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祈りとメッセージ

はじめに

いつも読んでくださってるみなさん、ほんとにありがとうございます。
今日の日記は、心穏やか日記ではないです。

Twitter経由で来られたみなさんは、ご存じかと思われますが、わたしが、過去加入していた劇団DULL-COLORED POPの劇団員の大内が、主宰の谷を提訴しました。
このことを受けてのわたしの日記です。
ただの日記です。

ハラスメントなど含む、あまり心地いいとは思えないような内容や、口悪い乱暴な物言いも少々含まれます。わたし自身のことを含む、様々を書いており、人によってはショッキングな内容かもしれません。
また、読まれる方の期待や予想とかけ離れた内容である可能性があります。
どうか今のご自身の心身の状態を考えて、読む読まないはご自身で選択なさってください。

いまわたしは、みんなにこにこ心身共に健やかで心地いい世界になることを祈っています。
わたしはマジで心底そう祈っています。
わたしが書く中に、誰かを傷つけたい、攻撃したい、争いたい・・そういった気持ちはありません。
けれど、意図せずども、不快な思いになる可能性も孕んでいると思います。
そんな可能性を思いながらも、やっぱり、わたしは伝えたいと思い、わたしの意思で書くことを選びました。

ここは、わたしが、わたしの思考や伝えたいことを、書いたり創ったりなど発信している場所です。
その時のわたしの言葉、表現で。

今回のことを受け、わたしの心にはいろんな思いが溢れているのに、どこから何からどう言葉にして紡ぎ、在る思いのまま伝えればいいのか、なかなかまとめられず、とっても時間がかかってしまいました。
また、思い出して少々泣いてしまい、心をニュートラルに戻してから書くための時間も、いまのわたしにはまだ必要でした。

文体がバラバラだったり、文章がとてつもなくへたくそなのはご容赦いただけたらと思います。

争わない選択

わたしは、大内が提訴することを知っていました。
数ヶ月前、大内から一緒に告発しないかという相談がありましたので。
(この相談があったことを書くことは、大内に直接確認し、了承を得た上で書いています)

いまのわたしは、告発し訴えたいとは思いませんでした。
そのことを、大内にごめんなさいしました。
一緒に提訴し戦って欲しかっただろうと思います。わたしには、大内の気持ちが全てわかるなんて言えません。思えません。大内の身に起きたことで知らないこともあるけれど、共感する思いもあります。
わたしは、いまのわたしの心が望むことを自分に問い、一緒に戦う選択をしませんでした。

いまのわたしの心は、そこにはありませんでした。

わたしは大内が、告発・提訴した具体的な内容の詳細について知りません。

退団

わたしが、退団を決めたキッカケは、谷が、わたしにした、伝えたことが、パワハラ・モラハラであるとわたしは認識し、劇団員として、もうこれ以上一緒に創作はできないと思ったからです。

これは、キッカケに過ぎません。
劇団にいる8年間の中で積み重なった退団に至る理由は様々あります。
その様々ひとつひとつをここに書くつもりはありません。今回を受けて書きたいことは、わたしの退団理由ではないので。

わたしの退団を、今知られた方、こちら当時書いた退団お知らせ日記です。
一応貼っておきます→"Adieu"et "un certain Début" ☆おしらせ☆ 2020-04-21 00:00:00

退団当時

当時、わたしの退団のお知らせに、思ってた以上の反応がありました。
「もし、わたしがここで谷を訴えたら被害を止められるかもしれない」
そんな考えも当時過ぎりました。
そんなカッコいい正義感あるヒーローのような思いだけではありません。劇団員として関わっていた8年に渡る谷への恨みつらみの思いも、当時は、共にありました。

けれど、わたしのメンタルが、日本で初めて緊急事態宣言出された直後で精神的にナイーブでもあり、プライベートでしこたまメンタルがやられてもいた時期で、悩んだ末、自分の精神状態を一番に考えて、結局わたしは訴えることをやめました。
自分で選択したことですが、そのことで、自己嫌悪に陥りました。

劇団でのハラスメント

現在の劇団のことも耳にしていたこともありますが、わたしが劇団員だった8年間だけに限ったことです。

端的にお伝えすると、
いまのわたしは、劇団でハラスメントはあったと認識しています。

ただ、いまのわたしがハラスメントだと認識している過去のこと全てにおいて、当時ハラスメントだと認識していたかというと全てではないです。
当時、ハラスメントの認識がなかったこともあります。

劇団加入から

わたしは、2012年加入なので今から10年程前です。

わたしには、主宰含め誰もがフラットに物言え合えてみんなでいい方向に変化していける、また、誰もが劇団の犠牲になることのない環境ーそんな理想がありました。

わたしは、わたし自身の思考の傾向や、それまでフリーで活動していたのもあると思いますが、数人の劇団員とは考え方が異なる部分がありました。
「劇団員は、劇団の為に働くのが当たり前」的な考え・・当時のわたしは、口悪いけど、古臭ぇ考え方だなと内心思っていました。

けれど、わたしが、第二期ダルカラ最後に加入した新参者だったことや、わたしは誰もが劇団の犠牲になる必要などないと思っていた為、当時バイトで折込行けずども生活優先でいいだろうと思っていましたが、劇団員数人から、劇団業務をしないとわたしへの批判が相次ぎました。
これは一例でしかないですが、加入後程なくして、わたしの理想は通用しないんだと思うようになりました。

わたしの思考はシフトチェンジし「こうなったら劇団の誰よりも劇団業務をやって、誰よりもチケット売って、お芝居ももちろん頑張るけど頑張るだけでなんとかなるもんでもないけどでもとにかくお芝居も頑張って、劇団員を認めさせてやる!」という思考になりました。

今、思うとあほやと思います。

生活そっちのけで積極的に劇団業務をやるようになり、責任感も強い方で、観に来てくださるお客さんを楽しませたい心地良く迎えたい思いも強く、劇団の為にがむしゃらに働きました。
谷のワンマンな劇団運営、過度な劇団業務など、おかしいと思って伝えたこともありましたが、当時の風潮もあり、仕方ない・・やるんだ!と思っていました。
時に、劇団員と愚痴を言い合ったり励まし合いつつ‥それは、青春のようでもあり、しんどいけど楽しさを感じてもいました。悪役がいると団結しやすいものです。

わたしは、俳優以外に、主に制作、小道具、衣装などの劇団業務をやっていました。
ゲネ直前まで制作業務をやってゲネで骨折したり。
作業が終わらずバイト休み続けてクビになったり。
制作業務に追われ寝てなくて、自分でも信じられませんでしたが、原付乗りながら寝てしまい、こけて怪我したり。
これも一例でしかないです。わたしにとっては、心身共にギリギリへろへろでやっていたことも長い間ありました。

劇団員だった8年間に、劇団規模も劇団運営も少しずつ変化したので、わたしが退団するまでの数年・・大内や宮地が入って来た頃は、すでに出演料や劇団業務への対価もありましたが、わたしが加入して数年間は、ほぼないに等しかったです。

稽古中の演出による怪我、過度な業務の影響による怪我も何度かありました。おそらく谷の認識は、怪我させた劇団員の過失、又は怪我した本人(わたし)の過失という認識で、わたしの怪我の治療費は自己負担でした。
未だに後遺症、怪我の傷も残っています。

ひと昔前の風潮

⚫︎劇団員は劇団に奉仕すべし。ノーギャラで働くのは当たり前。
⚫︎演出家が立場が上で一番偉い。
⚫︎演出家はキツい乱暴な物言いで責めたり追い込んだりの今でいうパワハラやモラハラは当たり前。なぜならできない俳優が悪いから。
⚫︎演出家は気分屋。不機嫌・威圧的、高圧的でも仕方ない。
⚫︎俳優は、演出家に怒鳴られてなじられて厳しくされてこそ成長できる。(有名な話で、蜷川さんが灰皿投げるとかあるように、そういった風潮もあったようにわたしは思います。ちなみに、わたしが一度経験した蜷川さんの現場では灰皿投げたとこ見たことないです)
⚫︎作品の為なら演出家は俳優やスタッフにどう振る舞ってもいい。
⚫︎本があがるの遅くても台詞覚えは俳優の仕事だからすぐ覚えるのが当たり前
⚫︎劇団員だからノーギャラで劇団業務するのは当たり前

まだまだあると思います。
ひと昔前は、このようなことが当たり前、まかり通っていた風潮があったようにわたしは感じています。
程度の差はあれど。
他現場での経験や周りからも、わたしはそう感じていました。もちろん、そうではない現場もありました。

現場

谷は、挨拶したりしなかったり、威圧感持って現れる、お酒呑んだり持って来て現れる、乱暴な態度、声を荒げる、怒鳴る、追い詰める、物にあたる、空気を悪くする・・などあったと、わたしは認識しています。

主に、谷から見て俳優の芝居ができていない、台詞は一言一句覚えて言えて当たり前なのに言えてない、谷の機嫌、自分の思い通りにならない・・など理由は様々です。

これらのことは、わたしに対しても、他の劇団員・スタッフ・客演・WS参加者などに対しても、こういった振る舞いがあったと、わたしは認識しています。

いつからと特定できるものではありませんが、俳優のわたしへの振る舞いだけで言うと、わたしの成長・・?なのか、8年いる間でだんだんと怒鳴られたり追い詰められたりすることはなくなっていきました。

これも、いつからと特定できるものではありませんが、谷に子供ができた辺りの時期かなと思うのですが、わたしの加入当初から比べると、谷は、ほんの少しだけ丸くなったようにもわたしは感じました。大内や宮地が加入したのは、わたしがほんの少しの変化を感じた後の谷です。
昔なら、もっとすぐにキレていそうなことがキレるまで時間があったり、もっと怒鳴り散らかしていそうなことが、昔ほどではなかったり。
わたしが、昔の谷と比較してそう感じただけで、根本的には変わってはいなかったですが、そんなふうにわたしは感じていました。

谷のハラスメントが公になり、
「ハラスメントが行われる壮絶なキツイ現場の中、苦しいだけでみんな創作していた」
そのように思われる方もいらっしゃるかもしれません。
観劇された作品やそれ以外のことでも、様々な印象、見方、心の変化があった方も多くおられるだろうし、その変化も人それぞれ異なると思います。

何かを知り、知る前と変化することがあるのも当然だと思います。

確かに書いたようなこと、今ハラスメントだと認識できることも多々ありました。劇団業務に追われ、作品と向き合う時間・稽古時間も少なくて、もっと稽古できてたら‥などと思うこともありました。

けれど、わたしは、劇団員として8年程、客演も含めると10年もの間、谷の現場を経験してきて、決してそれだけだったとは思いません。
谷の現場が、ハラスメントしかなく、呼吸するのも苦しくて何一つ楽しみも豊かさも見出せなければ、わたしは劇団に入ることも、8年いることもなかったです。

作品の為のアップやゲームをみんなで楽しくやったり、谷が自分自身or他現場で得た知識や情報のシェアしてくれたり、演出家としてまともなこと言ってることもありましたし、みんなでざっくばらんに話したり、おもしろいアイデアないかと出し合ったり、谷が良かったと感じたことを褒めていたり、演劇の豊かさを座組のみんなで共有したり、おもしろ楽しく、みんな笑って稽古していることだってちゃんとありました。

わたし自身で努力し変化したこともありますが、谷と創作する中で成長・変化できたなぁと感謝していることも、確実にわたしにはあります。
谷と創作していて、演劇って楽しいな豊かだなと思える瞬間だって、少なくともわたしにはありました。

ネガティブな側面だけフォーカスすると、もうそれしか見えなくなります。
何も知らず、ネガティブな情報だけを信じていたら、谷とその時関わった皆さんとその時のわたしが向き合って創ってきた過去の作品すべて、ネガティブなものとしか見えなくなってしまうかもしれません。

何を見るか何を見たいかは、人それぞれだし自由に選択できると思います。

わたしは、わたしが感じていたネガポジ両方、伝えたいと思いました。

また、別の視点で捉えると、こういった風潮、状況、環境下ですが、その時のわたしが選んで、出演も劇団業務もやったことです。投げ出す選択肢もあれど。逃げる選択肢もあれど。
それは、今でいうハラスメントがあったとしても、自分で選んだのだからしょうがないとか、受け入れて泣き寝入りとか、そういう意味ではありません。
ただ、意識的・無意識的どちらにせよ、わたしが、選んでいたことでもあった、とわたしは捉えています。
これは、いまのわたしだから言えることなのですが、いまのわたしは、そのようにも思っています。

セクハラ

経費節約の為、個室だけど寝るだけの狭い鍵がないお部屋に、夜な夜な酔っぱらった谷が、わたしの部屋に入ってくるということも旅公演で度々ありました。
なんて言ったか覚えていないけれど、わたしは「出てけ!」など、やいのやいの言ったり、蹴ったりもしたかもしれないです。けれど、力では負けます。
他の劇団員やスタッフの方が助けてくれたりもありました。
お隣の劇団員のとこへ逃げたりもありました。

わたしへのお尻や胸を触られるのは日常茶飯事でした。それらをセクハラだという認識はありました。嫌でした。
だけど、わたしは、シリアスに捉えきれないところが正直ありました。
それは、わたし自身への認識が、30超えて若くも美人でもないのに、セクハラだとかシリアスにガチで怒って、周りの空気を悪くさせてしまうことに、わたしはとてつもなく抵抗があったからです。
なので、怒り方がポップでした。

いまのわたしからすると、当時のわたしの思考は、くだらない自己卑下で、ほんとあほやと思いますし、自分大事にしろと過去の自分に言いたいです。

また、護ってくれていた周りの劇団員も、だんだんそれが日常の光景になっていき、あまり護ってくれなくなりました。当時は悲しかったけど、護ってくれなくなるのは、やっぱりわたしが若くも美人でもないからこんな扱いなんだという思考になっていました。ほんと、あほな思考です。
ちなみに、いまのわたしは、これに関して周りへの恨みつらみはないです。

現場で、大内含め、他の女性へのセクハラもあったと、わたしは認識しています。
わたしは、本当に嫌がっていそうな場合は止めていました。
けれど、人によっては・・言葉が難しいのですが、コミュニケーションのひとつのように捉えていそうに感じた場合や、女性本人がむしろ望んで受け入れている場合は放置していました。
そんな人いるの?と思うかもしれませんが、いました。わたしは、その女性の発言や振る舞い含めてそのように思いました。
その場合、両者望んでいる合意なのでセクハラとは言えないとわたしは思いますが、何も知らない方からすると、セクハラにしか見えないとは思います。

谷は、人を見てセクハラしていて、わたしの見た限りでは、本当にガチでキレそうな人にはやってなかったように思います。

通じない

わたしは、谷が怖くて物言えないなどは全くなく、むしろ、劇団内で一番、なにかっちゃあ谷に直接物申しておりました。
谷と喧嘩したことも何度もありました。お芝居の創作そのものでの喧嘩はあまり記憶になく、それ以外のことで、あれこれ物申していたので、谷にとっては、うるさい面倒なヤツと思われていたと思います。

創作現場とはいえ、人間同士の関わりなので、ときに、色恋みたいなのもあります。それ自体は、別にどうでもいいのです、わたしにとって。
けれど、なんと伝えていいか‥言葉が難しいのですが‥先輩男優が若手女優に対し、わかりやすいセクハラではなくともセクハラまがいの感じ‥というのか、とにかく気持ち悪いと感じるような空気(行い)を持ち込んだり、みんな人間なので、好き嫌いあるのは当然だとも思うのですが、これもなんと言葉にしていいやらですが‥私的過ぎる感情を現場に持ち込んで不公平過ぎる態度や谷に気に入られてることでマウント取ろうとしていることとか、そういうのを現場で見るのが、わたしは気持ち悪くて不快でした。
わたしだけが感じていれば、わたしの空気の読み違いや捉え違い、我慢、改めればいいことですが、周りも明らかに気付いていました。
そういうことを、わたしは、裏(プライベート)で好きにしたらいいけれど、創作現場に持ち込んで欲しくないと伝えると、谷には「百花は潔癖だから」と言われました。
「?!」とわたしは思いました。自分が感じることはさておき、自分の言い分だけが正しいなんて思っていないけれど、周りだってやりづらそうだし、わたしと同じように思っていた人もいたから改善を伝えたのですが‥谷に直接言うのはわたしだけだったから、谷からすると、わたしひとりが極端な潔癖でやいのやいの言う煩いヤツとしか映ってなかった感じです。

制作面でもよくわたしは揉めました。
開場してお客さんに入ってもらう時、整理番号を1、2‥と順に付けてるなら、順番に呼んで入ってもらうものだとわたしは思います。そのようにしないなら、10人まとめてAブロックみたいに整理番号付ければいいと思います。
細かく番号付けているのに、ざっくり入ってもらって、「1も9も一緒だろ」という谷の考えが、わたしとは違いました。

これらも、ただの一例にしか過ぎません。

価値観や認識、思考など、人それぞれ違うと思います。そんなの当たり前ですし、そういうものだと思います。
違うからこそ、自分のことだけ理解してもらおう、ではなく、わからない相手のことも理解しようとお互いするものではないかとわたしは思っていました。
けれど、なかなか理解してもらえないと思うことが続くと、話の通じない相手として認識し、こういう人だからしょうがないと諦めてしまう部分もありました。

ごめんなさい

提訴した大内、退団した宮地、
また、公にしててもしてなくても、谷からのハラスメントにより、心に傷みがある方もいらっしゃるのではないかと思います。

わたしは、もう退団していますが、劇団員だった間に、わたしも認識していた谷のよろしくない根本を改善できなかったこと ―ある意味、わたしは人を変えることはできないと思うのですが― それでも、もっと何かできたこともあったんじゃないかと感じています。今だから言えることですが。

今ならハラスメントだと思えるようなことも、風潮、当時のわたしが、いまのわたしの思考や認識とは異なる部分もあり、おかしさや不快など感じてもいたけれど、仕方ないそういうものだと我慢したり諦めたり受け入れたりで、言えていなかったこともありました。

わたしが劇団員だった頃、せっかく出会って関わってくださったみなさんに、いい環境を当時わたしが作れなかったこと、申し訳なく思っています。申し訳なく思ったからってなんなんだって話ですが、それでも‥ほんとうにごめんなさい。

今、わたしがこのように思うのも、今の風潮、時代の流れに影響受けていることもあるかもしれません。
ひと昔前は、そういった風潮があったからしょうがなかった、と加味されることもあるかもしれません。
けれど、おかしいと思ったら、そのような時代でも、ちゃんと言っていた方も中にはおられたのでは、とわたしは思います。
風潮、世の中、周りの影響もあるだろうけど、どうあれ、自分の感覚‥当時だっておかしい、不快だと感じていたような自分の感覚を、ちゃんと大事にしたいと改めて思いました。

過去のことは変えられないかもしれないけど、過去のことから、今、学び気付けたことを、今、未来に活かしたいと思っています。

傷ついた方の心が、少しでも早く癒えて、心身共に元気になることを祈っています。

ギフト

わたしは、谷との10年以上の付き合いの中で、谷の人間性を知っている部分もあります。もちろん、谷のすべてなど知る由もなく、わからないし、全てわかれるはずもないです。
当たり前に、四六時中、谷を見てたわけでもなく、裏で何やってたか、わたしの知らないこともたくさんあります。現場にいても、わたしがいない見ていない時もあるだろうから、何もかもすべてはわかれてはいません。

だけど、わたしが見てきた関わってきた中で、谷の色んな面を見ました。知りました。
谷はクズです。
長年の付き合いから、わたしは一言でそう思いますし、方々に言ったこともあります。わたしからすると、おかしいと思うことは山ほどありました。
クズです。クズなのですが、わたしは、谷のいい面も見出せてもいました。賞を取ったとか才能とか、そんな外側のことはわたしにとっては重要度が低く、人間的いい面を、です。じゃなきゃ、付き合ってられません。

わたしは、劇団員で唯一、何度も劇団をやめると言っていた人間でした。
脅しだとか、かまってちゃんだとか捉えられていたりもしましたが、わたしは毎回本気でした。
その度に説得され、引き留められを繰り返していました。
残った大きな理由は、一緒に苦楽を共にし、一緒に頑張ろうと言ってくれた劇団員がいて、彼らにも引き留められたからです。
当時わたしは、自己肯定感すさまじく低く、必要としてくれている人がいることがとてもありがたく嬉しく思っていたのもあります。
また、谷が、今度こそ変わってくれるかもしれないとどこか期待もしていました。ある時には、変われるようにすると言ってたのを信じたいと思う自分もいましたし、谷はクズだけど、ほんとのほんとの根っこはクズじゃないだろうと信じていました。

退団するキッカケになった出来事があった時、わたしの心の糸が、静かにぷちっと切れました。信じられない!酷過ぎる!などの怒りよりも、これまでの8年間は一体なんやったんやろ・・と。悲しみ・絶望・喪失・無力・虚無・・?なんかわかりませんけど、そんな思いが上回っていて、もう限界や・・と思いました。

今回、大内の文面を受けての谷の文章も読みました。バカかと思いました。呆れました。何も変わっていないことに。

今年、とある件で谷から電話がありました。その時の、谷がわたしに言った言葉からも、わたしは変わってないなと感じていました。

今、わたしは、谷を信じる云々の気持ちはないです。
もはや、信じる信じない自体が、ない、という感覚です。
谷が変わろうと思えば変われる、とは思っています。
これは、谷に限らず、人間はみんな、本人次第で変われると思っています。

谷は、とてもとても弱い人だとわたしは思います。
自分の弱さを認められず受け入れらずに踠いてるように見えます。
ロック気取ってっけど、まぢでぜんぜんロックじゃねーから!!ってわたしは思います。
ロック気取んなら、汚さ醜さ何もかも曝け出して破天荒でなにが悪いって堂々としてりゃあいいと思います。
中途半端な自己弁護で体裁保とうとしたり強がったり、自分のこと見えてなさ過ぎて、めちゃめちゃカッコ悪いダサさの極みだなと思います。

谷は今、めちゃくちゃキツイ状況下にあると思いますが、自業自得だと思います。受け入れるしかないです。目ぇかっぴらいて見るしかないです。
今、彼は、目の前にある現実を受け止められなくて、受け止めきれないほど弱い人間だから、自分以外の人のせいにして暴れて逃げてしてるんだろうけど、逃げても無駄だとおもいます。
だって、あなた(谷)の人生だから。
この現実を見せているのは、ある意味、大内ではないとわたしは思います。
あなたの心が変わらないから、あなた自身が持ってきて、あなたに見せてくれてる現実なんだと思います。
周りでずっとサイン送ってたのに気付かないから。見て見ぬふりするから。無視するから。忘れるから。人の傷みを想像しないから。他人のことは、あーだこーだ言えるのに自分のことだと聞こえなくなるから。怯えてるから。
これは罰じゃないです。彼にとって。彼自身が運んできた特大ギフトだとわたしは思います。
谷の心が生まれ変わるチャンスだと思うから。
生まれ変わる勢いでほんとうに変わることができたなら、とてつもなく時間かかるかもしれないけど、きっと、きっとやり直せると思います。

他現場

変わらない・問い

ひと昔前の話ではないここ数年のことです。
ワンマンな演出家で、わたしの認識では明らかにハラスメント(パワハラ)だと感じた別の現場があります。
けれど、劇団員のほとんどが、おそらくそれが当たり前に捉え、古い劇団員でも誰も演出家に口を出すことも止めることもなく、酷い言われようをしていたも若手の方も自分ができてないから仕方ないといった感じでした。
わたしは、創作面でもその劇団には豊かさを見出せませんでした。
観劇した多くのお客さんは感動しています。
内部事情を知らないからです。
時代の変化、周りの変化を見ていたら、今、そのやり方でいいのか思考する人がいてもいいように思うのですが、変わっていない・・ハラスメントだという認識が誰一人ないのかもしれません。
わたしがハラスメントだと感じるそれは、わたしの感覚が違うということなのかもしれません。

ハラスメントの認識がないなら、それでいいんでしょうか・・
自分が演出家に認められるステータスで安牌な位置にいたら、見ていて、周りがどう扱われていようと関係ないのでしょうか・・
公にバレていなければ、訴えられていなければいいのでしょうか‥
訴えられていても、大きく話題にならず一部だけで煙に巻かれていたらいいのでしょうか‥

今の風潮もあり、演出家が、怒鳴ったり追い詰めたり(いまだにやってる演出家もいますが)のわかりやすいことはしていなくても、ですます調の物言いで、不機嫌を露わにして感じ悪かったり大きい声出したりねちっこく稽古進める演出家もいまだにいます。
適切な言葉で俳優を誘導できない、いざなう言葉を持っていない演出家の力量不足・勉強不足だともわたしは思います。
演出家も俳優もスタッフも、みんな、担う仕事が異なるだけだとわたしは思います。

変わっていく

また別の劇団で、今思うと、ハラスメントにあたるとわたしが感じていた劇団がありました。
その劇団は、時代や周りの変化などに伴い、意識改革をしているようです。
わたしは、ここ数年そこに出演していませんが、その演出家の発信していることを読んでも変化を感じていましたし、最近の現場にいた方の話を聞く機会でも変化していることを聞きました。
当時を振り返ると言い過ぎ責め過ぎ今なら確実アウトだとわたしは感じていました。だけど、その演出家は、時代の流れや周りを見て、自分の過去の行いに向き合って、省みて、変わっていこうとされているように思います。
みんなが、安心安全に創作できる環境にと変化している演出家や劇団もあります。

感謝

わたしが、直近で出演した現場(シヅマ、Theatre Ort)では、いい環境下のもと創作することができたとわたしは感じています。
ほんとうに感謝しています。ありがとうございました。

晒す

先日、谷から送られてきたLINEです。
返事はしていません。

「何度も相談受けている」など知りませんが、このことは、過去、劇団員当時に言われたことです。
公にしたいならどうぞの気持ちですし、してもしなくても、どうせならここに自分で書こうと閃きました。わざわざ言う必要ないことかもしれませんが、わたしが、わたしのことを晒すことがいいような直感があったので。

当時わたしは、大内に対してパワハラした認識、自覚はありませんでした。
創作に必要なことは話すし、当たり前に挨拶だってするし、高圧的に怒ることも、そもそも偉そぶる気持ちもなかったですし。
ただ、わたしは最初の頃、大内が好きではありませんでした。当時、創作現場で、わたしが嫌だと感じる振る舞いがあったからです。

わたしは、いい意味では素直とも言えますが、好きじゃないと、それが目や顔丸出しだったと思うし、必要最低限の挨拶と創作に必要な会話以外は、ほぼ喋らなくなってしまいます。言い方が冷たかったりもあったかもしれないです。自覚なくとも、指摘され、最初好きじゃなかったのは本当で、それで表情含め冷たかったかもと心当たりも大いにありました。
わたしが、大内を好きじゃなかったことも直接伝えて、あれこれ話をして、わだかまりもなくなり、4年程前に和解しています。

今回このようなLINEがきて、大内には、今も心傷めてたとしても傷めてなかったとしても、再度改めて謝りたくなったのでごめんなさいしました。
過去にごめんなさいしたからって、もういいってことでもないなとわたしは思います。もういいっていうのは、相手からのものだし、謝りたくなったら何回伝えたっていいとわたしは思ったので。
大内からは、わかってます笑、と。谷がLINEくれたおかげで、もっかい謝る省みるキッカケになりました。ありがとう。

お読みいただいておわかりの通り、わたし自身がそうですが、生きてて誰も傷つけたことがないなんて言えません。わたしの何かで傷ついた方は、わたしが知れていようが知らなかろうがおられると思います。

生きてて誰も傷つけたことのない人間なんてこの世にいるでしょうか‥?
生まれてこのかた誰とも会わない連絡も取らないずーっと無人島で生活してる、とかなら別なのかもしれませんが。

一見ポジティブに捉えられそうなニュース、おめでたいオーディション受かりました報告や結婚報告でさえ、気付かぬとこで誰かが傷ついたり不快に思ったりはあるとわたしは思います。どう思うどう捉えるかは人それぞれ異なるので。

だからといって、わたしは、それに怯えて何もしないのではなく、そういうこともある、という意識を持ちながら、ときに失敗や間違いもあるかもしれないけど、そこから新たな気付きを得たいし、変わろうと思えば変わっていきたいし、人と関わっていきたいし、色んな悲喜こもごも丸ごとひっくるめて生きていきたいです。

わたしの思考には、まだ踏み込んで思うことはあるのですが、あまりにぶっ飛び過ぎてる気もするので、ここでは、ここまでに留めておきます。

もしも

谷が、ほんとうの意味で心が生まれ変わったなら、わたしが要求しなくても謝りに来ると思うんです。
まだ変わっていない今の谷が、今、わたしが謝罪しろと要求して、心なくポーズだけ謝ってきたとしても、わたしにとっては何の意味もないです。いらないです、そんな言葉は。

それに、提訴しないわたしにしたことへの謝罪なんかよりも、鬱やお酒で記憶にないこともあるかもしれないけれど、メールやLINEなど自分が言ってたやってたことを見返す物なんていくらでもあるし、これを機に、今まで自分がやってきたこと、今回のこと含めて、自分と向き合うことをして、ほんとうの意味で彼の心が生まれ変わってくれることの方が、わたしは嬉しいです。

とはいえ、本人次第、谷次第です。
いくらわたしがどうこう言おうが、本人の意思がないと変われないです。そもそも、わたしが言って変われてたら、こんなことにはなっていないです。

自分で

いまのわたしは、谷から過去されたことに対して、謝罪して欲しいとは全く思っていません。なので、訴えることを選択しませんでした。

書いたように、わたしの退団後に訴えることが過ぎり、結局やめた時は、当時のわたしの精神状態を考えての選択でした。

いまのわたしが、それを選択しなかったのは、自分のハートに聴いたら「したくない」と即答だったからですが、いまのわたしには、する必要がなかったからです。

わたしは、谷からされたこと、全部はまだ許せていないと思います。
だけど、わたしは自分の心の傷は自分で癒しています。これからも。

わたしは、谷が変わっても変わらなくても、谷とは関係なく、
わたしがわたしを幸せにしてあげようと思うようになりました。
自分がこんな思考になるとは、数年前には全く予想だにしなかった変化です。
いまのわたしは、退団当時に訴える選択をしなかった自分にありがとうと思っています。

わたしは、〈○○が変わらないから、○○のせいで→幸せになれない〉って思考がありました。誰かのせいにするのは簡単だし、誰かの文句言うのも簡単だし、実際、自分が相手から何かされて傷ついたら、相手のせい、ってなるのは当然だと思っていました。たぶん。ずっと。長い間。
でも、です。
この思考だと、ずっと自分以外の相手や何かに主導権握らせてんなーということに気付きました。自分の人生なのに、です。つまりは、〈○○が変わったから、○○のおかげで→幸せ〉こうならないと、ずーっと幸せになれない、ということです。
こうならないとずーっと幸せになれないなんて、わたしはやだなーと思いました。
だから、誰かが何かが、変わっても変わらなくてもどうあっても、わたしはわたしで幸せに生きようと思いました。

ものの見方のひとつとして、わたしはこのように思考しています。
もちろん、誰かを何かを変える為にと行動する方法もあります。
時と場合やその時の自分の状態などにもよっても変わると思います。

オセロ・しっぽきり

目の前に起こることは、ただ起きたこと。
できるだけわたしは、そのように捉えるようにしています。
とはいえ、これまでの環境、経験、文化、社会ルール、常識、観念などを通して、今の自分の思考があり、起きたことに、ついつい自動反応のように感情(エゴ)がついて回ります。
感情含め、どのように見るかは本来自由に選択できるものであることを、わたしは実感として感じられるようになってきています。

感情(エゴ)的になってしまうと、物事が見えにくくなるようにわたしは思います。
だからこその人間だなぁと思うのと同時に、感情(エゴ)に振り回され過ぎずにコントロール(練習)することも、わたしは自分自身の為にした方がいいなと日頃思っています。
意図や目的が見えなくなったりもするので。すり替わったりもするので。

わたしが、この日記を書き始めた時にもそうでした。
思い出しながら書いていて、つい、あれこれ書き過ぎていて、見失いました。書いてるうちに、あれ‥?違う、本来の意図や目的をちゃんと見ようと振り返り、それに必要ないものは削除しました。

本来どこへ行きたくてやってることなのか、そういうの見失わないようにしたいなと思いました。

言葉

今回で表面化する前、内面ではなく、表で発信されてることや彼のステータスだけで彼を評価したり、近寄ったり。
彼の発言で、本当はそうじゃないのになぁ‥とわたしが感じていたことも、裏を見てないとわからないと思います。
谷に限らずですが、わからないですよね、裏なんて。だから裏ですし。
わたしだってそうです。

裏というか‥人を理解するわかるなんて、本当のところでは難しい‥できないのかもしれないです。
長い付き合いの中でわかる知ることが増えてもいくこともあれば、
短くてもフィーリングで合う合わない感じることもあるし、
自分も相手も変化することもあります。
いくら耳触りのいい言葉を発していても、それが、心からのものなのかアピールなのか言葉だけでは真意がわからなかったりもします。
わたしは、言葉が人を救うこともあるだろし、言葉にはパワーがあると思います。反面、言葉は、どこかあてにならないとも思います。
だから、どうしようもないとは思っていないです。
人と付き合う中で、発する言葉と共に、目にはみえなくても感じられるモノってわたしはあると思うので、それをキャッチして自分の心でみていきたいです。
それでも、その時、気付かぬ気付けぬこともあるだろうし、それでネガティブな思いをすることもあるかもしれないけれど、それは何かしら自分へのメッセージかもしれないとわたしは捉えていきたいです。

誰の言葉を信じるのか。

何を見るのか見たいのか。

この日記に書いたことは、あくまで、わたしが感じてきたことだったり思考だったりします。
わたしは、当時のことも今のことも、盛ったりせず正直に書きました。
書いていない書ききれていないこともあります。
記憶の奥の方にあって、忘れていることもあるかもしれません。
思ったのに書き漏れもありそうな気がしています。
わたしの思考や捉え方に、理解、共感しづらい部分もあるかもしれないなと思います。「それってあなた(わたし)の感想ですよね」って思ってもらって構いません。

同じ出来事でも、その時一緒にいた他の劇団員や周りの人が、わたしとは異なる思考、捉え方をしているかもしれません。
なので、わたしの書いたことだけを鵜吞みにすることはないです。

=≒

人は鏡という言葉があります。
誰が最初言ったのか、わたしは知りません。
ずいぶん昔、いつの間にか、その言葉を知りました。
いまわたしは、その言葉の意味を、昔より深く感じられているように思います。ほんとうにそうだなぁと実感しています。
最初に言った人すごいなと思います。うまいこというなと思いまして。

自分の姿は、鏡や写真、動画とかでしか見れないです。
肉眼では見れないです。
手とか見えるとこもあるけれど。
自分以外は、肉眼で見れます。
周りがいてくれて、そのおかげで気付けることがたくさんあります。
尊い。

※ 闇→🌟

※注意※
この目次パートは、削除しようか最後までめちゃくちゃ迷いました。
けれど、載せることにしました。

人によっては、結構キツイしんどい内容含んでいます。
目次から、このパート飛ばして次読んでいただいても構いません。
✱祈✱
ハラスメント、モラハラ・セクハラ・パワハラ、DV、罵倒、、、許せない赦せない悔しい悲しい辛いキツイ失望怒り嫉妬失敗羞恥心恐れ罪悪感絶望‥わたしには、別に訴えたいと思った人がいました。とてつもない憎悪がありました。謝れ反省しろという気持ちがとてつもなく強かったです。けれど、そんなわたしの願い、言葉は届くこともなく、ずっとずっと苦しかったです。わたしの苦しみと同じくらい相手も苦しめばいいと思っていました。わたしを傷付けたのだから制裁されるべきだ。わたしがどれほど苦しんだのかもわからず、今ものうのうと生きる姿を見てわたしがどれだけ心を傷めたことか。自分が言ったこともやったことも忘れ、自己弁護の為に自分がされたことだけをとって被害者面し、寄り添うことも謝罪することも何一つ反省することもなく認知の歪みを持つ汚い人間。偽物の品行方正の鎧をまとい、世間を欺き、今もなお表に出続けるおまえに制裁を与えてやる。全てのおまえの悪事を罪を世間に曝け出しどちらが歪んでいるか確かめてもらえばいい。必ずおまえのしたことは裁かれる。絶対に。絶対に。二度と表に出てくるな。地獄に堕ちろ。
その時のわたしの思考になって書いてみましたが心がキツイです。。。

災害・・日本、世界での様々なニュースにも心を傷めていました。
身近なこと、日本だけでなく、世界での様々な争い、事件、災害、理不尽なニュースなど見聞きするたび、この世界の汚さ、醜さ、理不尽さにわたしは辟易していました。
もちろん、心暖かく優しいひともいることだって、わたしは知っていました。
愛や希望、光があることもわたしは知っていました。
愛や希望、光のある世界をわたしは求めていました。
大切なひと大好きなひと感謝しているひとだっていました。
だけど、当時のわたしは、この世界がドス黒く濁ってみえました。
きったないやつらばっかり。
表だけキレイでも中が醜かったら意味ないのに、みんなバカみたいに騙されて踊らされて。
当時のわたしは、全くもって、愛を、希望を、光を、見出せなくなってしまいました。わたしの心にはあるのに。
絶望しかありませんでした。
生きていくことがしんど過ぎました。
辛すぎました。
無理して笑っていました。
笑う角には福来たるって言うし、と思って。
笑ってたら、きっと、わたしの願い祈りが届いて光ある未来が来るかもしれないって思って。
とっても無理してにこにこしました。
死ぬほどしんどかったです。
わたしは、ほんとうは光があると信じていました。
信じたい気持ちがあるのに、目の前がぐちゃぐちゃだからわけがわからなくなっていました。
にこにこしながら泣いていました。
毎日毎日泣いていました。
毎日毎日泣くことすら許されない状況にありました。
現場があってなんとか切り替えても、実際のわたしの心はドス黒いペイントで塗り潰されていました。
ある日、外を走っていて、夜空を眺めて、わたしはどうやって生きていけばいいのかわからなくなって泣きながら走っていました。
声が聴こえました。閃きました。
「そっか、消える日を決めたらいいんだ」
そしたら、心がとっても軽くなりました。
「終わりを決めて、そこまで頑張って生きたら、もうこんな汚い世界に居なくていいんだ!」
そんなふうに当時のわたしは思い、ヘンテコですが、その日から生きる希望が持てました。
律儀に当時その時オファー受けたものを最期にやり終えてから消えようと思いました。
日付を決めました。この世界から消える日を決めました。
2021年2月某日。
お手紙(遺書)を書きました。
まずは家族から。
そこから、関わった色んな人ひとりひとりに。
そして、わたしがどうしても許せないでいる人達にも恨み辛みを書きました。
通帳をひとつにまとめ母にあげる準備をしました。
消える方法を探してどの方法にするか決めました。
失敗して未遂にならぬよう用意周到にシュミレーションと準備を粛々と進めました。
わたしのスマホや様々パスワードを教える準備をしました。
消えたわたしのTwitterから投稿できるようメッセージを下書きに残し、
家族に託すため、スマホを送付する準備も進めました。
逆説的ですが、消えることを決めたわたしは、やることがたくさんあってイキイキしていたように思います。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

どうにも心がしんどくてキツくて苦しくて過去のわたしのように、もう、どうやって生きていけばいいかわからなくて消えることが過ぎってしまう場合もあるかもしれません。
だけど、決して、選択肢はそれだけじゃないです。
どうか生きてて欲しいです。
どんなに周りが変わらなくても変わっても自分で幸せになろうと思えば幸せになれる選択ができるといまのわたしは思います。
宗教とかクスリとかじゃないです。
心が真っ黒になってしまうようなことが起きた時、好きな飲み物を飲んだり、お気に入りのバスソルトでゆっくりお風呂入ったり、星を眺めたり、ちょっとだけ、ちょっとだけでも、心が落ち着いたりほっとできるところへ、自分の意識を連れて行ってあげてください。
物事の見方は変えられます。思考も変えられます。日々起きる現実に振り回されることもあるけれど、かつてこんな思いだったわたしが、いま、生きたいと思えています。
わたしができるってことは、あなたもできるってことです。
いまのわたしが在るのも、これらのしんどい経験があったおかげとも言えるなと少しずつ思えるようになってきています。

書きたいこと書こう

人間は感情が伴います。エゴもあります。好き嫌いもあります。
自分が可愛いから、つい護りに入っちゃって、擁護しがちだったりもします。でも、どんな自分でも自分と思えれば、擁護する必要もないです。
どんな自分も認めた上で、自ら気付いたり、周りから気付きをもらったり、変えたいと思えば変えられるよう練習したらいいし、
わたしは、ありのままの自分で生きていきたいです。
その方がわたしは心地いいし、自然だし、呼吸しやすいです。

わたしは、過去思い返して失敗、間違い、後悔していることも様々あります。相手がどう捉えているかはわかりませんが、わたしが自分で反省し、ごめんなさいと思っていることもあります。
過去にしたことは変わらなくても、そこを振り返って、学びや気付きとして、今、未来をどう生きていくのか。
あいたたたーごめんなさい(>_<)と思う気持ちでおしまいにするのではなく、気付きをもらえた人や出来事に感謝すると共に、わたし自身も変化していこうと思い、いま、わたしは生きています。

最初、大内のこと好きじゃなかったと書きましたが、わたしはわたしのことなんて、もっとずーっと長いこと好きじゃありませんでした。
だけど、今は、いまのわたしが好きです。

自分のことも、相手のことも自分と同じように大切に想えるとハラスメントとかいう言葉も必要なくなるんじゃないかなとわたしは思っています。
ハラスメントをなくそうという世界よりも、
ハラスメントという言葉すらなくなる世界になったら、
‥それってどんな世界だろうって想像するだけで、わたしは顔がにこにこなってしまいます。
わたしもすばらしい。
あなたもすばらしい。
違っていいし、だけど、どっちも素敵ねって。
あーいいなぁー楽しそう。

わたしは、劇団を離れて2年半以上経ち、様々な日々を経て、思考や認識も変化しています。
特に、ここ3~4か月くらいは変化のスピードが早くなっています。
わたしは、わたしなりの方法で、心地いい世界を映していこうと思います。
失敗や間違いがあっても、その度、気付きを経て変化しつつ。
希望を持って。

わたしは、わたしを大事にしながら、わたしなりの方法で、わたしの周りの小さな世界から心地いい世界を映すことができるよう生きていきます。

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読んでいただき、ありがとうございました♡

みんな元気になりますよう。

心を込めて♡

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