあり)、高学歴であることの価値がよく分からなくなっていた。それに社会に出てしまえば「学歴よりも実力」が問われるのであって、学歴が気になるのは学生時代までの話であり(社会に出るまでは、学力や運動能力ぐらいしか評価基準がないので・・)、所詮はその程度のことだという思いがあった。だから私は言った。
「あなたがいう通り、私は自分の母校を恥だと思ったことはない。けれど誇りに思ったこともない。ただ良い経験だったなと思うだけ。あなたの母校については詳しくは知らないけど、そこで得た学位を活かして花形メディアに就職できて、立派なキャリアを築いてきたわけだから、それって誇らしいことじゃない?」
「ほらね、やっぱり分かってない。日本はどうか知らないけど、少なくとも中国では学歴は一生ついて回るし、学歴でその人の価値が変わってしまう。私が卒業した大学では、先生たちですら私たち学生を見下していたくらいだから」
「どんな風に?」
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