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連載小説「STAR LIGHT DASH!!」2-5

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連載小説「STAR LIGHT DASH!!」

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第2レース 第4組 憎らしいほど向日葵のようなアナタ

第2レース 第5組 Spring Sky Blue

『そこから何か見えるの?』
 自分の世界に閉じこもって、鍵盤に見立てた窓枠を軽やかに指で叩いていると、ふと後ろからそんな声がした。
 窓枠に体重を預けながら振り返ると、松葉杖をついた、体格のいい高校生くらいのお兄さんが立っていた。黒のTシャツにハーフパンツ。膝は包帯でぐるぐる巻きに固定されている。朗らかな笑顔。なんとなく、嫌な感じはしなかった。
『……別に何も……』
 ここのところ、あまり声を発していなかったからか、発しようとした声が少し喉に突っかかる。少しだけ痛かった。
 出そうとしたが出なかっただけなのに、彼は嫌がられていると感じたのか、少しだけ考えてから、ニコリと白い歯を見せて笑い、方向転換をして行ってしまった。松葉杖を操る様子は不慣れな感じでぎこちない。
 見ない顔だった。
 誰だろう。

:::::::::::::::::::

 交通事故でだいぶ大怪我だったらしい自分は、小児外科の病棟の中では長い期間の入院を強いられているメンバーの1人だった。
 入院してから1か月半ほどが過ぎ、入院した頃に仲良くなった子たちはとっくの昔に退院してしまった。
 治りが遅いのもあるのだろうけれど、1人だけ取り残された心地のするこの状況はやっぱり少々不安になる。
『おはよう、奈緒子ちゃん』
 壁につかまりながら廊下を歩いていると、看護師の松田さんが優しい笑顔で声を掛けてくれた。
『おはようございます』
『杖は置いてきたの?』
『大した距離、移動しないので』
『そう。何かあったら声掛けてね』
『ありがとうございます』
 患部はがっちり石膏で固められているので、歩きにくさはあるものの、どうも松葉杖は慣れなくて、奈緒子は壁伝いで歩けるようになってからはあまり杖を使っていなかった。
『おはようございまーす』
 明朗な声で挨拶をして、昨日声を掛けてきたお兄さんが目の前を通り過ぎて行った。
 昨日はおぼつかない動きだったのに、今日は随分と颯爽としている。もう慣れたのだろうか。
『おはよう、俊平くん。廊下はもう少しゆっくり歩いてね』
『わかりました、すみません』
 若干てきとーな声音でそう返し、ペコリと頭を下げて歩いて行ってしまう。杖の音が軽やかに響く。
『まったくもう……』
『あの人は?』
『3日前から入院してるの。悪い子じゃないんだけど、せっかちというか……ちょっと危なっかしい子でね』
『そうなんですね』
『もし、仲良くなれそうなら、話し相手にでもなってあげて。あんな調子で病棟内歩き回るよりは安心できるから』
『……はぁ』
 仮に仲良くなったとしても、あの人も自分より先に退院してしまうのではないだろうか。

:::::::::::::::::::

『そこから何か見えるの?』
 昨日と同じ時間に、彼はそう声を掛けてきた。昨日の様子では、もう声は掛けてこないかと思ったので、少々戸惑う。
 下ろした髪に少しだけ触れ、落ち着くように自分に言い聞かせる。表情を整え、呼吸を落ち着かせる。大丈夫。”いつもの自分を着られる”。
『特に何も。ここ、人が来ないので好きなんです』
 窓枠に寄りかかりながら振り返って笑顔でそう返すと、西日が当たって眩しいのか、お兄さんは少し目を細めていた。
『確かに、ここは静かだね』
 昨日拒絶されたと思ったろうから、表情には安堵の色が見て取れた。
『なんか、病院って落ち着かなくって』
 へらっと笑いながらお兄さんはそう言い、奈緒子から少し離れつつも、窓の傍に寄ってきた。
『ホントだ。山しかないね』
 窓の外の景色を見てあっけらかんと言い放った後、不思議そうに顎を撫でる。
『何かしてるように見えたんだけど、気のせい?』
『……見てたんですか?』
『あ、不快にさせたならごめんね。昨日、キミのこと見かけて、何してるんだろうなって気になってさ。今日もいたからまた声掛けちゃった』
『運指の練習を』
『うんし?』
『ピアノをやっているので』
『へー。なるほど』
 その言葉でようやく情報が繋がったのか、満足げに頷いてみせるお兄さん。
 奈緒子は探るようにその様子を見上げる。
『やっぱ、警戒されてる?』
『え?』
『急に声掛けられたらそりゃそうだよね』
 苦笑交じり。
『谷川俊平。藤波高校2年。所属は陸上部。無理が祟って膝を怪我して入院中です。健康優良児なもので、病院と縁がなさ過ぎて、今すごく落ち着かないんだよね』
 聞いてもいないのに突然朗々と自己紹介を始めたので、奈緒子は気圧されて目をぱちくりさせる。
『で、なんかいい場所ないかなって、昨日今日とうろついてて、それでキミを見かけて。特に他意はないし、話しかけられるのが嫌ならもう話しかけないので』
『嫌ではないですが……』
『そっか。じゃ、明日も見かけたら声掛けていい?』
『……はい』
 どこまでも突き抜けるようにまっすぐで朗らかな笑顔を向けられたら、頷くしかなかった。

:::::::::::::::::::

 次の日もいつもの時間に運指練習。
 毎日やっていたことだから、できるだけ欠かしたくなくて、入院してからも体を起こせるようになってからはずっと続けていた。
 その日はいい青空で、もうすぐ春が来ることを実感させてくれる色をしていた。少しだけ晴れやかな心地になる。病室はどうも気が滅入って合わないのだ。
 後ろから松葉杖が床を叩く音が近づいてくる。気を付けて聴いていれば、全くひっそりと近づいてきてなどいなかった。
『こんにちわ』
 あちらが声を発するよりも前にこちらから声を掛ける。松葉杖の音が数回して、彼が隣にやってきた。
『こんちわ。邪魔じゃない?』
 奈緒子から挨拶されたのが嬉しかったのか、彼は白い歯を見せて笑う。奈緒子はただ頷き返す。
『いい天気だね。窓開けてもいいかな?』
『大丈夫だと思います』
 大きな手で窓の鍵を落として、ゆっくりと少しだけ窓を開ける。心地いい風が廊下を吹き抜けていく。
『……何やってても春は来るなぁ』
 彼が歯痒そうな声で言った。奈緒子はそれを横目で見上げる。目を細めてしんみりした表情。昨日まで見せてくれた表情とは少し違った。奈緒子が何も言えずに彼を見つめていると、あちらも我に返ったのか、気を取り直すように笑った。松葉杖を窓枠に立てかけて、んーっと大きく伸びをする。
『キミはどのくらい入院しているの?』
『……1月の終わりから、ですね』
『え? そんなに?』
『交通事故で』
『……あ、そ、そうなんだね』
 不味いことを訊いたと思ったのか、彼は少々もごもごと言いよどむ。奈緒子は気にしないように笑ってみせる。
『さすがに飽きましたねぇ。お兄さんはどうしたんですか?』
『……俊平でいいよ』
『え?』
『お兄さんってタイプじゃないから』
 奈緒子の呼び方がこそばゆかったのか、彼はそう言って苦笑する。
『わかりました。俊平さんはどうされたんですか?』
 なんとなく相手のいいように譲ってみたことで、自分の張っていた壁が、少しだけ音を立てて消えてゆくように感じた。この人、不思議な人だな。小学校から女子校に通ってしまったので、男の子と話したことがあまりない。こういうものなんだろうかとぼんやり受け入れている自分がいた。
 俊平は落ちてきた前髪を掻き上げて、少し考えるように空を見つめる。数秒、間が空く。気を取り直すように、また笑顔。この人、自分と同じなのかもしれない。そう思った。
『練習中に膝をやっちゃってねぇ』
 あっけらかんとした、極力毒気を抜いた柔らかな声だった。
『……そうなんですね』
『これまで怪我も病気もしてこなかったのに。情けない限り』
『もう手術はされたんですか?』
『うん。松葉杖とリハビリトレーニングで少し馴らしたら退院でいいって。なんか、危なっかしいからすぐは退院させられないって怒られちゃってさ』
 そういえば、松田さんもそんなことを言っていた。
『ネットで調べたんだけど、本当はこんなに入院しないんだって。なんだよ、危なっかしいって……』
『んー、でも、いましたよ』
『え?』
『一度退院になったけど、うっかり痛めちゃって再入院になった子』
『……そうなんだ』
『頑張り屋さんには割とあることだって、看護師さんが言ってました』
『……そう』
 奈緒子の言葉に俊平が静かになる。
 病室のほうから談笑する声が響いてくる。奈緒子はあの輪の中に入れない。どうせ、あの人たちも、自分より先に退院する。
『何にもしない時間って落ち着かないよね』
 真面目な俊平の声に、奈緒子はまた彼を見上げる。
 窓からの風が耳の横を抜けて、髪の毛を少しだけすかしてゆく。
『そうですね。取り残されてるような気持ちになるので』
 奈緒子の言葉に、俊平が唇を噛んで頷いた。けれど、やっぱり、すぐに笑う。
『でも、この時間が無駄だって思いたくねーんだよな』
 なぜか、その言葉が奈緒子の心の水面を揺らした。
 病院に運び込まれて目覚めたあの時、しばらく、ピアノに触れなくてよいのだと自分はほっとした。ピアノのことは好きだけれど、好きでは割り切れない感情がここのところずっと付き纏っていたから、ちょうどよかったのだと思う。でも、数日経つとそんな気持ちはどこに行ったのか、自分はまたあの譜面をなぞり始めた。自己矛盾を抱えたまま、やっぱり、自分はピアノの魔物に囚われている。
『変な話したね。ごめん』
『いえ』
 奈緒子が考え込んで何も返さないので、俊平は少し困ったように目を細めてそう言うと、窓を閉めて松葉杖を手に取った。
『少しだけど気が紛れたよ。ありがとね』
 優しい声でそう言うと杖の音をさせて、元来た道を戻ってゆく。
『……また』
 奈緒子は小さな声で囁く。耳聡く聴き取ったらしい俊平は、顔だけこちらに向けて笑った。
『うん、また明日』
 朗らかで今日の空のような笑顔。頼もしい大きな背中が段々遠ざかってゆく。
 ……そういえば、こちらは名乗っていなかったな。

::::::::::::::::::::::::

 また、”あの”日の夢だ。
 奈緒子は深夜に目を覚ました。ぼんやりと見つめた先には、暗がりの中に主張の激しい白い天井。同室の子どもたちの寝息。こちらが現実だと感じ取って、ふぅと息を吐き出し、寝ている間にかいていた額の汗をパジャマの袖で拭う。落ち着かない。少しだけ夜風に当たってこようか。慣れた調子で起き上がる。
 慎重にベッドから下り、極力音を立てないようにして病室を出た。
 向かうのはあの窓。誰も来ない、自分だけの特等席。
 壁伝いに歩いて廊下の角を曲がると、ひんやりした風が廊下を渡っていった。不思議に思い、前を見る。窓のところに誰かが立っていた。窓からの月明かりがその姿を照らしている。あのがっしりした体格は――。
 ガツンッ。
 重く骨に響くような音が鳴った。
 奈緒子は怖くなって足を止める。病室は遠い。その音を聴いたのは自分だけ。俊平が壁を殴った音であることを察するのにしばらく時間がかかった。
『なんで……ッ』
 絞り出したようなくぐもった声。
 シルエットがへたり込むように窓の下に消え、闇に溶け込む。
『なんで、今なんだよッ!』
 たぶん、見てはいけないものを見てしまった。瞬時に判断して、気配を悟られないように来た道を戻る。
 同じなんかじゃない。
 自分は怪我をして少しだけほっとした。だから、取り繕って笑える。
 でも、あの人は違う。真っ直ぐ走り続けるはずだった道から急に弾き出されて、本当に呆然としている人だ。
 ――それでも、あの人は笑うのか。

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もしよければ、俊平にスポドリ奢ってあげてください(^-^)