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果てしない大人への路【大人と子どもの境界線】

今しゅうの書くンジャーズのしゅくだい。
大人についてみんなにきいてくる。

おっきな人は大人かな。
となりのおにいちゃんに大人ですかってきいたら、「ぼくは学生だよ」って言われました。
今年、成人になったけど、まだ学生だから大人じゃないんだって。

テレビでは成人して大人になるっていってたのに、大人じゃないんだ。
なんかへんなの。

じゃぁ、おにいちゃんはどうしたら大人になるの?ってきいたら、
大学をそつ業してしゅうしょくしたら、大人になるんじゃないかなっていってました。

しゅうしょくって働いて、お金をもらうことなんだって。

夜、パパがかえってきたから、しゅうしょくしてお金をもらったら大人になれるの?ってきいてみました。
そしたら、パパは新入社いんは、まだまだ子どもだって。がくせー気分がぬけないうちは大人とはいえないんだよ。といいました。

じゃぁ、パパは本とうの大人だね!っていったら、「そうだ!パパは本物の大人だ!すごいだろ!」ってパトレンジャーのポーズをとってれた!
かっこいい!!!

でもそれをきいていたママが「パパがちゃんとした大人なわけないでしょ」っていうんだ。まい日お仕事をしてるのにどうして大人じゃないんだろう?
パパはちょっとおこった顔でどういうい味だよってママにいっている。

そしたらママは

休みの日はおひるまでねていて起きてこない。
(うん、ボクがおこしてもぜんぜん起きてきてくれない)

ぬいだものはぬぎっぱなし
(そういえばパパのくさいくつ下がソファーの上にあった)

つかったものをすぐかたづけない
(ボクがおもちゃをかたづけられないのといっしょかな?)

会社のかえりにたのんだ買いものをわすれてかえってくる。
(ボクはちゃんとお買いものできるよ!)

どんどんしゃべりつづけるママ。
パパは「わかった!もういい!!」ってパパのへやにこもちゃった。

「ほら、ぶがわるくなるとそうやって、にげるところも大人とはいえないわよね」って。

ママにこっそっとパパは子どもだったの?ってきいてみたら、わらいながら「子どもじゃないけど、大人というにはちょっとねー」
「体だけ大人で、せーしんは子ども」だって。
コナンのぎゃくみたいなかんじかな?

「ちゃんとした大人はじぶんのげんどーにせきにんをもてる人なのよ」って。じゃぁ、ママはちゃんとした大人なの?ってきいたら、ちょっとこまった顔をして「どうかなぁ」といった。
「でも、ボクの前ではちゃんとした大人でいたいとおもっているわ」ってぎゅーーってしてくれた。

みんなにきいたけど、ボクには大人についてよくわからなかった。
となりのおにいちゃんもパパもママも大人だけど大人じゃなくて大人になりたいっておもっているみたいだった。



ということで【書くンジャーズ】水曜担当のAKIです。

今週のテーマはnoteお題企画「#大人になったものだ」と連動して【大人と子どもの境界線】でした。
「大人」というものは概念なので、顕在している子どもとの間に境界線を引くことってできないと思うんですよね。

「大人」は各自が思う「大人(ならこうする/あるべきだろう)」とういう努力目標の総称です。
その目標にたどり着いたと思っても、また遠くに「大人(ならこうする/あるべきだろう)」が見えてくるので、やっぱり自分はまだ大人になれていないなと思う。

情報に溢れ、誰もが情報に触れられ、多くの選択肢があり、選ぶ自由がある。

そんな時代だから私達はいろいろな大人の形に気づけてしまう。
それが良いことか悪いことかはわからないけど、それゆえに私達はずっと「ああいう大人であろう」を自らに課し、幻の境界線を追い続けていくのだろう。

こういうことに気づけるようになった自分は #大人になったものだ でしょうか?


先週のマガジン【地元愛】はこちら

そして個人ブログでマガジンに投稿した記事の振り返り記事を書いています。合わせて読むと多分面白いので読んでください!


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