なぜ少女たちは髪を切るか?【短編小説】
両親が経営している美容室で、真梨恵と一緒にショートカットにしたのは、中学生になってすぐだった。
「髪を短くするのがルール」
バレーボール部に入った私たちが受けた、先輩からの洗礼。
確かに、先輩の髪はみんなワカメちゃんのように短かった。
怖そうな先輩に目をつけられるのも嫌だし、円滑に青春を謳歌したいから、私も真梨恵も黙って髪を切った。
お互い、肩甲骨が隠れるほどまで長かった髪。
小さい頃、お互いの髪でよく三つ編みの練習をしたっけ。
真梨恵の髪はストレートで、痛みがなく、太陽の下に出るとツヤツヤして見えた。
一方の私は、美容室の娘なのに髪がきれいではなかった。
色素が薄いのか、若干茶色っぽいし、くせっ毛で、雨の日はすぐうねる。
ショートにすると、よくイラストで描かれる天使のような感じになって恥ずかしかった。
真梨恵は「響子の髪、ふわふわしてて可愛い〜」なんて言ってくれるけど、
丸い頭に沿って真っ直ぐ流れる、光沢のある彼女の髪がうらやましかった。
「部活を引退したら、また一緒に髪を伸ばそう。
それまで、我慢だからね」
推薦をもらって、スポーツに力を入れている高校に進学した私たちの髪は、相変わらず短かった。
「髪を短くしろ」なんて言われたことはなかったけど、でも、やっぱり上級生の髪はワカメちゃんのように短かった。
「まだ髪伸ばせないか~。まあ、楽だし、いっか!」
と、真梨恵は笑った。
でも、高校1年生の夏、彼女は髪を伸ばし始めた。
膝の怪我で、部活を辞めたからだった。
「今日の部活はここまで! 1年生は片付けしてから帰るように!」
「ありがとうございました!」
コーチからの講評が終わり、一礼する。
顔を上げた瞬間、観客席が視界に入る。
だだっ広い、誰もいない観客席。
その真ん中に、女の子が座っていた。
胸元まで届く茶色の髪、毛先をゆるく巻いている。
目が合うと、私に小さく手を振ってくれた。
真梨恵。
慌てて制服に着替えて部室を飛び出る。
オレンジ色と青が交ざった空、ひんやりした空気が火照った身体に気持ち良い。
部室棟の2階から階下を見下ろすと、
花壇の前のベンチに腰をかけ、スマホをいじっている真梨恵がいた。
私の視線を感じたのか、顔を上げる。
「響子、おつかれー!」
階段をかけおりて、彼女の元へ急ぐ。
真梨恵も立ち上がって、階段の下まで歩いてきてくれていた。
「髪、どうしたの?」
彼女の髪を思わず手にとって尋ねる。
今朝は茶色じゃなかったし、髪も真っ直ぐだった。
授業が終わってから、美容院にでも行ったのだろうか?
「ユースケ先輩がさ、
“藤堂あかり”みたいな女の子が好きって言うから、寄せてみたんだよね~。
どう? 似合う?」
その場でくるっと一回転する真梨恵。
私の手から、するりと髪が抜けていく。
「……似合うよ」
「ありがとー!」
目・鼻・口が美しく配置された小さい顔。
うっすらメイクが施されていた。
……部活を辞めてから、1年とちょっと。
どんどんキレイになるなあ、真梨恵。
「授業終わってから、“藤堂あかり”が通ってるって噂の美容室に行ったの!
響子に見せたかったから、戻ってきちゃった!」
「ありがと。ユースケ先輩、見られなくて残念だね」
「明日デートだからいーの!
ごめんね、明日も練習見られなくて」
「今日も途中から来たんでしょ~。ちゃんと見てたの?」
「見てたよ〜!
コーチ、相変わらず厳しいね~」
いつものようにはしゃぎながら、校門に向かって歩き始めた。
高2で「スポーツ科」から「普通科」にクラスを替えた真梨恵は、“女子高生である自分”を楽しむようになった。
クラスメイトと放課後や土日に出かけるようになったし、髪を伸ばしてヘアアレンジをするようになった。時々、メイクやネイルをしていることもある。
放課後土日はいつも部活だったし、おしゃれをすることよりも、バレーのことばっかり考えていたと思うから、真梨恵の生活は180°変わったはずだ。
彼女の会話に、ユースケ先輩の名前が出てきたのは、比較的最近のことだったと思う。
クラスメイトの紹介で知り合った他校の先輩で、私は会ったことがない。
一度だけ写真を見せてもらったことがある。
ミディアム程の髪をダークブラウンに染め、白い肌に笑顔を浮かべているユースケ先輩。
スポーツ科の男の子たちは坊主か短髪で、肌もこんがり焼けていたから、
少女マンガに出てきそうな高校生が実在していることに驚いた。
告白したのかされたのかはわからないし、付き合っているのかいないのかもよく知らない。
(最近は告白しなくてもお付き合いが始まっているケースもあるみたいだし?)
でも、真梨恵はユースケ先輩が好きなんだと思う。
じゃなかったら、先輩の好みの女優と同じヘアスタイルになんか、しない。
「真梨恵、今どきの女子高生みたいになったよなー」
窓際のいちばん後ろの席。
日直日誌を書く私の手が止まった。
前の席の宏太が、野球部のユニフォームに着替えながら呟いた。
「……あのさあ、教室で着替えるのやめてくんない?
っていうかあんたも日誌書くの手伝いなさいよ」
「わりぃわりぃ」
ちらりと窓の向こうを見ると、野球部とサッカー部が校庭を半分にわけあって、それぞれ練習を始めていた。
……早く、部活行きたいんだろうなあ。
靴下やらズボンやらを履き終えると、後ろ向きにどかっと椅子にまたがって座った。
「続き、俺が書くよ」
と言うので、シャープペンを渡して、日誌を彼の方に向けた。
宏太は、私と真梨恵の幼馴染だ。
小学生からずっと一緒。
まさか、高校まで彼と一緒になるとは思わなかったけど。
彼が野球を始めたのは小学何年生の頃だっただろう。
あの頃はまだ、私の方が背が高かった。
なのに、いつ追い抜かされたんだ。
体つきも、がっしりしてきたように思う。
「……宏太こそ、逞しくなったんじゃない?」
「だろ!? 日々の筋トレの成果だな!」
「………私も、真梨恵みたいにした方が良いと思う?」
日誌を書く彼の手が止まった。
驚いて顔をあげて、正面からまじまじと私の顔を見てくる。
黒目が大きい宏太の瞳。
一回りも二回りも大きくなっても、ここは変わらないんだなあ。
「……無理すんなよ」
そう言って、彼は視線を日誌に戻した。
「…………だよねー」
担任へ日誌を渡して、教室へ戻る。
宏太とのじゃんけんに負けて、日誌を届けることになってしまった。
すっかり部活に行くのが遅くなってしまった。
もういっそサボっちゃいたいなーなんて思いながら、鞄を取りに教室へ戻る。
「スポーツ科の女子ってさ、まじで女捨ててるよね」
通りかかった教室からそんな声が聞こえてきて、ドキっとしてしまった。
2年7組ーー普通科、真梨恵のクラスだ。
教室の後ろ、ドアの近くで、女子3人、男子2人が床に座りこんでいた。
絶対にいい話じゃないんだから、立ち聞きなんてよせばいいのに、その場でぴたりと足が止まってしまう。
お菓子をつまんだり、スマホをいじりながら会話を続ける彼らは、私が見ていることに気が付いていないようだった。
「髪、短くするの強制なのかな?
メイクもネイルもできないとか私だったら死ぬ」
「若くてきれいでいちばんいい時なのにねー、人生いつ楽しむんだろ」
「真梨恵もさあ、うちのクラス来た時、まじで痛かったよね!」
「確かに! まあ、元がいいから化けたよね〜」
「ユースケ先輩紹介しなかったら、俺と付き合ってたかもな〜」
「それはないわ」
「真梨恵、いまだにスポーツ科の女子たちと絡んでるじゃん?
一緒にいたら自分もダサいって思われるの、わからないのかねー」
「……うん、そうだよねー……」
心の中に留めておこうと思った声が、抑えきれなくて、口からこぼれ落ちた。
気力なく、ダダ漏れる声は恐ろしく小さい。
当然、彼らには届いていない。
ダサい私の声が、彼らに届くはずはないのだけど。
「響子!! さっきからどこに向かって投げとんじゃあ!!!」
コーチの怒号に、コートに入っていた全員の身体がびくつく。
私の投げたトスは、アタッカーに届くことなく、弧を描いてコートの上に落っこちた。
静まり返るコート。
ボールがトン、トン、と跳ねる音だけが響く。
「す、すみません!」
その場で、コーチの方へ向かって深々と頭を下げた。
「ちゃんとアタッカーのいる位置確認しなさい!
攻撃の指示出しも変! 相手チームのポジション確認して!
セッターのアンタがちゃんとしないと、チームメイトが困るんだよ!」
コーチのお叱りが、頭の上に振ってくる。
ごくっと唾を飲んだ。
「……すみません」
「……ちょっと休憩!
10分後にこの試合の続きだからねー!
響子、顔洗って頭冷やしてきなさい!!」
顔を上げて、ほっと一息つく。
部員たちの緊張の糸がゆるんだのも伝わってきた。
チームメイトがばらばらとコートの外に出て行く。
「響子、大丈夫? ちょっとトス高いかも」
「ごめん…、戻ったら練習させてもらってもいい?」
「うん、わかった」
じゃあまたあとで、とコートを離れる。
コーチに言われた通り、顔を洗おうと思って、体育館を出た。
ほんっっっっっとに、いやだ。
お手洗いに向かう、私の足音がいつもよりどすどすとうるさい。
真梨恵のクラスメイトの言葉。
頭の中でリフレインして止まらない。
真梨恵のことばっかり考えていたから、無意識に彼女の打ちやすいトスばかり投げてしまっていた。
もう、彼女が私のトスを打つことはないのに。
トイレの手洗い場でばしゃばしゃと顔を洗う。
勢いよく顔をあげると、びしょびしょに濡れた私の顔が広い鏡に映し出された。
そばかすのある顔、たれ目で、鼻が低い。
色素の抜けた、くせのある短い髪。
17歳。
この歳になっても、メイクをしたことがない。
髪が長かった頃の自分なんて、もうどんな風だったか思い出せないよ。
本当、いやになる。
「響子!」
散々だった部活を終え、コーチに呼び出されてこってり絞られた後。
だらだら制服に着替え、戸締まりをして部室を出ると、階段の下に真梨恵がいた。
「え、どうしたの?
今日、ユースケ先輩とデートじゃなかったっけ?」
階段を降りながら彼女に問いかける。
「今日、バイトだったみたい。
どうしたの? ミスばっかり、珍しい」
彼女の隣に並んで、校門へと歩き出す。
見られてたか…なんで今日に限って…と、心の中で悪態をつかずにはいられなかった。
「……ちょっと、調子悪くて」
「…………ほんとに?」
じっくりと顔を見られて、問いかけられる。
真梨恵に気付かれないように言葉を選んだつもりだったけど、何年も前から顔を合わせている彼女にはわかるらしい。
艶やかな茶色い髪。
秋を意識したメイクとネイル。
部活終わりの、ぼさぼさの髪。
汗でベタついた身体が気持ち悪い。
同じ制服を着ているのに、なんなんだこの違いは。
私は今、真梨恵に会いたくなかった。
足が止まる。
真梨恵が数歩先で私の方を振り返った。
「……ごめん、今日は先に帰って。
ありがとね、練習見に来てくれて」
「忘れ物? 待ってるよ」
いろいろ言葉を選んで絞り出したのに、きょとんとした顔で聞いてくる。
この問いかけに、どうしたら平常心で答えられるのか、もう全然わからなかった。
「真梨恵、もういいよ。
練習とか見に来てくれなくても。もうやめたんだし。
遊べば? 友達とか、クラスメートとか」
「ええ? 好きで見に来てるだけだよ。
部活辞めても私は――」
「そんなチャラついた格好で来るとか、嫌味?」
「――え?」
驚いて、真梨恵が目を大きくする。
何か、言ってはいけないことを口走ったんだと思う。
でも、もう、頭が、処理しきれない。
「真梨恵はもう関係ないじゃん!
髪染めて、髪巻いて、爪伸ばして、メイクして、そんな格好で観客席から見下ろされて、私が喜んでると思う?!
なにもわかってない、毎日部活見にきて、私に声かけて、それで応援してるつもり?
なんっっっにもわかってない!」
「え、響子」
「似合ってないよ、人に媚び売った髪の色、その髪型」
そこまで言って、ハッと我に返った。
整えられた真梨恵の眉と眉の間に、皺がよっている。
「―――響子だって、わかってないじゃん。
私が、どんな思いで部活やめたか知ってる?!
クラスメイトにダサいって言われたの知ってる?
だから頑張って、ヘアアレンジもメイクもネイルもできるようにしたの!
すぐにできるようにはならないから!
知らないじゃん、何も!」
真梨恵に言い返されて、口をつぐんでしまった。
小学生の頃から、おだやかで、明るくて、人との揉め事が苦手で。
滅多に声を荒げたことのない真梨恵のそんな声を、久しぶりに聞いた。
「響子は、私がおしゃれしたりするの嫌なんでしょ。
いつまでもダサくあってほしいんだよね。
響子だって、したいならすればいいじゃん。
髪伸ばして、髪染めて、メイクして、ネイルして。
自分にできないからって当たらないでよ!!」
「そんなことな」
「そもそも! ……そもそも、
髪を短くしなきゃいけないなんてルール、どこにもなかった。
可愛くしたり、きれいにしたりすることを、咎める権利なんてないんだよ、誰にも」
痛い部分を突かれたからか、返す言葉が見つからなかった。
黙って、ねずみ色のコンクリートに目を落とすしかない。
真梨恵は、「じゃあ先に帰るね」と、眉を下げて笑うと、小走りで学校を出て行った。
「響子ー、真梨恵の友達が呼んでるー」
昼休みももうすぐ終わる頃、教室の後ろの入口の方で、私を呼ぶ声がした。
単語帳から顔をあげる。
5時間目の英語の小テストのために、できる限りの単語を頭に詰め込んでいたところだった。
昨日、帰ってから勉強すれば良かったのだけど。
真梨恵とあんな風になって、何もやる気が起きなかったから。
私を呼んだのは、昨日スポーツ科のことをdisっていた女の子たちだった。
……まあまあ、女を捨ててるクラスになんのようでしょう。
と内心思うけど、平然を装って彼女たちの方へ駆け寄る。
二人とも髪が茶色い。
片方の子はポニーテールに結い上げていて、もう片方の子は、真梨恵がしていたみたいに毛先を内側に巻いていた。
人工的な長い睫、まぶたにはピンク色のアイシャドウが塗られている。
不自然な大きさの黒目がちょっと怖い。
これが流行りの“カワイイ”を詰め込んだ顔なのだろう。
「なに?」
「真梨恵、今日学校来てないんだけど、休み?
連絡したんだけど、既読にならなくて」
「明日、数Aの小テストだから、真梨恵にノート返してもらわないと困る」
……学校休んでる? 真梨恵が?
え? 私が昨日、言い過ぎたから??
嘘でしょ?? そんなことで??
でも、昨日別れた時から、真梨恵と一度も連絡を取っていない。
今日、朝練だったから通学路では一緒にならなかったけど、くだらないことで連絡したり、教科書を借りにきたり、昼休みにうちのクラスに遊びに来ることもあったから、1日のどこかでは、必ず真梨恵と顔を合わせていた。
「……ごめん、私も今日、真梨恵と連絡取ってないからわからない」
「まじかー、明日の小テスト詰んだー」
……小テストの心配って。
ノート返してない真梨恵もどうかとは思うけど…。
――クラスメイトにダサいって言われたの知ってる?
昨日の真梨恵の声が頭に響く。
知らなかったよ、そんなこと。
真梨恵は、いつも明るく振る舞ってくれるから。
膝の怪我だって、もう本当にだめだって時まで、教えてくれなかった。
レギュラーから外されるようになって、悔しくて、一人で部室で泣いていたのも知ってたけど、なんて声をかけていいかわからなかった。
部活を辞める時も、努めて明るかったよね。
だって真梨恵、いつも私に心配かけないようにしてくれるんだもん。
私がを心配したら、真梨恵の努力が無駄になるから。
私はそういう真梨恵に甘えて、知ろうとしなかったのかもしれない。
ああ、私はいつも自分のことばっかりだったな。
真梨恵のこと、どうして気遣ってあげられないんだろう。
「昨日、スポーツ科の女子の悪口言ってたでしょ?」
突然の私の指摘に、二人の顔があからさまに強ばった。
「いくら見た目を綺麗に着飾っても、
何かに一生懸命打ち込んでる人の悪口言ってたら、
汚いのと一緒なんじゃない?」
「はあ?!」
「明日の小テスト、頑張ってね」
声を荒げる彼女たちを遮る。
150センチ前半と思われる、小さな彼女たちを見下ろしながら、目で「帰れ」と言った。
丁度予鈴が鳴ったので、二人は私を睨んで、何も言わずに自分たちの教室の方へ戻って行った。
……スポーツ科の前でケンカしても、勝ち目ないもんねーと、彼女たちの背中に舌を出す。
ブラウスの胸ポケットにいれていたスマホを手に取った。
画面をなぞってロックを解除し、真梨恵とのトーク画面を開く。
会話は、昨日の昼休みで途切れていた。
「真梨恵、休んでるの?」
と、打ち込む。
クラスメイトに返事していないのに、私に返してくれるわけないか――……と、思ったら、ものの数秒で既読になって驚いた。
「来てる」
ぽこっと、真梨恵の言葉が吹き出しになってあらわれた。
来てる??
「どこ?」
私の言葉も吹き出しになる。
「部室」
ぽこっと現れる真梨恵の吹き出しと同時に、5限の始まりを告げる本鈴が鳴った。
部室って――……
私はスマホを強く握りしめながら、教室を飛び出した。
「響子! どこ行くんだよ」
慌てて教室に入っていく宏太とすれ違う。
「お腹痛いから、保健室!」
「えぇ?!お腹痛いっていうテンションじゃねぇだろー…」
「真梨恵!」
部室のドアを開けると、奥の方で真梨恵が縮こまっているのが見えた。
窓はあるけど、日当りの悪い部室。
電気をつけないと真っ暗だ。
「こんなとこで何やってんの……?」
ぱちっと電気をつけて、彼女に歩みよる。
彼女の周囲に茶色い糸のようなものが散乱しているのが見えた。
「何これ、髪の毛…??」
真梨恵の隣にしゃがみながら、床に落ちている茶色い糸の束を拾いあげようとする、と、
「響子ーーーー!!!」
ものすごい勢いで真梨恵が私にしがみついてきた。
「うわっ!」
勢いを身体で受け止められず、後ろに尻もちをついてしまう。
その時、真梨恵の髪が、短く切られていることに気が付いた。
よく見たら、足元にはハサミ。
テーピングなどを切る時に使うハサミが落っこちていた。
嘘でしょ、髪、切ったの??
ここで?!?!
どうして!?!?
「髪、どうしたの?!
ごめん、私が似合ってないって言ったから?!
そんなつもりじゃ――」
真梨恵の肩を掴んで、私から引き離す。
彼女は、大きな瞳を涙でいっぱいにしていた。
アイメイクが落ちて、目の周りがパンダになっている。
頬には涙の後。
小さな鼻も真っ赤っかだ。
「違う、響子のせいじゃない…」
かすれ声がかろうじて耳に届く。
もしかして、クラスの子に何かされたんじゃ――……
「私、先輩の彼女じゃなかった」
「…………はい??」
真梨恵の言う先輩は、ユースケ先輩のことだと思う。
でも、え?? 先輩??
いや、クラスの子に何かされたわけじゃないなら良かったけど、え??
彼女じゃなかった??
は?? 振られたってこと??
セオリーとは違う方向に進んでいく物語についていこうと、必死に頭が回転する。
「先輩、彼女がいたの。
今朝、電車の中で先輩に合ったんだけど、彼女さんと一緒だった。
先輩と同じ学校の人で、茶髪で、腰に届くくらい髪が長くて、ゆるくパーマかけてて、穏やかで…キレイな人だった。
先輩が「彼女だよー」って紹介してくれて、あれ??ってなって。
優しくしてもらって、二人で遊んでくれたりしたから、私、勝手に舞い上がって勘違いしたんだよ……
ほんとに恥ずかしいよね……」
私の頭に「?」マークが浮かんでいるのを察したのか、ところどころつっかえながら説明してくれた。
話ながらも、大粒の涙が流れている。
「それで、髪、切ったの?」
「うん、なんのために髪染めて、巻いてるのかわかんなくなって。
響子の言う通り、全然似合ってなかった……」
ぽつりぽつり話す真梨恵の髪は、無惨にもバラバラだった。
自分で切ったのだからしょうがないけど、右側と左側で長さが大きく違う。
向かって右の方が顎のラインほど。
左の方は、肩に少し触れるくらいの長さだ。
……馬鹿だなあ、真梨恵。
付き合ってるかどうかって、フツー勘違いする?
それで、振られたからって、自分で髪切らないでしょ、フツー。
せっかく伸ばして、パーマもかけたのに。
「真梨恵、とりあえずうちで髪、整えてもらおうか」
「予約とかしてないけど、いきなり行っていいの?」
「当然でしょ」
真梨恵の手を取って立ち上がる。
彼女の制服についていた髪が、はらはら舞い落ちた。
「……その前に、掃除してからにしよ…」
「うん……」
自宅へ着いたのは、丁度5限が終わる頃だった。
「あらー、真梨恵ちゃん、久しぶり!
ずいぶん派手にやったわねー」
学校を出る時に、お母さんに電話して話を通しておいた。
店のドアを開けるなり、意気揚々とお母さんが出迎えてくれる。
座って座って、と半ば強引に真梨恵をセットチェアに座らせた。
バレーをやっていた頃は、真梨恵もうちで髪を切っていたから、そこに座っている彼女を見たら、ひどく懐かしい気持ちになってしまった。
「これ、どんな風になる?
またワカメちゃんみたいになる??」
「短いところに揃えるけど、大丈夫よ、切り過ぎないようにするから」
母と真梨恵の会話を聞きながらそっと店を出て、裏口から自宅へ戻る。
バレー部のみんなでやっているグループトークに、「体調が悪いので早退します」とメッセージを送った。
「やっぱり、短い方がしっくりくるー!」
髪を切り終えた真梨恵は、元気よく私の部屋に入ってきた。
パーティー開けしたポテチを載せたローテーブルの前、私に向かい合うようにして腰を下ろす。
髪の色は茶色のまま。
顎のラインで揃えたショートボブ。
パーマがゆるく波打っている。
いつも、地域のおじさん・おばさんをカットしている店だから、今時の女子高生をおしゃれにカットできるか心配だったけど、さすがは真梨恵。
美少女はどんなヘアスタイルにしても可愛く見える。
「ごめんね、響子、部活サボらせちゃって」
「いいよ、昨日の今日だったから、ちょっとサボりたかったし。
体調悪いことにしてあるから」
「へー、やるじゃん!」
ぱくぱくとポテチを食べる。
すっかり泣き止んでいるから、笑ってしまった。
「もう先輩のことはいいの?」
「うん。おばちゃんに髪切ってもらったら、どうでもよくなっちゃった。
好きな人の好みより、自分に似合う髪型の方がいいよね」
真梨恵は、いつだって素直だ。
それなのに、私ばっかり卑屈になって。
真梨恵と一緒にいると、私は自分のことを嫌いになりそうになる。
「……ごめん、似合ってないとか言って。
今言ってももう遅いかもしれないけど、どんどん変わっていく真梨恵を見て、置いていかれるような気がしてた。
昨日の、嫉妬して、思わず言っただけだから」
正直に、真梨恵の目を見て答える。
ふふっと真梨恵が笑った。
「最初の方こそ、クラスのみんなに馴染むために頑張ってやってたけど、ヘアアレンジとかメイクとか、そういうことが自分でてきるようになったら、おしゃれをすることがすごく楽しくなったの。
クラスの子もさあ、「教えて」って言ったら、お節介ってくらい教えてくれるし。
みんな、可愛くなるために努力してるんだなって思ったら、愛しくなっちゃって。
たまにスポーツ科の悪口言われるとむかつくし、言い返すんだけどさ。
今までずっとバレーばっかりだったから、それを埋めるのにおしゃれは丁度良かったのかもしれない。
どんどん可愛くなる自分を見ることがうれしかったし。
ごめんね、響子。
内心、嫌がってるかも、とは思ってた。
私、ばかだから、上手にできたら響子に見せたくなっちゃって。
……チャラチャラしてる私が、部活見にくるの、みんな嫌がってた?」
昨日の私の言葉、気にしてたんだ。
申し訳ないことをしたなあ、と改めて心の中で反省する。
「全然。
みんな、真梨恵が来て喜んでた。
真梨恵の髪型もかわいいって言ってたよ。
引退したら、おしゃれ教えてもらおうって、よく部室で話してた。
大学デビューするんだよ、私たち」
「そうなの? じゃあ、これからも頑張って研究しないと」
真梨恵が、短くなった自分の毛先を指で掬い、愛おしそうに眺めた。
そして、真っ直ぐ、私を見つめる。
「あのさあ、響子。
“引退したら”じゃなくてもいいんだよ。
髪を短くするルールなんてない。
そんなの、強要する方が間違ってる」
確かに、その通りだと思う。
昨日、真梨恵から言われた時も、そう思った。
髪の一本一本、その毛先まで、それは全て私のものだ。
どんな髪型をするか、そこに他人が介入する余地はない。
どうしたいかは、全部私が決めていい。
でも、その上で私は――……
「そうだね。
でも、昨日、真梨恵に「やりたいならやればいいじゃん」って言われて考えたんだけど、別に、髪染めたり、巻いたりしたいわけじゃなかったんだよね。
ただ、真梨恵に置いていかれるのが嫌だっただけ。
ちょっと、寂しかっただけだから。
だからさ、引退するまでに、どんな髪型にしたいか考えとく。
それまでは、この短いふわっふわのくせ毛を味わうよ」
くるんくるんした毛先を触りながら、伝えた。
すると真梨恵は、うれしそうに笑って、頷いた。
「私も、特にしてみたい髪型とかなかったなあ。
引退したら伸ばしたいとは思ってたけど…。
研究しよー」
「そうしよそうしよ」
と、また二人でポテチに手を伸ばし始めると、床に置いていたスマホがぶぶっと震えた。
画面にメッセージ通知が映る。
横目でチラリと画面を覗く――……宏太だ。
「お腹、どう??」
……え、あの仮病信じてんの?
真梨恵といい、宏太といい、どうしてこうも、この人たちは純粋なんだろう。
返信しようと手を伸ばすと、またぶぶっとスマホが震えた。
「俺は、今のままの響子がいいと思う」
・・・。
一瞬、「何言ってるんだこいつ」と思ったけど、昨日の話の続きだとわかったら、面白くてくすっと笑ってしまった。
今日、一日中ぼんやりしていたし、宏太の話にもほぼほぼ生返事だったから、心配してくれたのかもしれない。
それならそうと、あの時、言ってくれたらよかったのに。
「なに?」
真梨恵が尋ねる。
「ううん、なんでもない。
ねえ、本屋さん行って、雑誌でも買いに行かない?
どんな髪型似合うか、シミュレーションしよ」
「おっ、いいねぇ!」
私と真梨恵は立ち上がった。
*最後までお読みくださってありがとうございました^^
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