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うどんの味

2年前のちょうど今頃、北國新聞の全面広告を作る仕事で金沢に取材に行った。金沢の名所を紹介するという企画で、兼六園とかいろいろなところを3日間で12箇所ぐらい撮影するというすごい詰め込みっぷりだった。そのなかの一つに、金沢の魚市場があった。

魚市場は朝の3時すぎにはもう稼働している。タクシーで市場に行くと、もうせりが始まっていた。ふぐ、えび、かになどなど、近海で採れたおいしそうな魚が発泡スチロールの箱に入って、買われるのを待っている。威勢のいい業者さんたちが、まるで歌うような調子で大きな声を出し、一般の人にはわからない身振り手振りで次々に海産物を引き取っていくのだった。おじさんたちは優しくて、勝手のわからない我々に何をしているのか教えてくれる人もいるし、おいしいエビの見分け方を教えてくれる人もいた。

市場の外には、そんな業者さんたちのための食堂がある。築地にあるみたいな、観光客向けのお寿司屋さんとかじゃなくて、純粋に働く人たちのための食堂なので、むしろ海の幸のメニューはない。うどんやラーメンなど、消化が良くて力が出そうなラインナップが並ぶ。店内は荒れ気味の実家という感じで、整理整頓にはほど遠いが、出るものはおいしいということで市場を訪れる人のオアシスになっている。

午前4時。ブラウン管のテレビから朝のニュースが流れる店内で、取材を終えた我々がうどんをすすっていると、店内にお客さんが入ってきた。パンチパーマのチンピラ的な、怖そうなお兄さんだ。お兄さんには連れがいる。その連れの様子を見てぎょっとした。4月の早朝の金沢で寒いのに、だるだるとしたTシャツを着ていて、首からよくわからないネックレスを下げている。年は30代から40代くらい。

ぎょっとしたのは、彼の頭から血が出ているからだ。アスファルトに擦り付けて引きずったような、生々しい傷が、カッパみたいな感じで頭頂についている。めちゃくちゃ痛そうである。その連れはちょっと知能が遅れているような子で、ぶつぶつ独り言を言っている。お兄さんが面倒を見ているようだ。おにいさんは連れのためにうどんを注文すると、連れはうれしそうにうどんを食べた。お兄さんはビールを注文し、タバコを吸いながらテレビを眺めている。連れはニコニコしてうどんを食べている。うどんを食べ終わると、「おでんも食うか」と言っておでんを食べさせていた。連れの子はお兄さんの舎弟なんだろう。どう見ても一人で生きていけなさそうな感じなので、お兄さんはこうやってごはんを食べさせて、きっと暖かい寝床も用意してあげているんだろうと思った。その後、お兄さんと連れは店を出ていった。

二人が本当はどんな関係なのかはわからないけど、昔はきっとこんな感じで、世間からこぼれ落ちてしまった人をよりかかって助ける仕組みがあったのかもしれない。いまは仕事をするには履歴書を送って面接をして、オフィスに満員電車で通って厚生年金と税金を払って、という感じになっていて、そういうところにはまらない人はこの世に亡き者とされているような感じがある。

そういう人には「福祉」があると言われると思うけど、いま行われている「福祉」というのは役所に行って書類を出して、交付される日に銀行に振り込まれて、という感じで、そこにはまることすらできない人もきっといる。頭から血を流してブツブツ言っている人にうどんを食べさせてあげるなんて、都会にたくさんいる、立派な服を着て取り澄ましている人の中で何人の人ができるだろうと思った。

きちんとしている社会は、不公平なく、クリーンで良くなったんだと思う。でもそこにすらはまれない人のための柔軟な受け口というのが、なんらかのかたちでないと、息をすることもできない人もいる。そういう人がどんどん生きづらくなっているんじゃないだろうか。そんなことを金沢の魚市場で考えた。


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