昨夜

蛍を見に行った

一昨日書いた
ハイドンの「夕」パターンだった

蛍が儚いなんて
誰が決めた

私が勝手に思ってただけだ

人は常に
自分が見たいように ものを見ている

ゆらゆら 飛ぶ 蛍に

亡くなった人の魂が帰ってくるとか

輪廻転生とか

象徴を重ねて

過去の様々な和歌だったり文学作品だったりに
影響され、イメージを深く持ち過ぎている

ストーリーを深く導入し過ぎている

本当は

蛍には

切ない 儚い なんか 一つもなくて

ただ 夏の夜を
綺麗な水辺で
楽しんでいる

美しさを味わって
生 を 歌っている

これまで自分が抱いていた
長年こびりついていた
イメージ、概念を
外していく

手放していく

創ることもできるし

離すこともできる

それくらい
完全

何もかも

空(無)であり

有である

まるで蛍は
その境の虚実性を飛んで
私に教えてくれているやうだった


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