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最初から結果を恐れていたら何も生まれない。思い立ったら即実行。 - コシノジュンコ先生との出会い

新しいこと、やってみたことのないこと・・・思わずひるみがちです。

父の急逝によって、33歳で突然学校の理事長に就任してしまった私は、毎日そのような気持ちになっていました。

そんな私が、それでも毎日走り続けられた理由の一つ。それは、コシノジュンコ先生との出会いがあったこと、です。

今日はそのことについて書いてみたいと思います。

突然のひらめき

私がビジネススクールを卒業して、学校の仕事を始めた年。学校は創立100周年を迎える年でした。

100年に一度しかない、この年に、何か記念になるイベントを行いたい - それは先代理事長(父)をはじめとしたみんなの想いでした。しかし、何をするかはまだ白紙・・・。そんなところに私が入職しました。

何をするのが、この学園のルーツから見ても、みんなの想い出に残るのだろう・・・ずっとそんなことを考えていたある日。地下鉄の駅においてあったフリーペーパーの記事を読みました。

ファッションデザイナーのコシノジュンコ先生の記事でした。

「私は、若い人たちにファッションの素晴らしさを伝えることに情熱を持っています。」

!!!

瞬間、コシノ先生に記念イベントでお話して頂きたい!と思いました。

というのも、私が理事長を務めている学校法人 高木学園は、私の曾祖母が"裁縫女学校"として創立した学校だからです。その当時も今も、家庭科(今はライフデザインコース)というファッションに関係する勉強をするコースを持っています。

やりたいことは、決まった!あとは、どうやってお願いすればいいんだろう・・・。

突然のご相談

私にはツテもコネも全くありませんでした。父はこのとき、まだ理事長としての仕事をしていましたが、交友関係が広かったわけではなく、当然コシノ先生にお願いできるようなツテは全くありません。

とりあえず、お手紙を書いてみよう!

と思いました。(ちなみに、我が家のモットーは「ダメ元」。もともとダメで当然なんだから、とにかくやってみよ、という家訓のもとで育てられました。)

コシノ先生ご本人が読んで下さいますように!

と祈りながら、ポストに手紙を投函しました。

・・・

・・・

1ヶ月くらい経ったでしょうか。もはや私は「やっぱりダメだったかな。」と半ば諦めていた、その時。

コシノ先生の会社の方からお電話を頂いたのです。

「コシノがお会いする、と申しております。」

!!!!!!

心臓が止まるかと思いました。

しかし、冷静に考えると、こんな何者でもない私が、どうやって世界のコシノ先生にお会いすれば良いんだろう・・・とコシノ先生のオフィスに向かう足取りは、それなりに重く・・・

実際にお会いしたコシノ先生は・・・

素敵なコシノ先生のオフィスで、コシノ先生をお待ちしていると、

ものすごいオーラのご本人が登場されました。(緊張感が最高潮!)

この時点で、私は怖気づいて「か、帰らせて頂きます」という心境になっていたのですが、人生最大級の勇気を振り絞ってお伝えしました。

- 私の曾祖母は裁縫で女性が社会に役立てるように学校を創ったこと

- 私自身はビジネスの世界にいたけれど、学校が100年を迎えるので、今その学校で仕事をしていること

- 私はコシノ先生の記事を読ませて頂いて、本当に感動して、生徒たちにもそんなお話を聞いてもらいたいなと思ったこと

すると、ずっと黙って聞いていらしたコシノ先生が、おっしゃったのです。

「やります。やらせて頂きます。」

・・・

・・・

ほ、本当ですか?!(この時点で、もう緊張とそこからの安堵で倒れるかと思いました。)

お話させて頂けばいただくほど、コシノ先生は気さくで素晴らしい先生だったのです。

向こう岸、見ているだけでは渡れない

そんなご縁で、コシノ先生は本校の生徒たちをモデルにした「ファッションショー@高木学園」を実施してくださいました。

そして、その後も折にふれ、先生のファッションショーやイベントなどに声をかけて下さいました。

そんなコシノ先生がよくおっしゃっていることがあります。それは

向こう岸、見ているだけでは渡れない。(←これは、コシノ先生のお母様がよくおっしゃっていた言葉だそうです。)

最初から結果を恐れていたら何も生まれない。思い立ったら即実行。

「高木さん、いい、あなたはね、挑戦してみるというガッツがある。それがあなたの良いところよ。」

と、先生が言って下さいました。

そんなコシノ先生のファッションショーが終了してから数か月後。私は理事長に突如就任することになりました。

前回もご紹介した通り、理事長に就任した当初は、とにかく分からないことだらけ。怖いことだらけ。そんな私が、それでも前に進むことができたのは、コシノ先生からうかがったこんな言葉があったからではないか、そんなふうに思います。


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