見出し画像

京都の喫茶店


京都に行った。京都はいい。何をどうやってもいい。この良さがどこからどうやってきているのかはわからない。

地下鉄を登ったら、きれいな着物を着た人が毛皮のケープを巻いてしゃなりしゃなりと歩いていた。もうこの光景だけで胸をわしづかみされる。

京都のものはだいたいなんでも好きだが、なかでも喫茶店が大好きだ。京都の喫茶店は、ほかの地域の喫茶店とはまるで違って見える。

おもてなしの心

というのがもうバズワードみたいになってしまっているけど、京都の喫茶店にはそういうものが本当にあるように思う。それは愛想がいいとかプラスのサービスをするということではなくて、「ここに来たならそれ相応のものを提供しますので」という職人根性みたいなものである。

誰もが知る名店、イノダコーヒに行くと、そこはまるでホテルみたいだ。老舗ホテルのラウンジ、そのラウンジだけを切り取って持ってきたみたいなところである。

蝶ネクタイ姿の店員さんがうやうやしく店内に案内してくれる。分厚い絨毯を踏みしめて店内を歩くと、ゴージャスな生花が巨大なツボに生けられていて、ピカピカに磨かれたガラス窓からは中庭が見える。

お寺のご家族さんがモーニングを食べている。常連のおじいちゃんが来て、店員さんと世間話をしている。

ホテルのロビーというのは威信があるホテルに属しているからその威信を守るために行き届いた心配りなどがなされるわけだが、喫茶店だけでその威信を作るのは大変なことだと思う。毎回その努力に感心する。

そういうことは、有名店だけではなくて、まちの外れの、ぜんぜん有名じゃない普通の喫茶店に入っても思った。

チリンチリンという鈴を鳴らしながら入った店内は、ちょっと軽井沢のペンションみたいなオールドスクールの雰囲気があるが、どこもピカピカに磨き上げられていた。ガイドブックにも載っていない、地元の人しか来ない、本当に普通の喫茶店だ。店内に清潔感があるだけでなく、珈琲もミックスジュースもすごく丁寧に淹れられていて、ものすごくおいしかった。

そして接客態度も、とくに愛想をふりまくということはないのだけど、要点はきっちり抑えてくれる。「ここに来たからにはちゃんとしたいいものを出します」という背筋の通ったストイックな感じでとても気持ちがよかった。

ピカピカな店内、透けて見える威信、丁寧につくられた珈琲など、総合すると京都の喫茶店は総じて気が良くなる。

京都はかつて都だったということ、観光地としてよその人に見られてきたこと、そうやってずっといろいろなものを背負ってきたということ。そういうことが京都の人に自然と見えない筋肉がつけて、他の地にはない、とうめいな緊張感を産んでいるのかもしれない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?