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マイナンバーとはなんだったのか

マイナンバーカードの普及がえらく注目されているのでマイナンバー制度策定初期に関わった者として、当時の個人的思いを備忘録的に書いておこうかと思う。あくまで僕はこう考えていましたというもので、公式見解とかいうものではないです。

識別子は必要か

当時はデジタルなんて言い方なかったけど、今風に言えばデジタル識別子の必要性。以下、ここではIDをidentifierとして使いたい。よってデジタルIDの必要性。
これは議論ないと思う。デジタル世界でIDなしの運用は不自然すぎる。個人に対するデジタルIDは必要だった。さらに、ここでのスコープは行政に使えること。つまりデジタル行政のためのデジタルIDが必要だった。

悉皆、唯一無二

マイナンバーの検討で初めて知った言葉が悉皆。
それはさておき、行政をスコープとする以上、このデジタルIDは悉皆でなければならない。さらに、多くの手続きのことを思えば唯一無二にできる機能性はどうしても欲しくなる。機能性というのは、実際に流通するIDが唯一無二である必要はないということ。一人に複数のIDがあってもいい。しかし、必要な時、十分な権限のあるものによって一人のものと名寄せできる必要がある。

セクトラルモデル

流通するIDを一人に一つにして、それを広く様々な分野で利用するという考え方がある。フラットモデルと言われる。シンプルだから効率的だ。
このフラットモデルには反対の意見だった。IDを悉皆、唯一無二にする条件として、IDの利用範囲は限定的でなければならない。特定の分野だけで利用されるIDとしなければならない。とはいえ、個人に着目すれば、分野をまたがった連携、ようするに名寄せが必要な事態は起こり得る。それは特別に許された権限者によって、明示的に許された時だけ実施すべきだ。これをセクトラルモデルという。セクトラルモデルを断固支持した。
実際、マイナンバー制度はこのセクトラルモデルをとることとなる。

行政が発行する

それらの特性を持つIDを誰が発行するか。行政なのか民間なのか。
今から思えば、銀行などの信頼できる民間が発行するIDを上手に統合する手もあったかなと思う。ただ、行政がメインスコープであり、さらに住民基本台帳というものを相当のコストをかけて維持している日本においては住民基本台帳をベースに行政が発行することが合理的だと考えた。

本人確認

デジタルIDを持って行政サービスが提供される。各行政機関の間のデータ連携もこのデジタルIDをベースに行われる。その考えに立てば、デジタルIDの正確性は極めて重要になる。他人がなりすましてデジタルIDを利用するようなことがあってはならない。
当時は(少なくとも僕の知識には)eKYCなんて言葉なかったけど、とにかくこのIDに対するeKYCは全ての肝になる。
ここはマイナンバーカードで担保されることとなった。

思いと違ったこと(マイナンバーカード取得自由)

肝のはずのマイナンバーカードは自由取得になってしまった。さらにICカードが読み取れない環境に配慮して、券面からの目視が基本となった。
後日、いろいろ専門の方の意見を聞いて、ICカードやPKIが必ずしもベストではないかと思うようになった。しかし、当時の考えでは、マイナンバーの確定こそが肝であり、ここはPKI、となるとICカードで行くべきではと考えた。必須にしないと意味がないと思っていた。

思いと違ったこと(個人番号関係事務実施者)

技術論については役目を頂いていたが、制度論については外にいた。
その制度論において考えてもみなかったものが導入されていた。「個人番号関係事務実施者」である。
本人と行政以外に出てくる第三者。IDの流通を仲介する第三者の存在。
この発想はなかった。というか、IDの本人確認精度に立脚した全体アーキテクチャに反するのでは思った。実務的な必要性は理解できないでもないのだけど。

行政セクター内の分割

セクトラルモデルを支持していた。実際、そうなった。しかし、実運用上は行政という同一セクター内で、自治体など行政機関単位で分割されるモデルとなった。しかも見える番号は機関をまたがっても同じなのにというややこしいものに。
ここは技術による制約と制度による制約の分担が関わるので単純な話ではない。単純じゃないので理解はできるのだけど、なんとも複雑すぎると感じた。

だからどうかというと

結局、思った通りなところと違うところがある。それは当然だし、自身の考えが正しかったなどとは思わない。
ただ、肝になるのはIDの信頼性であることは変わりない。その意味ではマイナンバーカードというか、公的個人認識の普及は良いことだと思う。




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