本能寺跡 - その歴史と真実 -
織田信長が明智光秀の謀反により非業の死を遂げた
「本能寺の変」でしょう。
しかし、現在京都市中京区に位置する本能寺は、
この歴史的事件の舞台となった場所とは異なることをご存知でしょうか。
信長が自害された本能寺は、
西洞院通から油小路通にかけて建立されておりました。
現在の本能寺は、
変後、豊臣秀吉の命により移転されたものなのです。
信長は普段、妙覚寺を宿所として用いることが多かったとされています。
本能寺を利用したのはわずか三回のみで、
当日は信忠公が妙覚寺を使用していたため、
本能寺を宿所としたようです。
信長は自害の際、本能寺に火を放ち、
自らの遺骸を光秀に渡さぬよう図りました。
現在の場所への移転は、
本能寺の変から九年後、
天下人となった秀吉の命によるものでした。
現在の本能寺には、
信長や本能寺の変で亡くなられた人々の供養塔が建立されています。
京都にお越しの際は、ぜひ一度足を運び、
歴史の重みに触れてみてはいかがでしょうか。