書き切った「キナリ杯」と、私に足りないモノのこと。

中学生の時に好きだった人のことを書いたnoteが、作家・岸田奈美さん主催の「キナリ杯」特別リスペクト賞10「令和の大恋愛賞」に選ばれました。

選んでくださった岸田さん、この賞が誕生するきっかけを作ってくださったトイアンナさん、そして読んでくださった皆様、本当に本当にありがとうございました。

受賞発表後、noteとTwitterとメールとLINEの通知が鳴り止まなくて、一旦スマホを床に置きました。笑


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政府の緊急経済対策で支給されることとなった10万円で、コンテストを開いた岸田さん。あらゆる方面からサポートが集まり、賞金総額が100万円へ跳ね上がるまさかの展開。岸田さんのお人柄や企画のおもしろさがそうさせたのだと思います。サポートしてくださった方をリスペクトして、新たに賞も増設。計53名が選ばれる、いまだかつてない、壮大なスケールのコンテストとなりました。

この一ヶ月、noteもTwitterもキナリ杯の話題でいっぱいでした。どんな話を応募しようかとか、執筆状況はどうだとか、この話がおもしろいとか、すごい作品がありすぎて応募する勇気が出ない……と言ったものまで! 


かくいう私は、「feedback sauna」さんでの企画や、ライターの宿木さんにお声がけいただいて参加することになった企画の小説執筆に夢中になっていたので、「キナリ杯の作品にまで手が回らないかも……」と考えていました。

そもそも、これまで私のnoteを読んできてくださった方ならわかるように、私は今まで一度も「おもしろい」記事を書いたことがありません。

至って真面目な、というか、真面目すぎてユーモアのかけらのない文章ばかり書いてきました。「おもしろい」は専門外、と、キナリ杯を書かない理由を探していたところがあった気さえします。

しかし、締め切りまであと10日、仕事や執筆がスムーズに進み、ポカっと時間が生まれます。「間に合うかもしれない」とパソコンを立ち上げ、一週間をかけて書き上げたのが、受賞作の「なんだ、せっかく夏休みも会えると思ってたのに」でした。


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Y君との思い出は「いつか書きたいな」と、ずっと温めていた話でした。

彼とのエピソードは、私の数少ない(人に話せる)恋バナの鉄板。昨年の夏、大学の友人たちと伊豆に旅行に行った際も、UNOに負けた罰ゲームで、Y君の話をしました。

その時、あんなに胸をドキドキさせた彼との記憶が、薄ぼんやりしていることに気づいたのです。そりゃ10年以上も前のことだから、忘れても致し方ないのですが。だけど、これは「忘れていはいけない大切な」思い出なのです。こいつぁいけねぇ、とnoteに書いておくことに決めたのでした。

でも、できればたくさんの人に読んでもらいたい。きっといい話になるから、タイミングが合えば何かのコンテストに出したい。500字ほどのメモのような文章を下書きに残し、もうすぐ一年が経とうとした頃ーー……時が満ちたのです。


執筆は、想像以上の難産となりました。締め切りギリギリに出すのはヒヤヒヤするし、できるだけ早めに出したかったのに(締め切りまで10日切ってる段階で十分ギリギリですが)。

ここには詳しく書けないのですが、仕事のことや将来のこと、書き手としての在り方について思い悩むことがあり、散漫とした状態だったのだと思います。なかなか、執筆に集中できなかった。

それに、彼とのエピソードを際立たせるためには、忘却の彼方に追いやった中学校時代の記憶を引っ張ってこなくてはなりません。心の穴を抉られる思いでした。


でも、記事を公開した時には「書き切った」感がありました。このnoteに、彼との思い出を全部全部詰め込んだ。これを読めば、あの日のことがありありと思い出せるようにしたかったのです。

作品としては、カットすべき部分が多々あったようにも思います。でも、それでは意味がない。私のためにならない。もう、完全に自己満足です。だから、これはコンテストの作品としては不向きだったかも。そんなことを思いながら、「書き切った」余韻に浸っていました。


もうひとつ、執筆中に意識したこと。それは「読者を笑わせようとしない」ことでした。

キナリ杯の応募作品を読むと、やはりユーモアに溢れたものが多かったように思います。文体も、岸田さんに寄せているものが多かった。普段しっとりした文章を書いている人まで見事なおもしろ系の文章を書いていたので、幅の広さにひれ伏しました。

じゃあ私も「ユーモア」を入れる? と、思ったけど、先ほど書いたように、私は「おもしろ」の専門外。不得意なことをするより、正攻法で挑戦した方がいいだろうと舵を切りました。


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6月3日、14時。

いよいよキナリ杯の受賞発表が始まります。4000件を超える応募の中から選ばれるなんて有り得ないと思いつつ、もしかしたらという希望も捨てきれない。仕事をしながらソワソワとその時を待っていました。

しかし、ふと気づきます。部門を分けて1時間ごとに受賞作が発表されるスケジュール。これが、今から7時間続くって……。呼ばれるのを今か今かと待っているの、わりと地獄じゃない?? だって、呼ばれないかもしれないのに?? 無理!! そんなの精神がもたない!!!!


と、思った時でした。
「岸田 奈美さんがあなたの記事を話題にしています。」と、一通のメールが届いたのは。

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「ぃよっし!!!!!!」と、自宅のリビングで拳を強く握ってしまいました。はやる心を押さえながらスマホを開き、岸田さんのnoteを確認。特別リスペクト賞の発表の時間だけれど、一体どれに選んでくださったんだろう?

私の?!?!
noteが?!?!
令和の?!?!
大恋愛賞!!!!!!

驚きと興奮とで、岸田さんの講評が頭に入ってこなくて、何度も何度も繰り返しコメントを読みました。うれしくて、うれしくて。それが私に、私の書いた文章に寄せられているものだとは、全然実感がわきませんでした。


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最初に受賞の報告をしたのは、私が運営する公式LINE(登録すると、私の最新情報とnote更新通知が届きます笑)でした。興奮しすぎてあんまりちゃんとした文章になっていなかったと思います。すみません。読者さんから「おめでとう!!」と、たくさんメッセージが返ってきたのも、めちゃめちゃうれしかったです。

スペースの都合上、いただいたメッセージを全てご紹介できないのですが、一つだけ、一部抜粋して紹介させてください。

「岸田さんの文章をふだん愛読していることもあり、なつみさんが受賞できたらいいなぁなんて陰ながら思いつつ、受賞結果をリアルタイムで拝見してました。本当によかったです!(中略)阿紀さんが当時抱いた感情や目にした景色を大切にしながら、すごく楽しんで書かれているのが伝わってきました。(中略)阿紀さんの文章を通じて感じたことが、同世代の岸田さんとも共有できたんじゃないかと、一人で勝手に嬉しく思っています」

・・・・・・涙。

6月3日は、正直、全く仕事に手がつきませんでした。公式LINEやTwitter、noteのコメントなどを一つずつ読み、味わい、返信する。本当に至福の時間でした。お祝いのお言葉をくださった皆様、本当にありがとうございました。


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キナリ杯のフィナーレのLIVE配信も視聴しました。岸田さんの口から初めて語られる舞台裏に、目頭が熱くなりました。締め切り直前ラスト1日で1000件以上の応募があったはず。それを発表までの3日間で全部読むって、狂気の沙汰ですよ。岸田さん、お疲れ様でした。ありがとうございました。

LIVE配信は、受賞された方も多く聞かれていたようで、自然と「〇〇賞の受賞者です」と報告する流れができていました。100人以上も視聴者がいる前で「令和の大恋愛賞の受賞者です」というのは本当に本当に緊張して心臓が潰れるかと思いましたが、流れにのって言ってみました。

岸田さんは私のコメントを気さくにキャッチしてくださり、更なる講評をくださいました。その中でいちばん驚いたのは、私の小説を読んでくださっていたこと。

確かに、岸田さん、講評の中で「小説づくりもめちゃくちゃ上手いんだろうな、と勝手に想像しました。」と書いてくださっていましたけども。読む?? どんどこキナリ杯の応募作品が増えていくなかで、私の小説、読むか?? フツー?? 一万文字あるんだけど?? こんな人いる??

私の作品を賞にピックアップするにあたり、応募作だけでなく、私自身と向き合ってくださっている気がして、本当にうれしくて、感動で震えました。

岸田さんは愛と情熱とド根性の人です。ますます好きになりました。


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受賞発表当日も、その翌日も、noteやTwitterはキナリ杯で大盛り上がりでした。そんな中、岸田さんがnoteを更新。キナリ杯を開催した理由が綴られていました。


有料記事なので詳細は控えますが、そこには「書き手」として生きていくにあたって、ともて大切なことが書いてありました。

文章を書いていると、「誰かのために書きなさい」と言われることがあります。でも、私は、誰かのために文章を書いたことなんて一度もない。あの時どんなことがあってどう感じていたか、忘れたくないから書いているのです。誰かのために書いた文章は、吐き気がするほどつまらなくて、私らしくなくて、とてもじゃないけど世には出せない。

だから、文意はちょっと違うかもしれないけれど、岸田さんが「自分のために書く」ことを肯定してくれて、安堵して、思わず泣いてしまいました。


私に足りないものについても、具体的にわかりました。「自尊心」です。「自尊心」の意味を思わずググってしまうくらいには、自尊心がありません。ジソンシン。なにそれ。カタカナで書くとゲシュタルトが崩壊しそう。

長い間、人に文章を褒められたことがありませんでした。物語を書き始めたのは小学2年生の頃なので、もう20年以上生産性のない文章を書いていることになります。でも、全然、文章で褒められた経験が、ない。

だから、誰かが「小学生の頃、作文で賞を取ったことがあります」とか「学校の先生に褒められたことがあって」とか言っているのを見ると、表情がなくなる。と、同時に、「原体験のない私が、文章を書いていいのだろうか?」「原体験のない私には、文章を書くのは向いていないんじゃないだろうか?」と疑念を抱いてしまう。

次第に、私は自分の文章が嫌いになりました。


noteを始めて、書いたものを褒められるようになってきたけれど、どうしても、素直にそれを受け取れない。心の底で自分のことを認めていないから。自信がないから。自分のことを疑っているから。私には、最初から自尊心のカケラがない。文章のことになると途端に弱くなってしまうのは、このせいです。

いつも褒めてくれる読者さん、ごめんね。せっかくたくさん褒めてくれてるのに、暖簾に腕押しみたいな感じがしているのではないですか。みんなの褒め言葉を心から受け取れるように、私は自分の課題と向き合っていきます。


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得るものが多すぎたので、岸田さんのnoteをTwitterでシェアしたら、まさかのご本人からこんなリプライが届き、度肝を抜かれました。

バ レ て る
バレてる!!

岸田さんからカジュアルに返信をいただけると思わずびっくりし、書いてある内容にびっくりし、二度のびっくりに脳内が大混乱する私。

え、待って、私、応募作にそんなこと書きましたっけ??
あれ?? なんで?? 岸田さん??
応募作を読んだだけでここまで筆者の背景を汲み取れる岸田さんヤバない??
国語の試験だったら満点超えて飛び級??

「書くしか手段がない」と思っているのは事実だけど、これは上手い人が言うセリフだから、絶対に言っちゃいけないと思っていて笑
極力内緒にしていたのに、なんで知ってるの???


す ご な い?
すごない???

実は、Y君とのエピソードを書くにあたり、私が置かれていた状況については、さらっと書いておこう程度にしか思わなかったんですよ。あくまで爽やかな話にしたかったから、あんまり重たいことは書かないようにと。

それなのに、「この環境から抜け出したい、その一心だった。」から、私の背景をしっかりキャッチされている。本当に驚きました。

私としては、学年トップだったことは特別重要ではなかったんです。でも、書き手である「私」を知るために、その一文を見逃さなかった。

無駄な文章なんてないんだと、身をもって知りました。文章を書くうえでも「この一文は必要か」しっかり考える必要があるし、読むうえでも「この一文にはどんな意味があるんだろう」と考えられてこそ、優れた読み手になれる。

書き手としての岸田さんに惚れているのは言うまでもないですが、読み手としての姿勢にも心が射貫かれてしまいました。


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長くなりましたが、キナリ杯にまつわるエトセトラは、これで全て書き切りました。

仕事が切羽詰まっていて、まだ読めていない作品がたくさんあります。早く読みたくて、ウズウズしている。これから少しずつ読んでいこうと思います。

キナリ杯という素敵なフェスを開催してくださり、一人一人の書き手と真摯に向き合ってくださった岸田さん、本当にありがとうございました。

いつも応援してくれる読者の皆さん、今日まで私が書き続けられたのは、読者さんの支えがあったからです。いつもありがとう。

そして、キナリ杯をきっかけに私を知ってくださった皆さん、これからどうそよろしくお願いします。



*受賞作はこちらです。

*↑は「読んだよ!」って方は、下の記事も好きかもしれません。2019年3月に書いた記事ですが、↑の後日譚になります。

*岸田さんが読んで「おもしろい」と仰ってくださった小説はこちら。


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