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191001 退職と不惑ジャーニー

さて、昨日(9月末)をもって、チェンジ・エージェントでのお仕事を終えました。業務やセミナーなどでお世話になったみなさま、大変ありがとうございました。こんなところでのご挨拶で驚かせた方がいればすみません。

今後については、7月に書いたnoteから大きく変更はありません。東京を拠点に、先生たちと一緒に子どもの教育に関わり、学習する組織や学校、システム思考+共感(Compassion)といったアイデアやツールの導入に取り組みます。あとは分量としては少しだけ、ご縁をいただいた企業やNGO/NPOでのワークショップや有志の勉強会などをさせてもらう予定です。

人生いつもそうですが、見切り発車で手探りで道を見つけていく感じなので、どうぞ良いお話や関心ありそうな情報があればシェアしてやってください。よろしくお願いします。(こちらからの資料をお待たせしているみなさま、これから全力でがんばります)

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もう少し背景を書くので、お付き合いいただける方はどうぞ。

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もともとは、ピーター先生(ピーター・センゲさん)のいるアメリカへ戻りたいと思い、準備期間の2年間にお手伝いをさせてもらうという予定で、人生初の東京へやってきました。そんなのを受け容れてくれる小田さんはなんとも寛大な人です。数年の内に、ボストンを中心に進むMIT J-WELの教育分野の活動になるべく近くで関わりたいと思っていました。

しかし、こちらで小田さんはじめ、香苗さんやティーチャーズ・イニシアティブ関係各位を通じて多くの教員や教育関係者とのご縁をいただき、いろいろな人と話しているうち、日本にしばらくは留まって、教育分野でピーター先生のメッセージやこれまで学んできた(そして今も学んでいる)考え方、ツールや手法をシェアしていきたいと思うようになりました。

背景として、日本の教育は、今とてつもない変化の真っただ中にあり(これは世界中でそうなんだけど)、希望も絶望も混ぜこぜのまま不可逆的な変容を遂げようとしていると感じています。私がまるで知らなかった新しい取り組みがあり、新しい学校が創られて、文科省のみならず経産省までが教育(主にEdTechですが)に介入しているあたり、産業界でも学校制度の中でも教育のあり方が変わっていかなければという大枠での合意が存在しているようです。

一方で、革新的な学習指導要領の「対話的・主体的な深い学び」などふわっと文言に激務を極める現場は戸惑い、PBL(Project-based learning)、SEL(Social and Emotional Learning)、アクティブ・ラーニングなど、中身の善し悪しは別として「流行り言葉」感の拭えない言葉が一人歩きしていたりもします(ここで挙げたものは、それぞれ良いものだと思います。ただ、言葉が一人歩きする状況は厄介だと思っています)。

大学卒業以来、子どもの教育にはかかわらずにいた私ですが、ピーター先生が繰り返し話してくれる「今の世界でもっとも強力な機関は企業だけれど、もっとも重要なのは教育機関なんだ。なぜなら、学校というのは、社会が自身の未来を投資する場所だからね」という話に動かされ、教員のみなさんと会わせてもらって、これまた手探りで読書会やワークショップを開催し始めます。

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そうして立ち上がった『学習する学校』labの活動や、ピーター先生のMIT J-WELでの活動紹介などを通じて、先生たちと出会ってお話をして、教育を取り巻くさまざまな変化や葛藤を感じながら、自分が学んできたこと、ずっと与えられてきた特殊で恵まれた出会いと環境を、学校の先生たちや、その向こうにいる子どもたちのために役立てたいと思うようになりました。 社会がその未来を投資する場所が学校です。学校のあり方は変わるかもしれないけれど。教室は20年後、30年後の社会を映しています。そこに関わらずにいることは、自分たちの将来から目を背けているようなものだとさえ感じたわけです。(姪っ子が生まれたのも非常に大きかったです)

学習する組織の話やツールは、今の状況ととても相性が良いです。先生たちはもちろん、子どもたちこそ、システム思考を大人よりずっと速く身につけていくことはあちこちの事例が示す通りです。氷山モデルやループ図を使った関係性の理解や、推論のはしごを使ったリフレクション、何を創り出したいのか?と目的を問いかける習慣は、私自身もっと小さい頃に学びたかったものです。これらはすべて日々の生活の中で使えるものですし、その数百、数千の思考プロセスの積み重ねが、一人一人の人生にどれだけのインパクトをもたらすことでしょう。

今の世の中におけるFatalism(運命主義・あきらめ)をピーター先生は時折指摘します。気候危機も社会課題も、組織や学校の入り組んだ問題も、複雑すぎて私たちには何もできないし、きっと将来は良くならないけれど、それに対してできることはあまりない。そんな思い込みのことです。あきらめと絶望を繰り返すうちに、私たちはそんなことを意識することもなくなってしまう。教育の変化、変革というのは、私たちの諦めに対する挑戦だとも思うんです。今の小さな子たちが大人になる頃に、世界は今よりも良い場所になっているはずだと信じられるように、今、行動したいと思います。

私自身の自己マスタリーの実践の旅もあります。現実を直視する力、ありたい状態を明確にし続ける力を育み、そして、思いを実現していく学習を通じて、より良い未来の実現に貢献したいなあと思います。そろそろ四十路です。まだ惑いますが、人生の後半戦(?)を進みます。よろよろしながら。

それではー。

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