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絞り切るクセ

からだはとっくに疲れているのに、
限界まで絞り切ろうとするヒト。


「まだ動けるからやろう」
「キリのいいところまでやろう」
「ついでだからやろう」
「もったいないからやろう」


こんなふうに思うこと、よくありませんか?


これって、
「自分の限界値まで絞り切る」
のがクセになっています。

エネルギー残量100% ⇔ 0%
の範囲の中で、

フル充電100%の方に近づけることよりも
使いきってゼロにすることばかりやっている。

なんなら、ゼロまで使いきらなきゃ
いけないと思ってる(笑)。

充電もろくにせず
絞り切ることを繰り返していると、

絞り過ぎた雑巾の線維が
ほつけてぼろぼろになっていくように
からだは回復力を失い摩耗していきます。

「絞り切る快感」っていうのも
たしかにある。

たまにならいいけれど、
絞り切ったあとしっかり
フル充電できてればいいけれど、

だいたいの人は充電不足のまま
絞り切っているようにみえます。

で、絞り切る中毒になってしまうと
もはや自分が絞り切っていることにも
気付かなくなる。

どれほど強い力で
自分を絞り込んでいるのかにも
気付けない。

私自身がずーっとそうでした。

自分をプッシュしてプッシュして
常に追い込んで生きて来たことに
昔はまったく気付いてなかったし、

なんならその追い込んでる自分を
「成功に向かって頑張る私」
みたいに勘違いしてた(笑)

この仕事をはじめてから、
あれ?私けっこう疲れてる?

って気付くようになって、

「疲れてない?」
って1日に何度も
自分で自分に聞くようになって、

それでちょっとずつちょっとずつ
絞る力をゆるめてきたんだけど

これは本当にちょっとずつしか
緩まなかった。

「絞り切る」のが生きるための戦略だったから
それをやめていくのは無意識の領域で
とてもとても怖いこと。

だからからだは抵抗する。
いやだよ、これやめたら死んじゃうかもよ?って。

そういうからだをなだめてすかして、
自分を追い込むことをしなくなってはじめて
どれほど強い力で絞っていたかに気が付ける。

だからこれ以上ずたぼろに
なりたくないなと思ったら、

勇気をだして、ちょっとでいいから
力を緩めてみる。

で、きっとまたすぐ力が入る(笑)

そしたらまた緩める。

それをひたすら繰り返していたら、
きっと力加減は上手になっていくはず。

もっと効率よくやりたければ、
信頼できるヒトに協力してもらうといいです。
「私が絞り切ってたら教えてね!」って。

自分ひとりでやってもいいけど、
他人からの方が見えやすいから。


これは好みの問題なので
絞り切るのが好きならば
絞り切るなとは言わないけれど、

私はどちらかというと
柔軟剤の効いたふかふかのタオルのような
あなたでいてほしい。



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