「21世紀 仏教への旅・ブータン編」五木寛之 と これからの日本
まずブータンとはどこ、という疑問から始まります。
ヒマラヤ山脈の東端にある小国
インドの北、ネパールの東。ヒマラヤのお膝元であり、6,000mを越えてはじめて「山」といわれ、3,000mレベルでは「丘」とのこと。
正式な国名は「ドゥック・ユル」。秘境ブータン、とは、観光用のコピー。テレビ、インターネット・カフェもある。
国土面積は、九州のおよそ1.1倍。人口は諸説あり、60~70万人。パキスタンやネパールから出稼ぎに来ている人びとを含み、人口は流動的。
五木さん曰く、ブータンの風景は、故郷の九州の田舎に似ているとのこと。ただし、棚田のスケールが違い圧倒されるそう。
通貨は「ヌルタム」。インドのルピーはほとんどの場所で、米ドルも使えることが多い。
空港はすでに標高が高く、暑いということはなくむしろ夜の寒さに注意。
高山病になりそうな五木さん、研究してきたブッダの呼吸理論実践で、逆腹式呼吸をこころみます。効果のほどはいかに…。
見た目日本人に似ている。教育により、若い人は英語がしゃべれる。ホテルの従業員も英語OK。
風景は、色とりどりの経典の書かれたのぼりや旗が風にはためく。はためくごとに経典を読み上げたことになる。
赤飯のような赤米のご飯は素朴な味わい。ブータン料理の特徴は、「辛い」こと。トウガラシがメインで、赤トウガラシ、青トウガラシ、、細いトウガラシ、太くて大きなトウガラシ。これにチーズをまぶしたり、煮込んだり。野菜料理として出てきて単調。
鉄道は走っておらず、移動は自動車かバイクか徒歩。道はカーブが多く、日光の「いろは坂」を少しゆるくしたような道が続く。雨になればぬかるみに。ガードレールはなく、見下ろせば千尋(せんじん)の谷。直線距離が短くても移動に時間がかかる。
王族はひとりのキングに四人のクイーン。一夫多妻。または一妻多夫は、法律的にも倫理的にも問題ない。ただ、経済的な事情で実際には一夫一妻制に近い。
ブータンは中国とインドに挟まれている。中国がチベットを併合し、チベットと強いつながりを持っていたブータンは、独立を保つことへの危機感を強めた。
現在のブータンでは、ネパール系移民の急増が国家の独立を脅かす。はじめて憲法がつくられ、2008年に発布予定(出版当時)。近代化、改革を進めるブータン。小さな国の大きな挑戦。
環境保護
ブータンでは山の木を一本伐るのにも、許可が必要。
自然豊かなブータンが、「桃源郷」と言われるのはこのような努力の結果。パロ空港もそうであるように、鉄筋コンクリートのビルがほとんどない。新築にも細かい規定があるとのこと。
ただ、木造建築の外観は、日本人から見ると、過剰とも感じられる華やかな装飾となっている。
建築材料のため山の木は伐るけれど、むやみには伐りださない。他国にも売らない。
ブータンの近代化が、世界の危機感の中始まったため、教訓からそれまでと異なる近代化を進めた。伝統を守り、民族衣装着用の義務を課する。
自動車やテレビなどの工業製品は輸入にたよるが、国際援助や借入金でしのいだ。最近はインドへの電力輸出で経済的自立に至ったそう。ヒマラヤからの水力発電。ただ、国内は2、3割しか電化していない。つまり7、8割の人は、電力を必要としない生活。
むやみに気を付けて伐ってはいけない。
この考えかたの背景には、仏教の「あらゆる生き物の命を大切にする」という教えも感じられる。
キリスト教→自然を破壊すると生活が成り立たなくなるから木を伐ってはいけない。
仏教→環境を守るのは、同じ命を持つもの同士の平等感から生まれる
やっと少し仏教事情
仏教はチベットから入ってきた密教。
《仏教の伝播》
北伝仏教
インド→〈分離〉中国→朝鮮半島
→〈分離〉チベット→ブータン
南伝仏教(上座部-じょうざぶ-仏教)
インド→タイ、スリランカ
チベット仏教:インドの後期大乗仏教(ヒンドゥー教との習合)と土着のボン教が集合
忿怒(ふんぬ)相や、歓喜(かんぎ)仏など。タントラ色が濃い。田舎の農家の壁に、魔除けとも子孫繁栄ともいわれる男性のシンボルが描かれておりびっくり。
グル・リンポチェ
ブータンでもっとも信奉されているのは、「第二の仏」と呼ばれるグル・リンポチェ。
グル→師、リンポチェ→尊いもの、宝
時と場合によって釈迦、王、僧侶、歓喜(かんぎ)仏、王族、修行僧、忿怒尊(ふんぬそん)、パドマサンバヴァ(蜜蜂行者)の八つに変身して出現する。
それ以外の神仏:マイトレーヤ(弥勒仏)、マンジュシュリ(文殊菩薩)、アヴァロキテシュヴァラ(観音菩薩)、アチャラナータ(不動明王)、シャキャムニ(釈迦牟尼)などは日本と共通。
救世の女神ターラー。人びとの望みをかなえてくれる。
緑ターラー→ネパール人の妃
白ターラー→中国人の妃
腰のくびれた官能的な像。
シャプドゥン・リンポチェ
グレーの長いあごひげ。
日本の仏様のようにおだやかでなく、強烈な表情。日本人は、この神仏に手を合わせて祈る気にはならないようです。
たしかに、「チベットの死者の書」表紙とか、カラフル(バックが赤くて神仏が青とか)で怒っている図像の印象がありますよね。
化身
有名なのが、ダライ・ラマ。活き仏。初代から十三回生まれ変わりを繰り返した現在十四世。
凡夫は輪廻という苦の世界からの解脱を目指す。
化身はすでに修行をつみ、解脱しようと思えばできるにもかかわらず、みずから望んで人間世界に戻ってくるとされている。この世で苦しんでいる人びとを見捨てることができず、あえて輪廻を繰り返して、菩薩行や利他行に励んでいるのだという。
ブータンが化身を崇めるのは、その利他的なありかた故ではないか、という。
化身の母
法要を行った化身、スントゥル・リンポチェの産みの母に五木さんは会う。妊娠中に「お前の息子はラマだ」と告げられる夢を見る。息子が四歳になったとき、夢と同じように僧たちがやってきて、その子は化身である、と告げ、五歳のとき手放すことになった。今では三、四ヶ月に一回会う。
自然にこういった文化が根付いているようです。
化身の人数が増えてきて、真贋が問題になっているそう。ブータン政府では「分身認定委員会」を設立、本物かどうかの判断をするようになったそう。
少年僧
ブータンでは最近、サッカーが大変人気のあるスポーツで、少年僧たちは、わずかな休憩時間に皆でサッカーなどをして遊ぶということです。
マニ車
「念仏車」という意味。
金属製の円筒に軸がついていて、円筒の部分がぐるぐる回るようになっている。…その円筒のなかには、陀羅尼(呪文)や経典が納められていて、表面にもその文字が刻まれている。
ブータンの人びとは、このマニ車をまわした回数だけ、なかにある呪文や経典を読んだことになる、と信じているのである。
日本ではめったに見かけないマニ車、とありますが、宮島の大聖院(だいしょういん)では、階段をあがりながらひたすらこのマニ車を回せます。チベット密教との交流もあるようです(ダライ・ラマ十四世による菩薩の開眼法要)。現地の僧が砂の曼荼羅を作成したり。私は訪問時、マニ車をガラガラ回しています。
仏壇
祀られているのは、グル・リンポチェ、釈迦牟尼(しゃかむに)、ンガワン・ナムゲルの三尊はじめ、さまざまな神仏の像や絵が、仏間の壁を埋めつくしている。
ブータンの神々は、忿怒の相、どくろの装飾など、護法神の種類は日本の比でない。
また、いたるところに目に見えない鬼神や精霊が宿り、普段は人間に害をなすことはないが、もし怒らせてしまうと、恐ろしい存在になるため、ブータンの人びとは、鬼神や精霊の機嫌をそこねないように、注意を払っている。供物を捧げることも欠かさない。
墓
ブータン人はわが子の位牌も墓もつくらない。その代わりに、子供が亡くなってから四十九日後に、よりよい人生をスタートさせることを祈る。
「チベットの死者の書」というのがあって、輪廻転生しないよう、解脱へのガイドブックのようなものと理解しています。
五体投地(ごたいとうち)
ブータンの人びとは五体投地をして祈ることが多い。五体投地はもっともていねいな礼法で、「五体を地に投げる」と書く通り、両膝(ひざ)・両肘(ひじ)・額までも地につけて拝する。
「あなたはいつも何のために祈るのですか?」と、率直に主人に聞いてみた。
「まず、仏・法・僧のために祈ります。そして、自分のためだけに祈るのではなく、生きとし生けるすべてのために祈ります」
農家をあとにしたとき、五木さんの頭には違和感と共感、不可解さとわかりやすさ、という矛盾でいっぱいだったそう。
日本とブータン
ブータンを代表するオピニオン・リーダー、カルマ・ウラ氏。オックスフォード大学で博士号をとったブータン第一号。
ブータンと日本の差違について、
「日本は、経済大国をつくるという一点から、敗戦後日本人の意識に亀裂を残したのではないか。
頂上に立つという目的のために、いわば兵隊としての組織をつくり、たいへん効率的に世界の頂点に達することができた。そのなかでは、個人がこころの安らぎを求めるとか、個人が幸福を追求するということが、むずかしくなっているのではないか。」
また、日本における寺院参拝は、信仰というより観光目的という色合いが濃いのではという見解。また五木さんいわく、個人の願い事といった現世ご利益祈願。~たしかにそうですね。
豊かさ?
日本は世界でも有数の「豊かな国」。逆にブータンのGNP は、世界のなかではかなり下位。数字のデータでは「豊かさ」という点で、大きな格差がある。
しかし、人生の後半部分の先には、「死」というものがあり、その質を考えると、日本人の「死の質」は低いのではないか、と指摘。
たいていの人が、「生の質」を高めることは考える。…だが、「死の質」、クオリティ・オブ・デスを大切にしようと考える人は、おそらくまだ多くはないだろう。
その「死の質」が日本人は非常に低い、とカルマ・ウラ氏の目には映ったのだった。
中世に吉田兼好が書いた『徒然草』のなかには、「死は前より死も来(きた)らず、かねて後にせまれり」という言葉がある。
「死」の到来は目には見えない。しかし、いつやって来てもあわてることなく、いい形でそれを迎えなさい、ということだろう。
それも「死の質」を高めるには大事なことだという気がする。
仏教の教え→愛と慈悲。相手の痛みや苦しみを自分のことのように受けとめることは自分や他者の命を大事に扱うことにつながる。
GNH (国民総幸福量)
物質的(経済的)指標であるGNP とは別に、ブータンはGNH を提唱。
国王:「われわれはGNP には関心がない。大事なのはGNH だ」
GNH ⇔GNP (指標の違い)
自然保護、消費、医療費、健康、物々交換、家事、自由な時間や余暇
GNP などの統計の弱点を指摘。
まとめ
ブータンの仏教、日本の仏教、大きな解離があるが、これからの日本は、ブータンのように自然や、相互関連の中で動物人間すべての命を大事にし、生き方を緩めながらやっていく思想を持たないとやっていけないのではないか。
いままではそれは理想、綺麗ごと、という域だったかもしれないが、ここへきて経済や気候、国政の行き詰まりで後がない中、すぐにでも切り替えないと地球と一人一人の存続が不可となる様相を呈していると感じます。待ったなしです。今日からです。自戒。🙏
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