野田元総理の追悼演説に見る議会人の矜持。
10月25日。格調高く心に残る追悼演説でした。野田佳彦元総理の深みのある声が響く22分間。議場は故人を偲ぶ暖かな一体感に包まれました。
政治的テロがなぜ決して許されないのか。統一教会問題を巡る報道などで世間の関心が移ろう中、改めて冒頭でこの追悼の意義を明確にされました。
同期だからこそ感じる光と影。おそらく相手が自分を意識する遥か前から、ライバルの姿を目で追ってきた複雑な思いが伝わってきます。
ここで誰からともなく自然と議場に拍手が沸き起こりました。再チャレンジという言葉に、それを体現した安倍総理のライフストーリーに、どれほど多くの国民が勇気を得たか。忘れていた感情を思い出しました。
今国会で審議予定の区割り変更につながる2012年の定数削減の合意。シナリオなき真剣勝負に臨んだ2人の党首の凄まじい覚悟が心を打ちます。
議事に残る追悼演説の中で過去の自分の発言の謝罪を入れるのはとても勇気がいること。何度も迷い推敲されたのではないか。長く後悔されていた発言をこの場で自ら糺す野田元総理の人柄が伝わってきました。
その地獄を体験した総理大臣経験者にしか言えない言葉。同じ官邸にいながら海外出張に同行したことのなかった私には、時差疲労の蓄積まで当時思いがなかなか至りませんでした。「日本一のハードワーカー」と野田元総理が評した安倍総理の業績の偉大さに改めて感服します。
この3ヶ月間。国中が悶え苦しんできた問い立ての見事さ。その答えは、党派対立の中で性急に出そうとせず、遠い未来の歴史の審判に委ねようではないかという大人の呼びかけに聞こえました。
このスピーチで私が一番感じ入った部分です。初登院の日の眩しいフラッシュの「光と影」をここで回収しつつ、故人礼賛に留まらない野党議員ならではの問題提起。それを民主主義の意義へ昇華させる高度な修辞。批判的な表現を控え「問う」という言葉に込められたフェアな姿勢に、党派は違えど、議会人としてお互いへの敬意を忘れない矜持が感じられます。議場を包む大きな拍手が続きました。
議場正面の最前列でこの演説を聞き、傍聴席を見上げると、遺影を持つ安倍昭恵夫人も深々と頭を下げていらっしゃいました。
「このスピーチの後に、大臣辞任についての総理の責任追求の質問やらなくちゃいけないなんて。なんだかなあ。」
友人の野党議員も思わずため息を漏らす、長く余韻を残す見事な追悼演説でした。
議場を出ると、外はすっかり茜色の夕焼けに包まれていました。
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