婚約、ライフイベントに関するセレモニー

婚約をすることにしました。

長く付き合っている人がおりまして、もう8年になります。彼は長い下積みを必要とする職を選んだので身分がいまだに不安定なんです。もう、業界自体がそういうものらしいのでその点については心配もしておりませんが、結婚ともなると身分が安定するのを待ちましょうということで、なんのかんの時間がたちましてもう8年になりました。

先日、父の還暦祝いがありまして。家族がそれぞれいい歳ですので、こういう機会でもないと集まれません。楽しい時間でした。その時に彼をこの場に呼ぶの呼ばないので話題に上がりました。家族全員に紹介もしているので雰囲気としては呼んでもよかったような気がしますが、しょせんはただの恋人であって中学生同士のお付き合いとオフィシャルの度合いとしてはおんなじなわけです。我が家にとっては彼はまだ私人だったわけですね。

婚約といっても婚約パーティーだの贈答品だのそういうものはないみたいです。とにかく両家にご挨拶をして結婚する意志を表明して二人の関係をオフィシャルなものにするというのが目的です。セレモニーに重きは置かないのですが、ちょっとした席くらいは設けようと思います。

現在は半同棲でしてね。週の半分はあちらで過ごします。ずっと謎の罪悪感を感じておりました。ただ実家ではない場所で生活をしているだけなのに、やるべきことを先延ばしにして遊びまわっているかのように感じておりました。ちょっとしたセレモニーをして肩書が変わるだけでそれらがなくなるのかと思うととても不思議な気持ちです。今まで私がこまごまとよりよくあろうとして周囲の方たちのご機嫌を取ってきたのは何だったのだろうか。なるほど肩書は私が思うよりも重要なのだ、と。

結婚式やらなんやら、式と名の付くものは周りの人のためにやるのですね。

彼の承諾も得たので婚約の内定は取れたものとみなします。私の周囲の人にも伝えましたところ、まあ態度が違う違う。まるで結婚でもしたかのようです。体感ですが、きちんとした人ほど喜んでくださいます。今までは彼のことを話すと好意的ながらも「ふーん」という感じでしたので驚きました。その関係がどれほどオフィシャルなものかというのが周囲の人にとってこれほど扱い方を変える大きな要因となるとは思いもしませんでした。

みんなに堂々と祝福されることであったり、そのためのセレモニーにコストを費やす余裕があるという事実。そういうものは人並にきちんと生きてきた人たちだけの喜びであって私には無関係なことだと思って生きてまいりましたが、私にも可能性があるのだと思ったとたん一気に視界が開けたようです。

本当は、以前からゼクシィプレミアムに載っているようなセレモニーにあこがれておりました。しかし私たちにはお金があまりなかったので、できないだろうと思っていました。知り合いのきちんとした式を見るたびお祝いの気持ちが半分、切ない気持ちが半分でした。式というのは正しい手順を踏んだというのが重要なんだそうで豪華絢爛は無理しなくてもいいそうです。指輪も無理して買わなくてもいいんですって。

現金なもので、自分にも可能性がありそうと思ったとたん手のひら返してlifeイベントにあこがれ始めました。幸せな結婚式のために仕事を頑張るなんて教科書に載ってそうな生活を自分がすることになるとは思いもしませんでした。

今、幸せです。

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