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青春小説「STAR LIGHT DASH!!」8-14

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連載小説「STAR LIGHT DASH!!」

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第8レース 第13組 翼なんてなくたって

第8レース 第14組 brillante cielo

 世界の光に手が届く存在だと思っていた。

 自分にはその力があって、その資格を持った人間だと疑わなかった。
 聴いた音は鮮やかな色彩を放って、いつでも拓海の視界を覆いつくす。
 耳で感じたものがすべて視覚化される。
 その才能は演奏家として歩む自分にはとても相性のいいものだった。
 自分が美しいと感じる世界を彩る音を紡げばいいのだから。

「とても瑞々しく、繊細で優しい音でした。指先から足先まで、会場内にどう音が響くか、相手に演奏曲をどう聴かせたいかが奏者の中でしっかりと作られている。この曲をこう弾くのか、と驚きもしましたが、奏でられたハーモニーの重厚さと美しさはこれまでなかった解釈で、なおかつ美しかったです」

 出逢いは13歳の時に出場した国際コンクールだった。
 本来、どの審査員がそのような講評をしたのかは、出場者には伝えられないものなのだが、エドワードの講評文はクセがあり、その後何度か彼が審査員として登壇しているコンクールに出場したことで、”ああ、彼が書いたのだ”とわかるようになってしまった。

 独自の解釈を加えすぎると、コンクールの審査対象としては認められないから、拓海はいつでもその匙加減を計算しながら、最良の景色をその場所に作り出していった。
 音符の光が示してくるものはいつだって綺麗だった。

 自分は彼らと聴衆の間をつなぐ架け橋。

 それを不満に思ったことなどなかった。
 けれど、ある時から光たちが指し示してくるものをひどく魅力的に感じるようになってしまった。
 きっとあれは音楽の悪魔の甘い囁きだったのだろう。
 そして、自分は、その囁きに乗ってしまった。
 挫折など知らなかった神童は、どうしても弾き切れなかった悔しさとともに、師であるエドワードの、自分自身の音楽の才能への信頼を裏切ってしまったことに、ひどい絶望を味わった。
 完璧でないものを、自分自身の欲求に身を任せて、ステージ上で弾くに至ったこと。間違いなく、自身の精神修養不足だった。
 ずっとずっと転ばずに走ってきた。だから、立ち上がり方なんて知らなかった。

 失意の中帰国し、音大はどうにか卒業したものの、拓海に与えられた才能は、拓海自身を苦しめた。
 世界には音ばかりがある。耳に入るものすべてで自分の視界が埋まる。
 以前は平気だったものが、演奏から遠ざかった自分にはただ辛いものに変わってしまった。
 外に出ると吐き気がしてその場にしゃがみこんでしまう。そういうことが続いて外に出られなくなった。
 できるだけ音のない世界へ。
 出掛ける時はノイズキャンセリング機能の付いたヘッドホンやイヤホンを手放せなくなった。
 塞ぎこんで部屋から出てこない娘を気遣って、父が自身の指揮するオーケストラを聴きに来ないかと誘い出してくれたのが2年と少し前のことだった。
 そして、その時に見たのが、あの綺麗な星空とオーロラだった。
 音なんてなくたって、この世界には綺麗な景色がある。
 自身の力に慢心して、これ以上のものなどないのだと信じて疑わなかった自分自身をその時恥じた。
 たった一人、自分自身が夢を失って苦しんでいようと、世界は変わらなく美しいし、時は過ぎてゆく。
 悔しさもあったけれど、それは拓海にとって、救いでもあった。

 ―― ……なんだ。大したことなんかじゃない。こんなことは大したことじゃないんだ。

 あの日見上げた時は苦しくて背を背けたけれど、日が経つにつれ、振り返るように写真を眺めるうちに、次第にそう考えるようになった。

 ――わたしは、わたしの音楽の力を持って、わたしをのけ者にした音楽の世界に復讐をする。

 どこにたどり着くのかなんてまるでわからない。
 波に流されるだけの舟でしかないかもしれない。
 それでも、自分にはこの力がある。
 すべてを失った?
 大げさな話だ。今の自分だったら、当時の自分自身の考えを即座に否定することができる。
 すべてはまだ目の前にある。
 自分はそれをまたひとつひとつ拾い集めて取り戻すのだ。
 綺麗と信じて疑わなかった形じゃない。
 光たちが示し続けたものをなぞるわけじゃない。
 自分自身でイチから作り出してやる。
 これが自分の”戦い方”だ。

:::::::::::::::::::

 奈緒子や俊平の気遣いもわかったけれど、それ以上に、拓海を急き立てる感情があった。
 感情のままに動くなんて、何年ぶりだろう。
 歩行が不自由な奈緒子が必死に追いかけてきてくれているのがわかるのに、歩くペースを抑えられなかった。
 一縷の望みにかけて、駅前のガラス張りのフードショップやカフェを覗く。
 ハンバーガーショップの前で、拓海は足を止めた。
 俊平が大口を開けてのどかな表情でハンバーガーを頬張っているのが見えた。
 あの背中は、賢吾とエドワードだろうか。
 入口を確認して、すぐに踵を返す。
「月代さん? どうしたんですか?」
 息を切らして追いかけてきていた奈緒子が数メートル先から声を掛けてくる。
 拓海は視線だけ向けてすぐに店の開くボタンを押して中に入った。
 少しだけ指先が震える。
 自分は、師である彼の前に、今胸を張って立てる人間だろうか。
 下唇を噛んで、それでも、前へ足を踏み出す。できるだけ音を立てずに、俊平のいるテーブルへ向かった。
「月代さんは」
「ん……?」
「逃げてないです」
 真っ直ぐな俊平の声が聴こえてきた。
 一体何の話をしていたのだろう?
 何ひとつわかりはしないけれど、彼の飾り気のない一直線な声は、いつだって耳心地がいい。視界にはノイズが走るのに、それでもそう感じる時がある。

 ――ねぇ、”俊平くん”。
 ――きみはすごいね。怪我してすぐ、逃げずに戦うことを選べた。それだけできみはすごいんだよ。
 ――わたしはそんなに真っ直ぐ元には戻れなかった。
 ――それでも……何も知らずに、今のわたしを見て、そう言ってくれる人がいるのなら、わたしはまだきっと。

「俊平さん、ごめんなさい。月代さん、戻るって聞かなくて」
 少し遅れて店に入ってきたらしい奈緒子の声が後ろからした。
 背中を押されるように、拓海は声を発した。
「先生」
 きっと届く。
 今なら、そう信じられる。
 ダメだったらまたやり直せばいいだけ。
 ただ、それだけのことなんだから。

:::::::::::::::::::

 秋祭り当日。
 秋と呼ぶにはまだまだ残暑が厳しい。
 日本の気候に慣れていないエドワードは少々しぼんだように表情を歪ませていた。
 それがおかしくて拓海は笑う。
「先生、この後すぐなので、もう少し我慢してください」
 優しくそう言うと、エドワードは肩をすくめてから、ニッコリと笑った。
「レイがそんな風に笑う子だなんて知らなかった」
「え」
「僕は君の何ひとつ見えていやしなかったんだ」
「……そんなことは」
 拓海は首をフルフルと横に振って、横髪を耳に掛ける。
 今日はヴァイオリンを弾くので、邪魔にならないように後ろ髪は丸めていた。
「君は楽器すら選ばないんだね」
「幼い頃、母から習っていたんです。でも、わたしはピアノがよくて、途中からピアノだけに絞りました」
「なるほど。絞らなくてもよかったんじゃないかな」
「そうですね。もったいないことをしたと思います。……先生の元を離れてから色んな楽器に触れました」
「! そうか。それはいいことだね」
「どれもそれなりには弾きこなせるんですけど。でも、やっぱり、わたしはピアノがいいです」
 拓海はそう返して、ゆったりと微笑む。
 エドワードが驚いたように目を丸くしたけれど、コクリと頷いて笑ってくれた。
「……いつだって、待っているよ」
「え」
「今日は、それを言いに来たんだ。手紙を何度か送ったけれど、きっと君のことだから読んでいないと思って」
「あ……」
 師の言うとおり、届いた手紙はすべて机の奥底にしまっていた。
 自分を責める言葉が書いてあったら、立ち直れないと思ったからだった。
「先生の望む姿ではないかもしれません」
「ん?」
「今、わたしはわたしの理想を模索しています」
「そうか」
「その終着点がピアニストかはわかりません」
「うん。いいじゃないか。僕は”星巳澪”の音楽に恋をしているんだ」
 相変わらずの表現のクセの強さに拓海は吹き出した。
 口元に手を当てて数秒考えた後、ニッコリと笑う。
「では、今宵も、先生を恋の魔法にかけてごらんにいれますね」
 その言葉に、エドワードが嬉しそうに笑った。
 少ししてから、賢吾がやってきて、2人が笑い合っている様子を見て、少々ドン引きしたような表情をした。
「星巳くらいだぞ。エドの表現をスルーできる奴は」
 身内しかいないから気兼ねせずに本名のほうで呼んでくる賢吾。
 拓海は賢吾を見上げて、すぐに肘で小突いた。
「いって」
「先生に失礼」
「この前、小僧に訳してやる時も、すげー恥ずかしかったんだからな」
「小僧って、谷川くんのこと?」
「ああ、そう」
「……余計なこと話してないでしょうね」
「巻き込んだんだぞ? 少しだけ喋っちまったよ」
「…………」
「なんだよ? ミステリアスなお姉さんポジションがよかったのか?」
「そういうわけじゃないけど……」
 日本語で会話する2人に、エドワードが困ったように2人を見比べている。
 拓海がすぐに切り替えて話をしようとしたけれど、それよりも前に、後ろからまた別の声がした。
「あー、いたいた。拓海! 差し入れ持ってきたよ!」
 明朗な舞の声。
 拓海は視線で賢吾にエドワードの相手をするように促して、振り返った。
 清香を従えて舞が立っていた。右手にはペットボトルの入ったビニール袋が握られていた。
「来てくれたんだ」
「秋祭りデートのついでに」
 パチンと舞がウィンクをして茶化した。
「はいはい。ありがとう」
「さっき、そこで俊平とすれ違ったよ」
「へぇ……受験生、余裕だなぁ」
 拓海の言い方に、舞がくすっと笑った。
「まぁ、多少の息抜きはいいんじゃないの。どうせ、拓海、スパルタしてるんでしょ?」
「素直で真面目だから教え甲斐あるんだよね」
「それ、ナオちゃんに対する評価とおんなじじゃん」
「え」
「あはは。なんか、あの2人並んでると、大型犬と小型犬みたいで可愛いよね」
 清香が2人の会話を聞いていておかしかったのか、そう言った。
「可愛い……なのかな?」
 拓海が首を傾げてそう言うと、意外そうに2人が目をパチクリさせた。
「ぽおらるとーんさん、そろそろ準備お願いしまーす!」
 祭りのスタッフが呼ぶ声がした。なので、そこでその会話は途切れた。
「二ノ宮」
「へいへーい」
「レイ、楽しんでね」
「先生こそ、今日は日本の綺麗な空をお見せします」
 拓海はしゃなりと丁寧な礼をしてそう言うと、ヴァイオリンをケースから取り出して、その場を後にした。

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