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秋葉陽児について

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秋葉陽児について
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似て非なる、フリーとフリーランス

「愛こそもののプロフェッショナルなれ」 を高校時代に思い知った私は、サッカーに代わる愛情の向ける先を映像にしようと、大学時代に決めていた。 新卒で就職した先は、とあるCM制作会社の企画演出部であった。 大抵の新卒は制作部、つまり撮影の進行管理、もっと言うと現場の弁当の注文などから始めるので、ディレクターを目指す者にとって企画演出部への配属は非常にラッキーなケースである。 それどころか私の名刺には早速、「ディレクター」という肩書きが付いてしまった。昨日まで大学生だった自

愛こそもののプロフェッショナルなれ。

私の育った家庭は、転勤族である。 なので、幼稚園からはじまり小中高と全ての学校が、別々の土地の記憶である。転校を何度経験しても、私は全くめげることがなかった。 むしろ転校生という部外者のポジションを逆転させて、いつの間にかクラスの中心的存在となることが楽しくもあった。 なぜ私が屈託なく転校生という立場を楽しめたのかといえば、 それは私の中の同調圧力というものを感じる神経が、おそろしく鈍いからであろう。 どんな場合においても、優先させるべきは、周りの意見ではなく、自分が好き

否応無しに出てしまう性質

子供の時の否応無しに出てしまう性質というのが、 その後の人生の基盤になると、この歳になって身に染みて思う。 私の子供時代を一言で総括するならば、それは「逆転ストーリー」の連続ということである。 エピソードとして真っ先に思い出すのが、毎年定例の「マラソン大会」である。 6年間を通して表彰されるほどの成績を残したのだが、 この話はいわゆる「スポーツが出来るでしょう」といった自慢話では決してない。 マラソンというのは、ペース配分などにしっかり配慮できる合理的な人が優位になる