見出し画像

ペーパーカップとシステム思考のこと(Facebookより転載)

「スタバのカップがリユースされる仕組みを!※」という2月18日付のグリーンピースの署名活動に、ぼくは賛同しないし、署名することが良いことだと思わない件について共有する。
※ 訂正しました(2/19追記)

▼ はじめに

はじめに断っておくと、これを書いているのは、うちの相方が元スタバの人だからではない。この駄文を最後まで読んだうえで理解してもらえないなら、多分読解力や信条の問題だと思うので仕方ないと思う。(※2月21日修正しました)

また、グリーンピースを非難する意図もない。気候SWITCHという取り組みで関わらせてもらう当団体の人たちは、ぼくなんかよりずっと環境のことを真剣に考えている。相手の目に悪者と映ることを厭わずNOを言う役割は、世界にとってとても重要だと思う。

もうひとつ。ぼくは環境問題の専門家でもなければ、以下に紹介するケースに直接立ち合ったわけでもない。誤解があれば、できるかぎり訂正する。

▼ 目的

そのうえで、これを書いている理由は、今回の件ほど持続可能性の実現のために、システム思考が必要な理由を分かりやすく示してくれる事例もめずらしいと思うからだ。相互依存性を捉えるツールを持たないことが、どれだけ残念な現象を引き起こすのかを端的に表しているように思うからだ。

そして、これを読んでくれる誰にも、この本当に誰のプラスにもならない取り組みに、時間を割いてほしくないし、スタバの企業リソースが、これよりもっと本質的な取り組みに向けられてほしいと願うからだ。

▼ ざっくりこんな話を知っている

ぼくが師匠とする、MIT上級講師でシステム思考の世界的な第一人者ピーター・センゲが、スターバックスと仕事をしていたことを知ったのは2012年、ボストンのSoLで働き始めたころ。2008年だか2009年だかに始まったこの取り組みの目的は、店舗で使用されるすべてのカップをリサイクル可能にすることだった。

しかし、結論から言えば、スタバのみならず、行政やNGO、MITの研究者、競合フードチェーンまで多数のステークホルダーを巻き込んだ、この取り組みは失敗に終わったとぼくは理解している。

▼ こんなことがあったらしい

取り組みについては、英文だが、Fast Company誌に当時掲載された記事が詳しい。

2008年かそれより前に、創業者ハワード・シュルツが声を挙げたという。「使い捨てカップはやめだ!みんな、この問題をどうにかしてくれ!」。

*1. 2009年、ハワード・シュルツの号令のもと、スタバがすべてのカップを2012年までにリサイクルするためのサミットを開催。

スタバの顧客からもこんな声があった。「ネットでググれば、100%再生可能なカップが簡単に見つかるのに、どうしてあなたの会社はそんなことすらできないの?」。

当初、この課題はとてもシンプルなものに見えた。・・・そして、すぐに気づいたのは、問題が、当初見えていたよりもずっと複雑だということだった。

▼ カップを再生可能にするってどういうこと?

そもそも、Recyclable(再生可能)っていうのがどういうことだろう? 当初の論点は、もちろんカップの材料だった。しかし、再生可能な材料でカップを作ればよいのか? と考えたときに、すぐに明らかになったことがあった。

それは、「カップを再生可能なものにする!」というのは、スタバにとって、グリーンウォッシング(環境のことを考えたかのように消費者に誤解を与える活動)にすぎないということだ。

理由はシンプルだ(が、直感的ではない)。課題は、カップではなく、そのライフサイクル全体、そして、そこにかかわる多数のステークホルダーの連携だった。

このあたり、たとえばSustainable Brandsというカンファレンスで、当時の担当者とセンゲが取り組みを発表したり。
世界中のシステム思考家が集まるPegasus Conferenceでも2人が対談したり。
https://vimeo.com/120494009 (リンク先で再生できます)

たとえばスタバの場合、カップがどんな再生可能な原料でつくられていたとしても、その8割は、店舗で消費されるのではなく、お客による「お持ち帰り」だ。そして、道路やオフィスや家庭のごみ箱や、運が悪ければ路上や河川に捨てられる。その後、自治体や業者によって回収されて、その多くが、焼却場や埋め立て地でその製品としての寿命を終える。

再生可能なはずの材料でできた使用済みカップが(ちなみにスタバのカップの内側のプラは、分解可能なバイオプラらしい)、オフィスで回収されて、きちんと中身の漏れださないビニール袋に詰められて、埋め立て地に放り込まれる。あるいは、店舗で分別されたごみが、ショッピングモールのゴミ捨て場でぜんぶ一緒に回収されて、自治体の条例に基づき同じ収集車に乗って焼却場に向かう。

これが全世界の数万店舗で起きている(たとえば3万店舗 x 500個 x 月30日だと、1月あたり4億5000万個のカップだ)。ちいさなカフェで地元のお客さんにカップを返してもらうのとは、ワケが(数千万倍)違う。

そのカップをすべて再利用や再生しようとするならば、この一連のシステムにかかわる、さまざまなステークホルダーの協力が必要なことは明らかだった。

▼ すごく大きなコラボレーションが必要なのに・・・

にもかかわらず、カップの原料を持続可能なものにすれば、すべてうまくいってしまう、あるいは何かしら良いことをしたことになる気がしてしまう。これを、ピーター・センゲは、「しあわせのカップ幻想(Happy Cup Fallacy)」と呼ぶ。

“Everybody gets so excited holding a cup that says biodegradable or compostable,... when the fact is, you’re going to dump it in a trash can, and then it goes in a landfill sealed in an airtight bag.”
「生分解性」や「再生可能」と書かれたカップを手にして、みんな大喜びするのです。実際は、あなたがゴミ箱に捨てたカップが、袋に密封されて埋め立て地へ行くにもかかわらず。(FastCompanyの記事より)

これこそ、環境に良いことをやっているイメージを築きながら、実際にはほとんど効果をもたらさない、グリーン・ウォッシングではないか?

▼ スタバの取り組みの顛末

話を元に戻して、2010年代の実際の取り組みがどうなったかというと、スターバックスは、この問題が自社では解決できないことを理解し、ステークホルダーを巻き込んだ。サプライヤーにはじまり、アカデミアからMITの研究者、自治体や環境NGO(中には、サステナブル・フード・ラボもいたらしい)、さらには、マクドナルドやダンキン・ドーナツなどの競合他社まで。この「The Cup Summit」に関してはMITからの論文が詳しい。(*4)

そして、たぶん2014年頃だったと思う。ぼくは、スタバがカップの完全リサイクルをあきらめた、と記事で読んだ。今、ググってみてもそれらしい記事が見当たらないので、だれか見つけたら教えてほしい。

ちなみに2019年のこの記事も詳しい(トップ画像お借りしました)

▼ ここからぼくの意見

そのときに思ったことは、こんな感じだ。ぼくらがたかだかカップひとつだと思うものを取ってみても、ぼくらの生活を成り立たせている複雑な相互依存性(システム)の課題であり、多数のステークホルダーの協働なくして解決できないものだということだ。

そして、このシンプルな事実から、ぼくらの目をくらませているものこそが、ぼくらの抱えている、より根深い問題ではないか?

→ そして、今回のキャンペーンがカップのリユースの仕組みの導入を求めるものだったとしても、システム構造のレベルでは同じだ。「どこかでうまく行っている事例がある」ことは、同じことを別の場所で、単独のプレーヤーによって実現できることを意味しない。毎日あちこちに運ばれていく膨大な数のカップが、どうすれば回収されるだろう。考えるべきは、システムを構成するのは誰かだ。(2/19追記)

スタバのロイヤルカスタマーたちがするように、ぼくらがタンブラーを持ち歩くことほど、シンプルな解決策もない。その一方で、「二度と紙カップもプラカップも使わない」ことがどれほど困難かは、それぞれ考えてみれば容易に分かるだろう。

消費者として声を挙げて、企業努力を求めることを否定する意図はない。しかし、誰か(往々にして権力を持つ政治家や大企業)を責めて留飲を下げるだけでなく、自分たちや子どもたちが暮らす世界に、本当に望む現実を生み出そうと思うのならば、スタートすべきところに注意したい。きちんと事実を事実として捉えて、他者と対話して、一緒に考え、自分自身の責任のもとに能動的なアクションを起こしていくことだ。

ワークショップでいつも話すのは、ぼくにとってのシステム思考は、対話と協働の力を育むためのツールであり、相互依存的につながり合った世界を、他者と共にありのままに捉えるためのレンズだということ。人生の残り時間に、どれだけの人に伝えられるのか、どれだけの人と協力してもらえるのかは分からないが、やるべきことをやるのに、躊躇はなくなってきた40歳。

▼ 最後に提案というかなんというか

グリーンピースの署名内容が、〇〇におけるコーヒーカップ(など)の完全リサイクル実現のために、マルチ・ステークホルダー・ダイアログを実施して、なるべくシステム全体を捉えながら、共同アクションをさぐろう、くらいになったら、全力で署名するし、募金もするし、協力する方法を一生懸命考えます。

・・・勢いで書いたので、お気づきの点は(できればやさしく)お知らせください。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

追記。

そう考えたら、この取り組みにどれだけの努力が隠されているか想像できる気もする。

これも。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?