デザインの役割

このまえ、蓮沼アンプラグドメンバーの宮地夏海嬢が持ってきた謎のドリンク「五穀の実り」が話題になった。いちおうメジャーブランドのアサヒが出しているが、イオンかなんかで限定販売されているもので、特徴は鬼のように安いこと。話題になったのはこのパッケージから放たれるマイナーぶりである。

五穀のレイアウトがスッカスカだとか、コスト削減のためにかろうじて五種類の穀物が入っているのが見え見えだとか、しかもその穀物がショボいとか、容赦無いツッコミが入った(主にイトケンさんから)。

いっぽう、アサヒが出しているメジャータイトル「十六茶」のパッケージはこちら。さすが堂々たるメジャー感がある。


ちなみに十六茶に入っているのは「ハトムギ、大麦、ハブ茶、玄米、発芽大麦、びわの葉、とうもろこし、黒豆(大豆)、カワラケツメイ、発芽玄米、昆布、シイタケ、グァバ葉、桑の葉、なつめ、大麦若葉」だそうだ。

パッケージのデザインで一流感、二流感が出るのは考えてみると不思議なものだ。たとえ二番手三番手のプライベートブランド向け商品でも、パッケージデザインをメジャー感あるものにすれば一番手になるのかもしれないが、そういうことは起こらない。

DTPが普及し、インターネットで世界中のデザインが参照できるようになったいま、世界各地でデザインをする環境はフラットになった。ど田舎に住み、趣味でPhotoshop使ったりするような人も、大都会で巨大クライアントのための仕事をしている人も、マックとAdobe製品、ペンタブレット、というように、あまり代わり映えのない装備で仕事をしている。

それでも、田舎で趣味でPhotoshopを使っている人が、この「メジャー感」のあるデザインが作れるかというと、必ずしもそうではない。これが不思議なところだ。基本的に地方の不動産屋はそのターゲットのスケールからは出ない。

いま、その溝はどんどん埋まってきていて、世界のどこにいてもメジャー感溢れるデザインが出来る人がたくさん出てきている。地方からグローバルに向けて作られたもの、そういうものが「ローカルデザイン」と呼ばれるものなのだと思う。

デザインはそうやって、意匠によって、そのもののスケールを変えたり、メッセージを伝えることができる。それがスゴイ。そういうデザインのスゴイところを忘れて、単なる魔女狩りになっている今の状況は残念だなと思う。

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