とらやのようかん
ものすごく嬉しいこととか、ものすごく悲しいことがあったときに、人は何かを書けないという話。
あるよく晴れた日曜の昼下がり、我々は恵比寿のミシュランで2つ星を取ったというレストランでランチをした。他のテーブルにはご近所さんであろう上品な家族と、マダムたちのランチ会が開かれている。
わたしといえば、ミシュラン付きのレストランということで晩餐会みたいな格好で来てしまった。途中、花屋さんで買った花を抱えて。
なぜなら、この会ではとてもおめでたいことが起こるからだ。分断に満ちたこの世界において起こる、数少ない融合と幸福をしめす出来事。つまり、
「入籍するから、婚姻届の保証人になってほしい」
と言われ、やってきたのである。
私が新郎に最後にあったのは12月半ばぐらいで、その頃、奴は彼女すらいなかった。それが、12月23日に最初のデートをして、元旦から付き合って、もう入籍することになったそうだ。
「きみたちのことはよくピロートークで話しているから、今度食事でも」
と言われて微妙な心持ちでいたのだが、初めて会う機会が保証人とは思わなかった。
実際に見るその新婦は、新郎より12歳年下の、透明感のあるかわいい女の子である。かわいらしい顔立ちで、激しい主張はないけれど芯があって、実はちょっと個性的という、男子の理想をかたちにしたような女子だ。デザイナーだそうで、手に職もある。この安定感。なんの非のうちどころもございません。
二人は幸せいっぱいも甚だしく、
「いまはわたしの家で一緒に住んでるんですけど、この人、昨日、幸せだー!!って叫んでたんです。」
何があったの?と聞くと、
「うどんを茹でただけですよ。うどんの上に菜の花を乗せたら、それを見て、こんなに幸せなことがあるのか!って叫ぶんです」
すると新郎も負けじと
「この子だって、毎朝僕が隣にいるのがすごく幸せだって言うんだよ」
とのろける。外は寒いが、目の前にだけ春が来たようだ。
「こんなによく出来たこと、ブログに書くしかないよ」
ともうひとりの保証人である水野祐(初の著書「法のデザイン」発売中)が言った。すると友人は
「いまはまだ書きたくないんだ」
と答えた。
「いまは洗濯機の渦の中にいる気分なんだよ。次から次へといろいろなことが降り掛かってきて、ただ目が回っている」
すごいことが起こったら、それだけ文章が書きやすいのかというとそうでもないらしい。
「渦の中にいると何も書けない。僕が何かを書きたくなるのは洗濯物を干すタイミングなんだ。そのときになって初めて書けるようになる」
まあそういうものかもしれないなあ、と思う。我々はフランスキャベツのクリームあえやエゾジカのローストなんかを食べながらこの出来事について話した。デザートが終わり、コーヒーが出たタイミングで新郎が「それじゃそろそろ...」と婚姻届をテーブルの上に出してきた。
初めて見る婚姻届には、たしかに保証人という欄がある。二人の保証人というのがいないと、日本では籍を入れることができない。これは借金の保証人とは違って、離婚したから賠償金を負担、みたいなことはない。かつてはなんらかの理由で必要だったんだろうが、いまでは形骸化している。まるで盲腸みたいに。
「だからさ、君たち保証人が、僕達がほんとうに結婚していいのかってことを決めていいんだよ」
と新郎は言う。こいつら、実は愛し合ってないな、と思ったら入籍を許さない、それが本来の保証人の機能なのかもしれない。しかし見ての通り思いっきり愛し合っているようなので、われわれはすんなりと署名し、判を押した。これで二人は法的に保証された配偶者である。新郎新婦だけでなく、保証人のほうも、ものすごく幸せな気持ちになっった。
法的な手続きを取って、人がこんなに幸せな気持ちになれるのがすごい。法というと人を制限するイメージがあるけど、本来はこうやって人を幸せにするために出来たものなのかもしれない。
新郎は食事をごちそうしてくれただけではなく、帰り際、おみやげにとらやのようかんをくれた。家族のために他の人に来てもらったときに、お礼の気持ちとして渡すものとして、とらやのようかんはそのちからを遺憾なく発揮していた。こういうときのため、とらやのようかんというのは作られているのだ。
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