言葉の魔法 口にすると本当になる
「いっくよ〜!」
バーン!
私「私、反射神経いいんだよ!」
歩いていたら、子どもがゴムボールをふいに投げて来ました。
「反射神経いいんだよ!」と言ったら、本当にキャッチできました。
すると、これでもか、これでもかと、前から後ろから斜めからボールを投げて試してきます。
ドカベンの山田太郎のように、どこに投げても全部キャッチ!
子どもも、私も大笑い。
ドッチボールは、厳しい遊び。
なぜって、弱そうな人か、嫌われている人が狙われるから。
私は後者だったので、念が入った、容赦ないボールを、遠い昔にたくさん投げられてきたのです。
ドッチボールだけはいつの間にか得意になっていました。(圧倒的に狙われるので、鍛えられる)
かわすのも、逃げるのも得意。
そして投げなければ、投げられない。
この頃の癖、知らぬままにずっと待ち続けていたことに気づきました。
狙われないように、ターゲットにされないように、目立たないように。
ただ、そうならないようにと意識を無意識にしていることで。
社会人になってもターゲットに何回もなってしまったことがありました。
底に沈んでいるものを取り出さない限り。いくら表面に浮いたものだけを取っても、また繰り返すだけ。
女の子が「もうーー!!」と男の子たちに怒っていて。
「私も小学生の頃はそうだったよ。」
と言うと、皆、いっせいにこちらを見て次の言葉を待っています。
言葉を選んで「今はね、大人だから。かわいいなって思うよ。」
女の子は「はっ!」として、同じなんだと安心して。
男の子たちは、嬉しそうでした。
経験したからこそ伝えることができる。共感することができる。勇気や安心を与えることができる。
そしておそらく、ドッチボールで狙われすぎてよくなった反射神経は「反射神経いいんだよ」の言葉を口にして、さらに自分にそう思い込ませる魔法になったのだと思います。
過去の経験と、そこから生まれた今の言葉が合わさって、出来事になる
ボールをことごとくキャッチ出来た時に、
自分の人生にやってくるものを受け取れるようになった
そんな感覚がやってきました。
今の自分を作っている言葉を解体していく。
解いていく。
反射神経は、中々役に立つからいいけれど。
良くない意味でターゲットになるのは、遠い遠い昔の思い出。
あぁそうだったのか。
あの時そう思ったことが、根付いて大木に育ってしまっていたのか。
そう気づいたら、もう栄養となる思考は補給されません。
色々な気づきが起きて、年末にかけてしんどいこともあるかもしれません。
これから
どんな言葉を見に纏い生きるのか
そのための発掘、分類作業が人生に起きているのだと思います。
過去の辛い思い出が噴き出てきて、しんどいかもしれませんが。
その奥には、きっとあなた本来の美しい源が流れているのだと思います。
最後までお読み頂きありがとうございます。
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