見出し画像

高いバレッタ

ワイは子どもの頃ママンがマリア様だと思っていた。ママンはカトリック信者なのでカトリックの教えを叩き込まれたのだが、こどもには難しくてよくわからなかったので「うちのママがマリア様なんだ」と思っていた。こどもの理解なんてそんなもんである。

ちなみにカトリックではマリア様の扱いがめちゃくちゃに待遇がすごい。マリア様は聖女で、キリストを生んだ以外に具体的に奇跡とかは起こしてないので冷静に考えると何がすごいのかよくわからないのだが、どこの教会にいっても蛇を踏んだマリア様のでっかい像があって、キリストは教会の真ん中に十字架に貼り付けられたのがあるだけなので、正直キリストはマリア様の添え物的存在だと思っていた。

だからわたしが信じるカトリックというのは「なんかマリア様が超スゲエ」であって「何もかもを赦すキリストがすごい」ではないのである。カトリックが強いラテン語圏(イタリアとか)にマザコンが多いのはこのマリア様信仰のせいではないかと言われている。

子供の頃はママンといるのが一番幸せだった。ママンはとにかくとろけるように優しいのだ。だがママンは幼稚園の先生で忙しいので、よくこどものときは腹痛を訴えママンに病院に連れて行ってもらって死ぬほど甘えたものだった。

でも小学生のときに、ママンがなんかで死ぬほど怒るのを見て「あっママンは人間なんだ、マリア様じゃないんだ」と気づいたが、別にサンタがいないと教えられるほどのショックはなくて、「ママンとマリア様はべつ」と理解しただけだった。

そして大人になったわたしは、「一人暮らしがしたい」といって「もっと一緒に暮らしたいのに」というママンをキレさせ、反対を押し切って東京にやってきた。そんで結婚もせずにのんきに一人で暮らしている。

でもまあ実家にいくと「お前はいつ結婚するんだ」って言われるんですよ。こっちが聞きたいわ。好きで結婚してないのではなくてそういうチャンスに恵まれないまま時間〜とき〜が過ぎてしまっているだけなのでわたしにはどうにもできない。

そんななか、帰省しておかんと藤崎(仙台市のデパート)近くの喫茶店でお茶をした。そしたら何の前触れもなく、「なんでお前は結婚もできずに云々」とガチ詰めの説教をママンがしてくるのである。

そんなこと言われても知らないよ

好きでできないわけじゃないのに。そう思っていると両目から涙が溢れまくり、それは止まらず、まちなかでボロボロ泣いている人になってしまった。

ママンはそんなわたしを見て、一言も謝りもしなかったし、一言も慰めもしなかった。

ママンはズタボロに泣きながら歩いているわたしをそのまま藤崎に連れていき、一階のいろんなもの売ってるエリアにいくと、そのなかで一番高いバレッタを手に取り、「これ素敵じゃない。買ってあげるわ」と言った。わたしは泣いているので返事もできなかった。正直店員さんもガチ泣きしている娘を引きつれ普通に買い物してるママンという異常な状況に引いていてた。

ママンは自分のキャパオーバーのことが起こると、それを建設的に解決できないので、見てみぬふりをしてやりすごすくせがあるのである。それは人間のくせなので、別に恨むとかないし、ママンのことは相変わらず大好きだけど、なんか不思議な出来事があったなくらいに胸の中に残っている。

そして、ママンはそれ以降ぱったりと「結婚しろ」って言わなくなった。

っていうことを、ローマ法王の東京ドームLIVE‬見てたら思い出した。っていう話。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?