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男が女装すると人生が変わる?

男が女の格好をする。
少し前の時代であれば、それは間違いなく“ふつうの人”の感覚ではなかったでしょう。

すぐさま変態扱いされるとまでは言わなくても、「僕はたまに女装します」などと口走ろうなら、少なくとも“男性社会”ではそれ以上の会話が続くことはありません。

世の中に女性の格好をしたい男性がいなかったわけではありませんし、いわゆる“週末女装”を楽しむ人もいましたが、あくまで隠れた趣味として秘めておくのが常識でした。

夜の商売や芸能関係などで“女装家”を名乗る人はいても、それらは特別な存在であり、ふつうのサラリーマンや公務員が公然と女装することはありえなかったでしょう。

でも、じわじわと時代が変わってきました。
そんな実感を持つ人も少なくないでしょう。

氷川きよしがメイクをして紅白に出場した意味

2019年の大晦日の紅白歌合戦。
ある意味、ネット上で話題彷彿とさせたのが、氷川きよしでした。

ここ数年、彼のライブや舞台でのメイクや衣装が様変わりしたことが注目されてきました。
それは“男性歌手”としての身だしなみや演出の範疇を超えたものだと世間に認識されたからだといえるでしょう。

ある曲を唄うために挑戦したアイメイクに彼自身がハマってしまい、そのままステージに立つことが快感になってしまったと、インタビューなどでも語っています。

メディアでは氷川自身の性的志向が関心事にされることもありますが、本質はそのような個人的な事柄にないことは明白です。

氷川ほどの業界の一人者が、紅白といった檜舞台で、従来の“男性歌手”“演歌歌手”という概念を突き崩そうとしたことに大きな意味があります。

“限界突破”をうたうステージのわりには当日のメイクはあくまで中性的な色彩にとどまった感がありますが、伝統的な“演歌歌手”であった彼が意識的に変化したことは、美川憲一や美輪明宏の時代とは別個の現象だといえるでしょう。

“女装=ふつうじゃない”時代の終焉

昔から、女装する人はいました。
プロやセミプロの“女装家”はもちろんですが、ファッションとして女物を着る若者は都内や大都市圏ではめずらしくありませんでした。

ただ、それは基本的にアウトローな存在でした。
勉強したくない、学校に行きたくないから、奇抜なファッションに身を包むというのが典型的なパターンでした。

芸術や美容といった業界に野心的に飛び込もうという若者もいましたが、あくまで少数派で、大多数はいわゆる“反体制”をモラトリアム的に謳歌するという構図にありました。

ただ、おそらくは平成のど真ん中あたりを機に、時代は確実に転回していきます。
勉強したくない、学校に行きたくない、どころか、偏差値の高い大学で、大企業や官僚を目指すエリート層の若者が、勉学に励みつつ“女装”する時代を迎えます。

東大や慶応の女装グランプリはあまりにも有名ですが、彼らのクオリティーが高いことは言うに及ばず、“女装”が勉学やその後のキャリアにも好影響を与えていることは想像に難くありません。

もはや、“女装=ふつうじゃない”という時代は、完全に終わったと言えるでしょう。

このnoteで私が書きたいこと

このnoteで私がこれから書いていきたいのは、以下のようなテーマです。

・なぜ日本ではジェンダーギャップが埋まらないか?
・なぜ男が女の格好をすると“変な人”扱いされるか?
・なぜ日本は男に生まれても、女に生まれても生きづらいか?
・女装男子は本当に女性に優しいか?
・異性装をめぐる歴史や法律
・ジェンダーフリーの時代の先は?

女装というと派手なファッションとか、何かアウトロー的な印象を持つ人もいると思いますが、ありのままの姿で真面目に時代に問いかけ、リアルな実践を通して赤裸々に綴っていきたいと思います。

きっと女装(異性装)が健全な人間の営みとして受け入れられる時代が近いと信じて。

学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。