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「すごい人」は印象であって評価ではない

「すごい人」という表現は、いろいろと省略された曖昧な意味で流通している気がします。私の主張は表題の通りなのですが、そこに至った経緯を書きたいと思います。

「すごい人」って何だ?

「すごい人」でググると、すごい人になるにはどうすれば良いか?というような記事が出てきます。すごい人になりたい!と思う人は結構いるのかもしれません。

一方で、なぜ「すごい人」になりたいのか、というか「すごい人」ってどういう意味だ?という疑問が湧いてきたので、「すごい」の意味を調べました。

すご・い【▽凄い】 の解説
[形][文]すご・し[ク]
1 ぞっとするほど恐ろしい。非常に気味が悪い。「―・い目でにらむ」
2 びっくりするほど程度がはなはだしい。並外れている。大層な。「―・い人気」「―・いプレー」「―・い秀才」「―・い散らかりよう」
(引用元)goo辞書

「すごい人」というときは、2番目の意味で使われていることが多いと思います。言い換えれば「並外れている人」です。強烈な印象を与える人、目立つ人とも言えます。

この意味での「すごい人」は、強い印象を与えている人であって、高い評価をされているわけではなさそうです。奇抜な格好をしている人を見て「すごい」と思うようなものですね(ファッションとしてみる場合は評価になりますが)。

「すごい」のは人か?

「すごい発明をした人」の「すごい」は、「発明が」並外れていることを強調しています。一方で、「すごい発明をした人」のことを「すごい人」と言ってしまうと、「その人が」並外れていることになります。

その人が「発明をした」という前提が共有されていない人同士で話すとき、意図が通じていなくても会話が成立してしまうことがあり得ます。

(会話が成立してしまう例)
A氏:「C氏は『すごい(奇抜な髪型の)人』だね。」
B氏:「うん、C氏は『すごい(発明をした)人』だよ。」

この例では、A氏が印象を述べているのに対して、B氏は評価のことだと勘違いをしています。

副詞か形容詞か

辞書に書かれているように、「すごい」は程度を表す形容詞です。一方、「すごく速い」の「すごく」は「速い」の程度を強調する副詞です。

ただ、副詞として使うときでも、「すごい速い」と形容詞的な表現をすることがあるようです。

「すごく足が速い人」を「すごく人」と略す人はいないと思いますが、「すごい人」と略すと「足の速さ」と「人」のどちらに掛かっているのか曖昧になります。

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(※)画像はイメージです

印象を評価と同一視していないか

「すごい業績をあげた人」や「すごい作品を作った人」に憧れるのはいいと思うのですが、「すごい人」と捉えてしまうと「目立つ人」を目標にしてしまう可能性があります。

目立つことが目的ならいいのですが、そうではないのに「すごい人」になろうとして目立つことをしようとしている人がいるような気がします。

子どもの憧れの職業にYouTuberがランクインしているようですが、YouTubeで発信することは手段であって目的ではありません。例えば、教育系YouTuberの本来の目的は学習支援であり、並外れた人になることではないと思います(経営戦略としては目立つことも重要ですが)。

「すごいね!」は褒め言葉か?

私自身も口にしていますが、「すごいね!」という発言をかなり曖昧な意味で使っている気がしてきました。

「すごいね!」では強い印象を感じたという意見しか明示できていません。

誰かの行為を褒めるのであれば、「すごい作品を作ったね」とか「すごく頑張ったね」というように、具体的に伝えたほうがいいのかもしれません。

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